8時に起きた。
久石譲の『旅立ちの時 ~Asian Dream Song~』、学校の合唱曲という印象が強かったけれど、もとは1998年の長野パラリンピックに宛てて作られた曲だったらしい。この曲が昔から好きで、朝聴きなおしてみた。サビが潔いワンフレーズだけですごい。
夢をつかむ者たちよ 君だけの花を咲かせよう
この「夢をつかむ者たちよ」の「つかむ」という言い方。意味としては「これから夢をつかむ者たち」「今にも夢をつかまんとする者たち」というふうに、現在進行形の意志や、それを実現させる未来へのニュアンスが込められているだろう。そういう時間的な広がりを「夢をつかむ者たち」という素朴な現在形の表現に託しているのがめちゃくちゃかっこいいと思う。
雪積もっとる! 身体が温まるまで布団の中で本を読んで、その後雪を見に散歩した。

ウヒョー

とても柔らかかった。
手すりに乗っている雪を端から端まで手でシュバッと落としたら面白かった。その他、排水溝の金網に乗っている雪を踏んで金網の隙間に詰める、枝に付着している雪をめっちゃ弱い力で徐々に払い落としていく、手のひらを雪にゆっくりと押し当てて圧力をかけていく、踏んで作った足跡にもう一度足を押し当てて、他の人の足跡よりもくっきりとした足跡をつくる等のアクティビティをした。

住宅の庭の木が、重みで。

公園は子供まみれだった。ざっと数えただけでも86,000体の雪だるまが作られていた。積雪深の浅い東京で作る雪だるまは、どうしても地面の土や草がついて汚くなってしまうことがいつも残念。あと僕も雪玉を作って感じたけれど、柔らかいままの雪を一塊にしようとするとすぐにホロホロと崩れてしまうので、ある程度圧力をかけて固める必要がある。でもそれは、やればやるほど氷になっていって、雪としての面白みが逓減していくように感じた。

幸せだなあ。雪を見て幸せなどと言うと、激しい積雪で被害も出ている北日本や山陰地方の人々がいるなか不謹慎だという声もあるかもだけれど、そんなこといったら[そんなこといったらに続く任意の事例]だし、楽しんだっていい。光の反射率が高い雪は、見ることで得られるセロトニンの吸収量もいい。たぶん。雪原では日焼けしやすいと聞く。

こういう世界の触り心地を隅々まで探究していきたい。一つずつ確かめて、手応えのあることの豊かさを感じながら、一つ一つの感触に対する愛着を深めて、自分の好きな感覚とともに安らいで死にたい。
マック食った。
帰宅。寝る。起きる。
起きたら、パートナーがそわそわと部屋中を絵のように歩き回っていた。このあと20時から始まる衆院選の開票速報が楽しみで、緊張しているのだ。パートナーは政治が好き、というか選挙速報が好き。あと彼の身内が出馬していたので、その人の当落のゆくえも同時に気にしていた。彼は動きながら「子の発表会を見る親の気分」と言っていた。
カレーを食べながら、テレビで開票速報を見ていった。人間の顔と名前が大量に出て面白かった。
また寝てた。
作業せねば。事務作業がいくつか溜まっているので、今晩はそれをやる夜ということで……。
創作物をイベント等に持ち込んだ際に決まってやらされる作品情報やアーカイブの提出作業、少しでも心を稼働させると莫大なストレスに悲鳴をあげてしまう。ピストン機構にでもなったつもりで、淡々とやる。
できた。今日は寝ようかな……。昨日今日とゲームの方の進捗出せなかった。やや危機感。テキスト作業の労力は知れているはずだから、明日には終わらせられるはず。
一昨日言及した投稿フォームに、2件投稿が来ていた。ありがとうございます。
ハリモグラのチンチンのデザインが凝っています
また動物の陰茎のトリビアか。この情報、僕もタイムラインで見かけた。陰茎が4本に分かれていて、そのうちの2本だけが勃起して射精するらしい。残る2本は使わないのか。不思議だ。かつては使っていたけれど、進化の過程で不要になったのかな。
使いきれない稲庭うどんをバジルソースであえることにしました
ジェノベーゼの亜種だ。ジェノベーゼの亜種も応援します。
パートナーに「もし同性婚が法制化したら、僕たち結婚するの?」と訊いたら、「する」と言われた。「それってプロポーズか?」と訊いたらフハハと笑われた。「結婚したらどういうメリットがあるの?」と訊くと「遺産相続とか。今は僕が死んだら遺産は母のところか弟のところに行くけれど、結婚すればトロヤくんに渡せる」「あなたは自分の遺産が母や弟じゃなくて僕のところに行くほうが良いの?」「うん。僕に代わってこのマンションを守ってください」
パートナーは結構真剣に結婚制度について考えていたのだろうか? 僕は自分が結婚するという発想がそもそも全然なく(同性婚がない国で育ったからだろう)、考えていなかった。
あと、結婚することが幸せという認識が無かった。親も祖父母もことごとく離婚しているし、友人にも結婚したことが足枷になってる人が何人かいる。それに、僕は社会に自己の存在を認定されたいという渇望がさほど無い。ましてや、僕と彼がイチャイチャすることを社会から正式に認定されたいなどとも思わない。キモイ。そう、実利的なメリットを度外視して僕個人の気持ちをいうなら、同性婚を法制化するどころか、結婚制度自体をそもそも廃止してほしいとすら思っているかもしれない。愛が法整備され支援対象になっていることには、なんか異様な気味悪さを感じる。愛ってもっと勝手に、無限定に営まれるものだと思うから。祝福とは無縁であってほしい。
まあ↑の感情も、自分にはアクセス不可な「結婚」というものにありついた人々を、ずっと遠目に眺め続けてきた人生に醸成されたルサンチマンに由来するのかもしれないけど。
いずれにせよ、彼が「する」と言うなら、僕は結婚するほうがいいのだろう。彼が喜ぶのが一番。