15時に起きた。いくらでも寝られる。一昨日からとくに出かけたりもせず生活をしているだけだが、慢性的にぼや~んとしていて、疲れている。日記も書けてない。なんか、言葉が思いつかない。だから書くのが面倒くさい。早く描き途中のイラストを終わらせてゲーム開発の作業に戻りたいのだが、なんかそのことを考えると頭が霞がかって、やる気も思考もぼやけて、瞼が落ちてくる。今起きたばかりなのだが。
書きながら一つずつやっていこう。まずはたぶんお腹減ってるから、パンでも食う。

食らえ
食べた。次に、意外にも読書する。なんか数日前、読もうと思った論文があって、それが掲載された雑誌をパートナーに本棚から出してもらったんだけれど、僕がそれをいつまでも読み終わらないせいでそれをずっと床に置きっぱなしにしており、迷惑をかけている節がある。一度「これもう片付けていい?」と訊かれたし。このことが一つ頭にタスクとしてのっかっているような気がするので、今読み終えてしまう。
読み終わった。リチャード・ホフスタッター著 入江哲朗訳『アメリカ政治におけるパラノイド・スタイル』。パラノイド・スタイルというのは、歴史的にさまざまあった陰謀論(反イルミナティ運動、反フリーメイソン運動、反カトリック運動、反共産主義運動)が主張される際に共通して現れた様式として、ホフスタッターが考察しているもの。
いかなる戦史家も、戦争とは大部分において間違いの喜劇であり無能の博物館であるということを知っている。しかしながら、いかなる間違いもいかなる無能な行動も背信行為に置換可能だと仮定することによって我々は、パラノイドな想像力が魅力的な解釈の諸部分としてどれほど多くを利用しうるかを理解できる。
『表象17』 p.88
フランス革命がイルミナティによってもたらされたものだと考えたように、陰謀論者は、偶然や混乱によって起こったかもしれない現象の背後に、それを意図的に信念のもとで実践した黒幕を想像せずにはいられない。
パラノイド・スタイルの特徴として、丹念に「証拠」を集積して、それらを使ってきてれつな結論を「証明」しようとすることが挙げられていた。これは個人的にも、SNSで陰謀論に傾いた人の論法などを見てよく感じる。彼らを合理的な議論で説得に導くのはほぼ不可能だと思う。なぜなら、一般人よりも陰謀論者のほうがよっぽどエビデンスを集めるのに長けているから。陰謀論者のほうがよっぽど科学的、合理的な思考法をとっていると思う。
じじつ、パラノイドなメンタリティは現実世界よりもはるかに首尾一貫している。なにしろそれは、過ちや失敗や曖昧さの余地をいっさい残さないのだから。それは、完全に合理的とは言えないにせよ、少なくとも強烈なまでに合理主義的ではある。それが信じているのは、完全に邪悪であるのと同じくらい絶対確実に合理的である敵を自分が相手取っていることである。
『表象17』 p.95
むしろ合理的すぎること、物事のおこりに曖昧さを受け入れない態度、凡庸な失態や非合理の介在を認めない潔癖さこそが、陰謀論の核のように感じる。
また、パラノイド・スタイルのべつの特徴として「敵を模倣すること」というのが挙げられていた。それはたとえば、知的エリート層を批判するために陰謀論者も学術的、あるいは衒学的な論法を駆使することとか、上流階級が性的に放逸していることを指摘するために陰謀論者もむしろ過度なまでに性的な想像力を高めること、みたいな意味で書かれていたと思う。
僕がこの論文を読んだのは、宗教と陰謀論の違いについて考えようかなと思ったからだった(それでパートナーに何か読むものあると訊いたらこれを貸してもらった)のだけれど、この「敵を模倣する」特徴がまさに陰謀論が宗教と大きく違うポイントなんじゃないかなと思った。宗教も陰謀論も、なにか権力が振りかざす支配的な物差し(資本主義とか)に虐げられルサンチマンを膨らませている階層の人々が自分たちのアイデンティティを守るために行使するものだが、その反応のしかたが宗教家と陰謀論者で異なる。
宗教は、自分たちが敗者とされる価値観とは全く異なる世界観・物語に準拠する。新たな価値観(節制が善とか)を導入して転倒させることで、既存の支配的な物差しのなかで戦うことをやめる=勝負を降りる、というのが宗教の戦略だ。
それに対し陰謀論は、敵の土俵のなかで戦い続ける、そして「敗け続ける」ことを戦略としているような気がする。陰謀論者は「資本家たちはこのような想像を絶する悪を働いていますよ」と喧伝するのだが、その目的は、構造をつくりだす資本主義を批判することにあるのではなく、我々一般人がそのような背後の悪に支配され虐げられているという「真実」をあくまで周囲に気づかせる、直視させることに終始している。敵の土俵のなかで戦うかぎり必ず敗けるのになぜそれをするのかといえば、陰謀論は敗ければ敗けるほどアイデンティティが強化されていくシステムだからだ。自らの主張を周囲から認めてもらえないと、陰謀論者たちは、背後にいる黒幕がいかに社会によって巧みに隠蔽されているかをより強く自覚する。そうすると、そのような強大な敵をあばこうとする自分たちの「正しさ」も、比例して増していくように感じるのだ。
必敗のロジックによるアイデンティティの確立が、陰謀論のもつ中毒性なんじゃないか、などと、読んで思った。読むの大変だった。
陰謀論。はまる人の典型も推測できる。例えば、幼少期に親が厳しかったり不在だったりで無条件の愛を注がれなかったりした人などは、周りからの賞賛や尊敬を得られないとまるで自分が生きていてはいけないかのように感じがちなパーソナリティー傾向に育つ。彼らは条件つきの自己肯定しか受け容れる回路をもたないから、もし現実で上手くいっていないとき、陰謀論のようなロジックに頼ってしまうのだろう(ロジックの必要性からはなかなか抜け出せない)。またそういう人はたいてい、自分や他人の実力不足やちょっとしたミスを許せなくて過度に責めたりする。ロジック偏重ゆえに、意志とか責任能力というものの比重を高く見すぎているからだ。だから「大部分において間違いの喜劇であり無能の博物館」に過ぎない戦争の背後にも、それを意志のもとに引き起こした黒幕がいる、いるほうが自然だ、と思い込んでしまうのだろう。
↑のような個別的なはまりやすさの典型は、広い目で見た「大衆」にも現れるのだろうな。市民はさまざまな情勢のもとでアイデンティティを弱らせることがあり、そんなとき「超富裕層と共産主義者が結託して世界を支配しようとしている」みたいなシナリオを掲げたりする。本当は複雑な社会問題の集積によるあらわれとしかいえない現実の過酷さも、明確な悪意を持った敵をでっちあげれば、自分たちもわかりやすく敗けることができるから……。
僕は、自分の健康状態をめぐってしばしば陰謀論的な思考回路になることがあるなと思う。最近とかそうだけれど、毎日違う症状で体調が悪くて……つい原因探しをしてしまう(たいてい自律神経のせいにして満足する)。今の家に引っ越してすぐの時は、不調をこの家の環境のせいにしようとして、温湿度計を置いて逐一数字を監視したりした。あとは、姿勢が悪いせいにしがちか。腰痛になりたてのときは整体に接骨院に形成外科と梯子したし、家にはバランスボールを導入したり、スタンディングデスクを導入したり。
身体の不調に原因が存在することは間違いないが、それは実際のところさまざまな要因の複合の産物だったりする。そして対処法のほうも、-100を0にしてくれるような明解なものではなく、せいぜい-90まで上げてくれるものでしかなかったりする。スタンディングデスクのような環境調整に限らず、病院で処方される薬の効果さえも、そんなもんだと思う。現実はままならないのだ。そのままならない現実に対する謙虚さを失った者は、健康番組を見漁っては納豆を食い、亜鉛サプリを飲ながら足踏み運動をし続ける、健康ジャーキーになってしまうのだ……(納豆も亜鉛サプリも足踏みもいいと思うけど)。
次はイラストの続き描くか。今日中に完成させたい。
4時。8時間くらい従事していたが、完成しなかった。今回は結構慣れないことに挑戦しているので、あーでもないこーでもないと試行錯誤していて、なかなか進まない。でも面白い。絵は学びの領域が広大。描くたびに新しいことに気づく。リファレンスをじっと見つめて、リバースエンジニアリングする。そうして知識が増えていく。
今日は心身がじめっとしていて容易に動けなかったが、日記にリアルタイムに書きながら行動を自らに指令することで、なんだかんだ作業ができた。良い一日だった。
昨日の日記、さぼっていてまだ書き終わってない。明日はまずそれを書いてから、絵を完成させよう。流石に明日には終わらせる。
眠い寝る。