15時頃に起きた。
先に起きていたパートナーに「火がついたままだった」と指摘された。なんと、昨晩僕は鍋の火を消すのを忘れて寝たらしい。これは笑えない。僕はパートナーを焼死させたかもしれなかった。
18時頃まで、ネットで何冊か同人誌を買って読んでいた。ものすごく絵が上手く、話の運びかたも上手い漫画だった。その作者は、日中は関係ない会社勤めをしながら、それ以外の時間で同人誌を描く活動をしている人だった。
本業の仕事をしながらその合間に創作をしてるような人たちが、世の中にはうじゃうじゃいるのだけれど、信じられない。僕からしたら皆超人だ。すごい。僕はいま卒業間近で、ほぼ無職みたいな生活をしている。それなのに、最近は一日5時間も作業できていない。
無職ってことは、少なくとも本業がある人の勤務時間8時間ぶんをまるまる制作に捧げられるはずだ。それに、本業の合間に創作をしている人々は仕事終わりとかに作業もしていることになるわけだけど、その時間は無職の僕にもある。その時間を仮に3時間としたら、僕は毎日8+3=11時間は作業の時間をとっていないと、道理が通っていないことになる。
でもそんなに長時間作業できる日は極めて稀だ。さっきも書いたとおり、最近は5時間も作業ができていない。道理が通っていない。僕の24時間はどこに消えている!
あ、睡眠に消えてるのか……最近は毎日10〜12時間ほど寝ている。あまり社会人に許される睡眠時間じゃない。この時点で僕は間に合っていないのだ。道理に。
今日は昨日のような抑鬱の波がなかったので、スムーズにPCに向かって作業できた。今日は5時間半ほどDeath the Guitarの開発を進められた。かなりいい。本当は無職制作者の道理に倣って、10時間とかやりたいところけど……現在の僕は、5時間やっただけでも頑張った感。へとへと。まあ、徐々に。習慣の維持が第一。
今日はこんなん作ったりした。
今読んでいるネルケ無方著『人生というクソゲーを変えるための仏教』で、ちらっとジェームズ著『宗教経験の諸相』の話が出てきたので、それに関連してジェームズの言葉を集めた本『ウィリアム・ジェイムズのことば』を部分的に読んだ。夏目漱石と鈴木大拙(欧米に禅を紹介した人)が、ジェームズの遺した独自の宗教経験を読んで、それぞれ強い感銘を受けていた。
ジェームズは、色々な人の語った彼ら独自に体験した宗教経験———「三位一体」を感じたとか「神に語りかけられた」みたいな、そういうあらかじめつくられた宗教の教義に即したトップダウン的な宗教経験とは異なる、それぞれが個別的に感じた宗教的としか言えない神秘体験———を記録して集めた。ジェームズといえばプラグマティストだけれど、そういう具体的な例をベースに宗教性の本質を象っていこうとする手つきはまさにプラグマティズムという感じがする。
ジェームズはともかく、僕は禅的な宗教経験に関心があるので、鈴木大拙にも興味が湧いた。『ウィリアム・ジェイムズのことば』に書いてあった彼の体験したこと(樹々の中を歩いていたら、自分自身が樹々であるように感じた、みたいな内容だったと思う)には僕も僕で感銘を受けた。エルデンリングDLCでひたすらラダーンと戦っていたときに感じた恍惚は、それに似ていたような気がした。
その鈴木大拙は、西田幾多郎に多大な影響を与えたている。西田幾多郎については今のところ倫理の教科書レベルのことしか知らないけれど、日本の哲学者としては一番偉い人? みたいな勝手な印象がある。永井均が西田幾多郎について書いた本があるらしいから、今度それ読みたいぜ〜。
仏教(とりわけ道元の禅の思想)って個人的に興味が深いから何冊か読んだのだけれど、大体どの本も書いてあること同じな気がしてきてる。もともと東洋哲学というのは、西洋哲学に比べてそんな言うことない(語りえないものを語らないまま、実践して示す)ものだからか、アカデミックな掘り下げ甲斐がさほどないのかも(仏教学者は「そんなことない」と言うだろうが)……? 今後は、ウィトゲンシュタインやニーチェや西田幾多郎など、仏教との親和性の高そうな哲学のほうに手を伸ばしていったら面白そうかな〜と思ってる。
寝る。明日もなんとか作業したいところ。