見学者今日を捨てる
15時に起きた。昨日の自分からの指示にしたがい、市民プールに行こうと考えた。
泳ぐには、水着と水泳帽とゴーグルが必要と思われた。水着と帽子は持っていなかった。まあ現地に行けば売ってるだろうと考えた。ゴーグルは持っているはずだった。僕は自室のクローゼットやひきだしを開けて、ゴーグルを探した。でも見つからなかった。昔の自分がゴーグルをどこに仕舞うか想像しながら探したが、無理だった。まあいいや。ゴーグルも新しいの買えばいいわ。
祖母に「どこに行くの」と訊かれた。僕は「プールで泳いでくるという、運動」と言った。祖母は「プールなんて近くにあったかしら」と言った。「近くはないけど市民プールがあるよ」と言うと、「あんた泳げるの? あんたそんなクションクション言ってるのに泳ぐなんて危ないわよ。やめなさい」と言われた。たしかに寝起きから、くしゃみと咳が激しかった。でも僕は気にせず出かけた。ここでやめると、昨日の自分が可哀想だ。今日の僕は、昨日の自分の指示を粛々とこなすロボットなのだ。
天気は雨で、気温は21℃だった。傘を広げ、いざ市民プール、だった。

家が建ちそうな予感。
すれ違う中学生の群れが、「お前ら理科トータル何点だった? 俺51」「俺52!」と言っていた。トータルということは、生物系と化学物理系みたいに二人の先生に分かれてるのかな。中学の、理科……。水の電気分解とかは、中学校で教わった気がする。あとは、プレパラートを作って、顕微鏡で池の水を見るとか? 対物レンズと接眼レンズは、接眼レンズを先に入れる(対物レンズに埃がたまらないように)。学校で教わった知識だけ言ってたら褒められる世の中だったら、楽なのにな〜。事前に与えられた範囲を勉強し、当日に問題を出されてそれに答えるというシステムが、僕は得意だったし、好きだった。でもそんな傾向と対策で切り抜けられるほど、社会はシンプルではなかった。むしろ大学生にもなって中高の指導要領の知識に固執し、入試のときの点数の自慢などをしているやつは、遅れをとっている側だった。この世は、正答と誤答がわかりやすく用意されているわけではないのだ。
プールにもうすぐ着くというところで、僕はカバンに何も入っていないことに気づいた。財布を忘れてきたのだ。財布を忘れて、愉快なサザエさん。現金の無い僕は、市営の運動会館の会計がPayPayを採用している可能性に賭けるしかなくなった。それはだいぶオッズの高い賭けに思えた。
それからずっと、サザエさんの歌を歌いながら歩いた。「みんなが笑ってる お日さまも笑ってる」というフレーズの「お日さま」のところにハマって、「お日さま♪ お日さお日さお日さま♪ お日さまも笑ってる日さまもお日さお日さる〜♪」と繰り返した。「おひさ」が3連符でまとめられているところと、「ひ」をほとんど発音しなくても通るのが面白かった。プールに到着した。
プールは現金しか受け付けていなかったし、そもそも水着もゴーグルも販売していなかった。最初から負けていたのだ。

僕は「見学者」になった。
プールで泳ぐ人々を見学した。平日の市民プールにふさわしいひっそりとした空間で、泳いでいる人も5人かそこらだったし、ギラギラした雰囲気もなかった。これは良さそうだと思った。
ジムも併設されていて、せっかくなので見学させてもらった。案内の人に「何か目的があって来られたんですか?」と訊かれた。反射的に「運動するためです」と答えそうになったが、そうじゃないな。筋肉をつけたいとか、痩せたいとか、そういう個別の目標設定に応じて必要な器具が変わってくるから、それを説明するために訊かれているのだ。僕は自分の目標設定、ここに来ようと思った動機を思い出した。そして案内の人に「健康になりたいんです」と答えた。「最近僕は長時間眠ってしまうし、起きていても常に身体がだるくて、疲れて動けないことも多くて。今の僕は、体力が人よりも無いのかなと思うんです。だから運動をして、体力をつけたくて」と続けた。言葉にしてみて、あらためて自分は何をしたいのかがわかった。健康になりたいのだ。

見学を終えて、帰り道。雨は続いていた。

後始末の次に書いてある字が何なのかよくわからない。でもキレイな字だ。

早くこれになりたい。
帰ったら、無意識にまた寝てた。2時間ほど寝て、起きた。夕飯を食べにキッチンに行った。そこにいた祖母に「あんた、どうしてそんなに寝られるの?」と訊かれた。僕は膝から崩れ落ち、膝立ちになって「知らん」と言った。祖母の足元にいた猫が僕を見て鳴いた。
PC作業ができない。脚が重ったるくてべちょべちょ。洗面所の床に座り込んで、泥になってる。食べ終わった夕飯の皿を洗うことができなくて、それ以降の行動が全部ストップしている。
なぜ。昨晩までやる気あったじゃん。昨日の伝言にしたがって半ばロボットになりきって手をつけることを期待したけど、だめみたいだ。水の中にいるみたいに、動くのに大きな抵抗力がかかる。昨日の自分は、やはり別人だった。過去の自分と連携をとることは、不可能だった。

馬鹿な天井がよ。

1時間くらい、この姿勢で固まっている。重力どうなっているんだ。





今日は捨てよう。
明日は、まず学校に行こう。そして帰りに水着と帽子をどこかで買おう。ゴーグルは絶対部屋のどこかにあるから、見つけよう。そして、土日に財布を忘れずに持って行って、再チャレンジだ。
げ、また懲りずに未来の自分に託しているな。彼が言うことを聞く見込みはないのに。今日、明日の自分に期待して、明日、今日の自分に失望する。これの繰り返しで、自己の連続性というものの信憑性がなくなってくる。僕は誰だ、となる。いかんなぁ。もっと自分のことではなく、他のものについて考えなきゃ。学校の授業は他のものについて考えさせてくれるから、楽しい。
仕事から帰った父に、話しかけられた。「お前、〇〇(姉)のあれ、もう見たか」と訊かれた。あれとは、おそらく姉が出産した赤ちゃんのことだった。「見たよ」と言うと父は「あ、そう」と言って風呂に入った。赤ちゃんのことをあれと呼ぶの、かっこいいな。
僕は今日を捨てた。