微熱
大抵の 18才というものは 自分が 将来 何を したいのか 何者に なりたいのか よくわからないまま 大学に 入れられて 可哀想だ
俺は 生まれた時から ミニチュア・シュナウザーと 一緒に暮らしていたから 18才の頃には 自然と 獣医に なりたいと 思っていた ミニチュア・シュナウザーは 頭がいいから 俺が 生まれたばかりの頃は 俺を 舎弟みたいに こき使うので 閉口した 母さんが 俺の方ばかり 可愛がるから ミニチュア・シュナウザーは 嫉妬して 俺の脚を 噛んだりした 俺は 獣医をめざし 生物学を学んだ 本当の 本心では 医者に なりたくて 医学部に 入りたかったけど 俺に そんな頭は なかった
生物学科に入って 学生時代は 勉強に 打ち込んだ たまに 人肌が 恋しくて 寂しくなる日も あったが 勉強に 打ち込んだ 大学院に 入っても 勉強して 俺は ウイルス学で 博士号を 取った
俺は 獣医には ならず 小さい会社に 入った つまらない 会社だった 高卒のやつでも できるような 仕事ばかり 振られて 何のために 博士になったのか わからなかった 俺の 生きる喜びは もっぱら 最近できた 恋人だけだった
その恋人は 3きょうだいの 末っ子で 長男だった 「末っ子長男」 という 人種は たっぷりと姉に可愛がられて 育つから 自分のことを 可愛いと思う気持ちに 疑念を持たない 甘え上手で 小賢しい 連中だ 俺はそいつに 甘えられて そいつのことを 好きになった そいつも 実家で ミニチュア・シュナウザーを 飼っていた 俺は 運命だと 思った
そいつは 俺に隠れて 浮気をしていた ある時から 会う機会が 減っていった 会うと あからさまに 機嫌が良くなっていた スマホのロックを 開いたまま トイレに行ったから 俺はその隙に 中身をのぞいた そこには 他の男との 逢引きの 会話履歴があった もしかしたらあいつは 俺にこれを わざと 見せたのかもしれない
俺は そいつと 別れた すごく悲しかった 本当に 末っ子長男ってのは 自分勝手な奴だ 会社で俺は 泣いた 今日は新人が うちの部署に 入ってきて 俺は その新人の面倒を 見ないといけない日だった 俺は泣きながら その新人に ぐちぐちと あいつの悪口を 言った
製薬会社に 転職した ここでは 俺の能力が きちんと評価された 良い会社だった 俺は上司に コミュニケーション能力の 高さも 買われていた 俺以外の 専門職の奴らは だいたい 話しかけても 返事が無かったり 要領が悪かったり 会食の時も 黙っているから 笑える 小学校から 大学まで ずっと 浮世離れした環境で 育ってきたから 普通の歩き方とか 普通のしゃべり方とか 普通の箸の持ち方みたいなのを わかってないのだ 俺は そういう無能たちが 嫌いだった
入社して 1か月目のとき 俺は会社の先輩に 渡航費を 出すから サンディエゴの 学会に 行ってこいと 命じられた サンディエゴなんて つまらない 俺はロサンゼルスで 遊びたかった 俺は なんとかかんとか 社長に 言い訳して ごねてごねて 宿をロサンゼルスに とってもらった 俺は 会社の金で 遊びまくった 学会も 最初の講演だけ聴いて レポートだけ さっさと書いたら あとはさぼった みんな英語で喋っているから 聴いてもよくわからないし だいたいその学会は 細菌についての 学会だった ウイルス専門の 俺がいたって ちんぷんかんぷんだ 俺は ロサンゼルスのショッピングモールで 赤い水着とか 動物柄のTシャツを 買った
新しい 恋人ができた そいつも 末っ子で長男だった 末っ子長男ってのは 何もしなくても 褒められるから 無能に育つ そいつは 俺がキッチンで 二人分の晩飯を 作っているときに そわそわと 俺の後ろを うろついた 黙って座って リビングで待っていれば いいものを 俺に任せきりで きまりが悪いのか うろつくのだ 仕方ないから 「もうすぐできるから 皿を 用意しといて」と 言ったら 「この皿に する?」「どの皿が 合ってるかな?」などと 質問してきて 煩わしかった 皿の種類なんて 自分の好きに 選べばいいのに
そいつはまた 出不精な 奴だった 俺と会うのも 週に一日 下手したら 月に一日 とかだった 二人で デートというものを したことがなかった 俺は二人で座れる 新しいソファが欲しいと思って イケアのカタログを開いて これがいいなと 言ってみたら そいつは そのソファを さっさと ネット通販で 注文してしまった 俺は一緒に 実店舗に行って 試しに座ってみたり 高級なベッドで寝転んでみたり したかったのに そいつは 感情の 機微というものを 理解しないのだ 俺は むかついた
結局 そいつも 浮気していた 俺のことよりも 浮気相手の方が 愛しくなったと 言われた 俺たちは 別れた 俺は 今度は 泣かなかった
それからは 恋人が ずっといない バーで会った奴と 一晩だけ 遊んでみたり みたいなことは あったけど だいたい 朝を迎えるころには 相手の頭の悪さとか 喋りかたのみっともなさに 嫌気が差して こんな奴と 二度と寝るものかと 思うのだった
生活は 問題なかった 会社は 裁量労働制で 好きなときに さぼれた やることだけやってれば 1年に 1000万円が 手に入った 俺は 溝ノ口の マンションの12階に 住んだ ルンバに 部屋を掃除させた 好きな作家の 犬の油絵を 壁に掛けたり ワインセラーを置いたり キリンや ライオンや 熊や トナカイの 小物を 窓辺に並べたりした 照明や ブラインドは アレクサに 管理させた 溝ノ口は 東急電鉄と JRが通っていて どこにでもアクセスが良く チェーン店も なんでも そろっている ただ 飯屋が 若者向けの 安かろう悪かろうの 大衆居酒屋ばかりで 美味い店が ないのが つまらない あと サイゼリヤとか ブックオフが イトーヨーカドーの 中にあるせいで 閉店する時間が 早いのも 気に食わない まあ それらに 目をつむれば 悪くないところだ 川崎は ガラが悪いと言う者も 多いが 俺に言わせれば 横浜の連中のほうが よっぽど ひどい
会社に行って 仕事して 適度にさぼって 家に帰ったら テレビを観て ビールか ワインか どこかで手に入れた クラフトジンを飲む そして寝る これが俺の 毎日だった 不満は なかった ただ ときどき 隣に 誰もいないことが 気になるだけだ
俺には 友人が いない 昔は 学生時分からの 付き合いの奴が いたけど みんな いつの間にか 結婚して 子どもを作って 忙しくなったか 連絡が 取れなくなった 最近の夫婦は 社会人として 一番脂の乗る 30代を 育休で 逃さないように 早めに 子どもを こさえるように なってきて いるらしい
「恋人が 欲しい」と つぶやいてみた 俺の声が フローリングに こだました 次付き合うのは 可愛い顔の 美青年で 学があって 育ちが良くて 自分の言葉で 喋れる奴が いい 週の半分は 一緒に過ごしたい あとは まあ 甘え上手な 末っ子長男とかだったら うれしい ここまで思って 俺は 自分が今年で 45才に なることを 思い出した
3年くらい前から 犬を 飼おうかと 考えていた もちろん 飼うなら ミニチュア・シュナウザーだ でも フローリングだと 犬には 歩きづらい 新しく買ったソファを ボロボロにされるのも 嫌だ そんなことを うだうだ考えていたら 3年が 経っていた
俺は アレクサに おやすみと 言って 寝た