酔っぱらいは美しいか
秋って都市伝説らしい。今日は寒風が吹きすさび、僕はアウターの上にインナーを着ることを余儀なくされた。アウターの上にインナー。何を言っているのかわからないと思うが、状況は各自の脳内で補完されたし。
俺は今、お前らとちがって酔っぱらっている。

この前遊んだ「道尾秀介×SCRAP」監修の謎解きキット。とても面白かったので、前弾を買った。今日は放課後に、友達と3人でプレイした。今回も面白かった。
すべての謎を解いてクリアしたところで、ちょうど大学の閉館時刻となり、我々はキャンパスをあとにした。雨が降っていた。1人が「俺、男と一緒にお酒飲んだことないから、飲みたい」と言った。そんなこと言われたら、飲まないわけにはいかないじゃない! 僕たちは3人で、ダンダダン酒場に突入した。

飲み放題は4杯飲めば元を取れたのだが、僕はその「男と一緒にお酒飲んだことない」奴に対抗心を燃やしてしまい、いつのまにか7杯飲んだ。生ビール、カボスサワー、ハイボール、麦焼酎、変なサワー、梅酒ソーダ、生姜サワーという順で飲んだ。その結果、僕は三半規管を失い、床に転げ落ちた。髪を執拗にかき上げて、トロトロのまぶたで怒鳴り散らした。要するに、みっともない酔っぱらいになってしまったのだ。対抗馬は7.5杯飲んでもケロリとしていた。だから僕は、醜態を晒したうえに、敗北も喫していた。もう1人は本当に酒に弱い(身体の苦痛の程度が強く、すぐ現れる)らしいので、0.5杯飲んでギブアップした。対抗馬がその残りの0.5を、これ見よがしに奪い、飲んで、僕と0.5杯ぶんの差を決定づけたのだ。
僕は楽しかった。今日ほど酔い潰れた日は、なかなかなかった。普段はそんなに飲まない。酔っぱらうのは、楽しかった。ただ、介抱しなければならない友達からすると、最低最悪だろう。帰りの電車で、僕は友達に「今のお前と一緒にいて、俺は8割恥ずかしい」とぎょうざの満州みたいなことを言われた。残りの2割が何なのかは、よく聞こえなかった。酔っぱらって理性を失うのは、迷惑千万、独りよがりで、恥ずべき行為なのだ。僕は、清々しい気持ちになった。
気持ちの良い罵詈雑言を僕に浴びせる二人に対し、僕は「酒で酔い潰れることでしか至れない美しさがある」と主張したが、それは酔っぱらいの戯言として一蹴された。酔っぱらいは何を主張しても無駄だ。歪んだ認知の先でしか到達できない美しさを伝えたいのだから、理性≒単一規格の認知のベースに則った言葉では一切の説得力を発揮できない。「酔っぱらいがなんか言ってら」と。それはその通りだった。
僕は言葉を尽くしたが、尽くすほど声のボリュームは大きくなっていったし、二人とはより議論の土俵が乖離していくので、酔っぱらいのみっともなさを露呈しただけだった。最終的には「お前の思想は、ヒッピーだ」と、既存の枠組みにカテゴライズされた。僕はそれに言い返す言葉を見つけられず(なぜなら言葉を見つけて言い返すというやり方がすでに”理性的”な手段であり、その土台に依拠する限り僕に勝ち目はないから)、ニヤニヤしてしまった。僕は苦しまぎれに「お前ら、自分の美学を語ってみろよ!」と叫んだ。でも駅に着いちゃって、友達は美学を語らずして降りちゃった。今気づいたが、電車で叫んではいけない。
書けば書くほど、酔っぱらいだな……。でも僕は今日の酩酊状態でのコミュニケーションを通して、一定のリアリティを見つけられた実感があった。だからとても満足だった。でも、この煌めくリアリティも、酔いが醒めたらつまらない代物に変わってしまうのだろうか。そもそも今の僕の記憶が、明日になっても消え去らずに残っている保証がない。日記に書きつけることで、今の僕の認知で見える世界をアーカイブしておきたいのだが……悲しいかな、通常の文体に引っ張られて、何も表現できていない。文体の力は強い。
文体の力は、アルコールより強いんだよ!!!!!!! ゲホッ ゲホッ
僕は文学を、見つけながら生活している。文学に「何を書くか」と「どのように書くか」の二つの側面があるとしたら、ここ数年の僕は後者の方により面白さがあると考えている。そしてその「どのように書くか」は、一朝一夕で発明できるものではない。どちらかというと、世界を見渡して、その辺に転がっているのを見つけて収集し、自分の手駒にしていくものだと思う。
昨日の「ココロとカラダ、まだまだ進化できる」も、僕には思いつけない文体だ。僕はこれを昨日見つけて、自分のデッキに加えたのだ。
一昨日の、文節ごとに1文字スペースを開ける書き方(いわゆる分かち書き)は、数多のゲームから貰ったものだ。
以前に書いた「お客様対応」という言葉も、僕の頭ではなかなか思いつけない。電車に乗らないと出会えない、文学。
このように、冒険の道半ばで見つけた不思議な文体たちをゲットしながら、時に自分の手札として扱って、出力とフィードバックを通してレベルアップさせていく。これが僕の生活の仕方だ。この冒険の終着点がどこなのかは知らないけど、きっと甘酸っぱくて良いところだと思う。
いま何の話しているんだっけ?
駅に着いた。僕はおぼつかない足取りで、改札を出た。交通事故が怖かったので、パートナーに迎えにきてもらった。彼の家に転がり込んだ。
今日はうれしいことが2つもあった!
1つめは、ゲーム開発作業ができたこと! この日記を書き始めて以来、ついに初めてゲームの進捗を生み出すことに成功した。やったことといえば自機周りの物理を調整しただけだけど、ゲームエンジンに触れられただけでも、奇跡のようなものだった。僕はうれしかった。
2つめは忘れた。
甘い香りの、緑茶を飲んだこと?
あるいは、ダンダダンの麻婆豆腐は、相当うまいということだろうか。
パートナーに「酒でしか到達できない美しさはあると思う?」と訊いたら、「LSDとかはまだしも、酒を飲む程度じゃそんなに……あ、でも、アルコールに依存したあとの離脱症状は、強い幻覚等が現れて境地に達するって『失踪日記』で描かれてたから、そういう意味ではあるかも」と言われた。吾妻ひでおの『失踪日記』は、「バス停にあるシケモクは長い」というトリビアを披露するシーンがすごく印象に残っている。
パートナーに好きな言葉を訊いたら、「旧臘(きゅうろう)」と言われた。
きゅう‐ろう〔キウラフ〕【旧×臘】
《「臘」は陰暦12月の意》去年の12月。新年になってから用いる語。
デジタル大辞泉(小学館)
「昨年の十二月」という意味らしい。なんて局所的な言葉だろう。レイピアのように尖っている。
ちなみに僕の好きな言葉は「種牡馬(しゅぼば)」。
じゃ、おやすみ。酔っぱらいのララバイ。