ご安全に
起きなかった。寝なかったから。
ここ1週間、僕の行動は荒れていた。はずみで、人を悲しませることや、人に迷惑をかけることをした。あと異常に、家族や知人友人に対して話しかけまくった。憑りつかれたような(という書き方は無責任だが)アクティブさで、1週間の出来事とは思えないくらいたくさんの行動と他者とのコミュニケーションをした。
短期間に、ずいぶん別人になってしまったように感じる。それはある側面においては事実だ。僕は「人として」のレベルでよく議論されるやらかしを人生で初めておこなったので、「そういうことする人」の烙印を明確に負ったのだ。これは決定的な変化に感じる。僕は、そういうことする人になったのだ。
身の回りの人に対して話しかけまくったのは、現在位置を把握しなおしたかったからかもしれない。まだ僕は大丈夫だと安心したかったのかも。「そういうことする人」になった僕は、もはや自分の行動を倫理で説明する権利を持たないし、合理で説明する権利も失ったように思える。自分の主張が信じられない。思考も信じられない。だから、今自分が有効な存在として生きているのかが不安になって、他者に対してちょっかいをかけるのだ。ツンツンして、自分が霊体になっていないことを確認したいのだ。
ツンツンした結果、安心が得られたかと言えば、よくわからないことになっている。どの人との間にも何となくのずれを感じている。その原因はまさに僕である。
死なずに今後も生きるのだったら、ふわふわした今の実在感を、受け入れるなり、解きほぐすなり、放置して寝るなりして、社会活動を続けなければならない。現状について、もう別に言い訳をしても意味がなく、贖罪をしても意味がなく、また自責や罪悪感も意味がなく、秘密があったってなくたって意味がない。意味の在りかに根拠を失っているのだから。僕は僕の目的がわからないのだ。何を目指して生きているんだっけ。
目指し。めざし
なにはともあれ、今は身体的にも精神的にも極端な状態であることを自覚しよう。グラデーションの中で曖昧に存在しているというのが、大体のものごとの真理だ。リハビリするみたいに、生活のやり方を思い出していくか。
人や自分のことをいったん忘れようと思った。僕は今座っている椅子を触ることにした。ゲーミングチェアだった。1月2日に買ったものだった。手すりは前後と上下にのみ動き、回転はしなかった。頭を倒すと、枕みたいなやつが首に当たる。反発がある。
口の中には「チューイ」が入っていた。チューイというのは、歯列矯正のためのマウスピースを歯に定着させるために噛む、食べられないオブジェクトだ。チューイは白くて、表面がざらついた円柱形だった。舌で転がすことが可能だった。
あとは部屋には何もなかった。LEDの室内灯が、部屋のありさまと僕の認知の関係を担っていた。そのことに気づくのに時間がかかった。頭は回らない状況だった。
この部屋は、僕のためにある部屋だと思っていたけど、もしかしたら違う気もしてきた。僕の物がたまたま多いだけでは。僕の物?
貧乏ゆすりが思考を打ち消している。気持ち的には今は、無と、全体に締めつけられるような毒ダメージが半々だ。そこから無力感と無気力感が生まれていて、結果として「どうでもい――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ひとつひとつ対処していこうと思う
感触を大事にしていく
大事を大事にしていく