苦労のない穴にさようなら
目覚めた時から、今日はだめな日だとわかった。
一日中、ベッドの上で過ごした。こうなった原因が、僕にはわかっていた。
恥ずかしい話だけど、昨日のオタマトーンの件が、いまだに頭にこびりついているのだ。放課後、休もうとする僕の隣で、当てつけのように大音量のオタマトーンを鳴らし続ける友達。そこに僕は、なにかしらのネガティブを読み取っていた。幼稚な悪意らしきものを向けられ、物理的な不快を押しつけられたことに、予想を超えたダメージを受けていた。こんなつまんないことで体調を崩さないといけないんだ。僕は自分の精神容量の少なさに呆れた。世界初、オタマトーンで、鬱になる人。
これだけの分量の文を書くくらいには、ガス抜きを求めていたんだと気づいた。僕は彼のことを、十分気にしているらしい。気にしてしまっている。僕は彼と関わることに「疲れている」のだと思った。「疲れる」と「傷つく」は、脳や心をすり減らしているという点において、同じだ。昨日の日記は「友達」というものの是非について考えるにあたって「悪意や加害がそこにあるか」というレベルで考えていた。そのため「彼は僕を疲れさせている」ということは、考慮していなかった。そもそも気づかなかった。
三大珍味、トリュフ。
何も考えないことにした。
僕は気持ちをざわざわさせるイベントに出会ったときは、書くことによって考えをまとめ、把握しようとする。でも、ビンタをしてオタマトーンをかき鳴らす彼について、同じように把握しようとすることは、いくつかの点で避けるべきだ。
・今までにあまり悩んだことのないことを考えなければならないので、負荷が大きい。そして難しい。現時点で僕はだいぶ混乱し、迷走している気がする。この件は弁護士費用が高いし時間もかかるから、訴訟を取り下げるのだ。
・考えをまとめた先で僕は何かの「判断」を下そうとしている。今後の対応を決めそうなのだ。でもそれもまた、負荷が大きそうだ。もし何かの判断にたどり着いたとしたら、僕はこれから彼に対しよりアップデートした相互作用を仕掛けていこうとする。あるいは、意識的に彼を避けて自分を守ろうとする。でもそうしたところで、彼はまた新たなやり口で僕にちょっかいをかけてくるだろう。で、それを受けて僕は、また日記を書いて自分を宥めながら、一晩かけて次の判断を探すのか? その応酬は、本当にやるべきことなのか? 彼は、ああ言えばこう言う、無敵のカットマンだ。無敵のカットマンを前に僕がやるべきことは、球を前後に揺さぶって消耗を誘うことではない。今すぐラケットを置き、試合から降りることだ。
・考える内容がくだらなすぎる。真面目に取り合ってたら、小学生に後戻りするようだ。僕はもっと楽しくて意味のある、別のことについて考えていきたい。
・
・終わり! 解散。
・明日は生きてみせる。

知り合いが「これ、お手玉の味がする!」と言っていた伊藤園の黒豆茶を手に入れた。飲んでみた。なるほど。なんだか、市民センターで地元のおじいさんおばあさん達と交流する授業みたいな味がする。ものは言いようだな。美味しかったDeath。
何もしていません。
何も知りません。
爪ならここにくる前に、家でぜんぶ剥がしておきました。
よろしくお願いしますね。