因果のピアノ線
風によって形が連続的に変化する砂丘の上を歩いていた。海岸線も有機的に動き、足元が波間に浸かったかと思いきや、また柔らかい砂に覆われた。ここではどのように過ごしてもよかった。目指すべきところはなく、僕は生きていること以外の何の方向性も持たなかった。ただ心地よさがあった。
23時に起きた。夢で見た動く砂丘は、生成AIのハルシネーションにも近い気がした。12時間ほど寝てた。夢を10個くらい見た気がする。10個の世界を経験した。その10個に今いるこの現実世界を合わせた11本の世界線の束があって、そのうちの一本の上にいるという感じだ。23時。今日が締切だった大学の展示計画書の存在を思い出し、急いで書いた。普通に間に合わなかった。何食わぬ顔で遅れて提出した。Adobe IllustratorでPDFを作成し、提出する世界。つまらない寄りの世界だ。でも夢の中にはもっとひどい世界もあった。ある夢では、僕は水で満たされた海底のダクトの中にいた。いつ息継ぎできるのかわからない恐怖のなか必死に泳ごうとするが、前と後ろどちらに進めば脱出できるのか見当がつかなかった。別の夢では、巨大な気色悪い赤い口の多い蟹みたいなクリーチャーが降りそそぎみんな死んでいった。片脚しかなかった僕は自分の力だけでは走れず、両脚のそろっている人たちは僕を見捨てて逃げていってしまうので、協力してくれそうな片脚の人を他に探していた。
パソコンの前で、うなだれている! モニターは点いているのに、作業を始められない。手をマウスの上に持っていき、カーソルをゲームエンジンのアイコンまで運べさえすれば始まるのに。LINEの連絡が、何件も溜まっている。部屋の照明とモニターの明るさのバランスを、延々と調整してる。どうやってもどちらか一方が刺すようにまぶしくて、頭が沸/涌いてくる。空調も上手くいかず、暑いし寒いし空気が薄い。窓を、開けたり締めたり。そのたびに身体を動かすことがつらい。
展示イベントは、あと13時間くらいで始まる。展示用ビルドの進捗は何パーセントと言えばいいのかわからないが、芳しくはない。自分は締切の直前期に集中力を発揮して作業をする傾向があるけど、もっと直前(24時間前くらいから)になると、逆にさぼりだすことが多い気がする。どういうしくみ。
さっきまで「結構やばい状況かも」からくる絶望感で無気力だったけど、だんだんと無気力の根拠がニュートラルな無常感に移行してきている。いい移行だ。僕が明日のイベントにどれだけボロボロな状態で挑もうと、海中のダクトで窒息させられるわけではないし、片脚をひきずりながら蟹クリーチャーに追われるわけでもない。池袋PARCOで、そこまで凄惨な出来事に襲われるとは思えない。だんだんと、どうでもよくなってきた。知らぬまに唇の裏に破廉恥な口内炎ができていて、やたらと痛い。でもその痛みも、どうでもよくなってきた。痛みは所詮、痛みだ。僕は祖母を起こさないよう、静かにコーヒーを淹れた。
進路について悩んでいるな。今やるべきはどう考えても明日展示するゲームを完成させることなのだが、あえてそれをせず、進路のことを考え始める大胆さ。トロヤマイバッテリーズフライドの大胆さ。重要っぽいLINEが来てるけど、それを無視して悩みごとにふける大胆さ。もう深夜だから、いますぐ返信しようが朝に返そうが変わらないだろう。いや、ちがうな。今のは後づけの言い訳だった。重要っぽいLINEを無視してる本当の理由は、送られた文章のなかに何か自分が傷つきそうな内容が含まれていたら嫌だなと怖がっているからだ。それと、LINEにかかわらず今はすべての行動がめんどくさいからだ。これだ。言語化するとずいぶんくだらない理由だとわかったので、僕はもう今すぐ返信することにした。
返信した。コーヒーもできた。小さなおせんべいを齧りながら飲む。
就職したくないな。人の話を聞くほどにそう思う。大手の会社に籍を置くことは、僕の能力とhappinessが最大化される生き方ではないと自覚させられる。企業面接を受けて、いっそう痛感した。自分の強みや望みを深堀りし、語っていけば語っていくほど、それって会社に入ってやる必要ある? となる。人からそう言われるし、自分でも思う。そしてこういうこと考えてると、就職したくなくなる。会社に入って僕がやることは、僕でなくてもやれることだ。
しかし、この自己分析はあくまで、自分の能力や(自己実現として)やりたいことだけを見て、それを主軸に人生を運営していくことを前提とした話だ。僕の実状は、感動や熱量にものを言わせて(=強みを活かして)作業してる時間を1とすると、精神をいわして寝込んだり、やる気なくて山や寺に逃亡したり、友達やパートナーに会って喋ったりなど「やりたいことから目を背けている」時間が18くらいあるのだ。僕を活かすことだけが僕の人生ではない。桜井正博のような生産にフルコミットできる超越的存在とは違い、僕はそのへんに転がってるタンブルウィードのひとつにすぎない。タンブルウィードは草の塊のことであって、特定の植物種を指す言葉ではない。僕は夢を語りながら、徐々に息切れしていって、うやむやに老いさらばえて、最期にはそれなりの満足感にひたりながら、死ぬ。ごく普通の(?)存在なのだ。独立してゲーム作りをやっている周りのゲーム開発者の方々のような、一点集中的な熱意があまりないみたいだ。だったら、就職したい。安定したい。
理解できていないことがある。大手ゲーム会社で働いてる大人たちと会う機会が今までにいろいろあったのだけど、彼らの中には明らかに僕に近い人種も多いのだ。「話が通じる」と言ったら偉そうになってしまうけど、いろいろな面で僕に近い人種だ。メディア批評的な考えかたを持っている人や、ゲームの市場や商品価値よりも表現媒体としての可能性にまなざしている人、自分だけの感覚を大事そうに語る人、めちゃくちゃ本を読んでいる人とか、さまざま。いわゆる大手のメーカー気質にハマらない、いかした「尖り」を僕よりもずっと研ぎ澄ましている素晴らしい人たちがいる。そんなみなさんが、大企業で『〇〇〇』とか『△△△』とか『×××』みたいな、金ばかりかけて新奇性のない殿様商売のゲームの開発に携わっているのは、一体どういうことなのか。僕にはよくわからないのだ。彼らの哲学が、彼らの所属する会社の製品に反映されているようには見えなかった。でも彼らと話してると、生き生きと楽しく暮しているように見えるし、やっぱりすごい人だなあと憧れる。何が起こっている?
これが「会社とプライベートを切り分けてる」ってやつなのだろうか。企業の思想に阿ることはせず、入社する力はあるからとりあえず入っておく。それで高給の生活を維持しつつ、会社の仕事以外の別の時間にプライベートの豊かさを育てていく……みたいなライフプランでございましょうか? そのプライベートの過ごし方が、人によっては具体的なアウトプットにつながっている場合もあるし、成果物は特にないけど着実に魅力的に、肌がつるつるになっていっている場合もある。結果はいかにせよ、目は輝いている。そういう生き方というのが、あるらしい。
そのバランス感覚は結構、憧れるな。
今の僕は「就活市場」の力場にはまりこんで、視野がせばまっているのかもしれない。キャリアセンターの方や面接官と話すとき、僕はまるで「私は生産することが大好きで、私の強みを活かしてやりたいことをやりたいです!」みたいな顔をしている。僕はいつのまにかその「自分のやりたいことをやるのが人生!」みたいな、理想すぎる指針を内面化してしまっていた。こういうのはもっと、お給料をもらうための方便、くらいの認識でいいのかもしれない。みんなそう思ってやってるのか? 僕が真面目すぎるのか? だって猫も杓子も「自己分析」と言うんだもの。自分のやりたいことや得意な部分、その逆の部分ばかり考えてしまっていた。自分の生い立ちを思い出すときも、それらのパラメータに還元する形でしか解釈していなかった。本当は自分の創作論とはなんら関係のない、面白いだけの人生経験もたくさんあったはずのに。僕は就活の魔力を実感した。脳にコルセットを巻かれているみたいだ。
たぶん、就職したいという気持ちと、就職したくないという気持ちは、両立するんだろうな。
何社かだけESを送って、それだけ全力で頑張って、そのすべてに落ちたいという期待すらある。ナチュラルに退路を断ってしまえば、今後の人生が面白い方向に転がりそうな気がした。就活失敗しちゃえば、話は早い。そんなよこしまな考え……。
僕は前の大学を中退してぼんやり生きていた時期に「『普通』はそう簡単に手放してはいけない」ということを強く学んだ。だから再入学してからの進路設計は、ずいぶん真面目におこなってきた。就職するためには、学生のうちにアピール材料になる成果を作っておかなきゃいけない。テレビ局と関わってデンパトウを売ったり、Death the Guitarで賞をもらったりと、自分で自分を褒められるくらいには食いでのある成果を生むことができたのは、その強迫観念にしたがって行動してきたおかげだ。ただ、これらの精力的な活動は、なんだかんだ僕の頸椎にたしかなスリップダメージを加えていたようだ。気づいたら、鬱状態で寝込む日が多くなっていた。無理をしてたみたいだ。悩ましいな。僕は本来の性質として、真面目にはなれないらしい。中退したころの自分のことを、僕は「考えたらずな昔の自分がスイマセン」と評価していた。でも、そうやって一概に卑下することはできないな。僕は結局のところ、中退すべくして中退したのかもしれない。その中退スピリットは、いまだに僕の胸に宿っている。僕は、変わっていないのだ。
ただ4年前とは違うのは、「大卒歴を手に入れて、企業(できれば大手)に就職」という定番のキャリアコースからあぶれても、今の自分ならなんとなく生きていける気がしているということだ。ここ数年で、たくさんの人と会ってきた。人生、やり方はいろいろあるということがわかった。でも逆に、そうやって自分なりのセーフティネットを考慮できるようになったからこそ、新卒という二度と訪れないチャンスは活用した方がいい気もするんだな。いつでもレールから外れて大丈夫なんだったら、辛くないところまではレールに乗っておいてもいいんじゃないか、と。ああああああああああ。わからない。結局僕は、どうしたいのか。わからない。どうしたいのかわからないなどと抜かすと、キャリアセンターには「自己分析を深めましょう」と一蹴されそうだな。でもどちらかというと、どうしたいのかわからない者ほど新卒入社を選ぶのでは。
「僕はどうしたいのかわからない」という問い自体、いまいち的を射ていない。やりたいことを100%実現する環境を目指すのが、進路選択の正解ではない。「疲れない」とか「自尊心を保てる」みたいな、併せて考えるべきパラメータは他にいくつもある。僕はこの先どうなるのが”適っている”のか。その答えにたどり着きたいのだ。わかんないよ~!
入学して早々に不登校になった、前の大学。僕はなぜあそこに入ったのか? たぶん家族の真似をしたのだ。両親や姉と同じ大学に入って、馬鹿にされない人になりたかった。あと、高校がそもそも学業に力を入れるクラスだったので「目指せる範囲でなるべく偏差値の高い大学に入ろう」という思想がベースになっていた。模試の点数ランキングなどが毎回廊下に掲載されるものだから、僕は頑張らざるを得なかった。僕は当時「ヒカキン」という名前で模試を受けていたので、ヒカキンをランキング上位に登りつめさせることに全力を注いでいた。そんなふうにテストを頑張れば、効率よく周りからの尊敬を得られた。それにかまけた僕は、それ以外の価値に目を向けることをさぼったのだ。僕にとって、高校時代は天国だった。友達も面白くて、毎日自由気ままに暮らせた。何となく、いろいろと許される環境だった。授業中に寝ても折り紙を折ってもマリオカートDSをやってもボイコットしても怒られなかった(怒られた気もする)。当時は、悩みらしい悩みがほとんどなかった。でもそれは、自分と向き合う時間が不足した期間だったんだなと思う。甘えた環境で、僕は成長不足なまま高校3年間を終えたのだ。志望大学だけ決めて、その後の進路のことは全く想像していなかった。考えたらずだった。高校で一緒に気ままに暮らしていたはずの友達の一人は、一浪した後に進路を見直して美大に入っていた。目先にある偏差値の物差しから離れて、もっと遠くを見据えたのだ。僕が美大に入ろうと決めたのは、彼の3年遅れだった。彼は今、大学院で制作をしている。
高校時代はでも、それだけじゃなかったよな……。放課後に帰宅したら、スカイプで他の高校の友達と通話をつなげ、TRPGをやったりした。一人でSteamのゲームに没頭していたし、動画編集してニコニコ動画に投稿したりもした。受験勉強のために通っていた図書館では、勉強をさぼって西村賢太、今村夏子、川上未映子、中村文則、吉田修一の小説を読んだ。通学定期を使って、遠くの知らない市の自然公園を歩いた。そこのあずま屋のベンチに寝そべって、屋根の梁を目で追った。他の梁と交差して出来上がる角度に、指を添わせた。模試の点数よりも、そういう体験によって感じるきらめきの方が、僕にとって重要だった。偏差値以外の価値観を反映する材料は、いくらでもあったんだ。でも当時は、そのことに気づいていなかったらしい。
気づけなかった。そんな高校時代の僕のことも、いまや馬鹿にできない。僕はいまだに、視界が晴れないまま何となくで舵を切っているのだ。まだ気づけていないのだ、こいつ(ト)、まだ気づいていないぞ。どうすりゃいいのかな~! アー!
アー!
アー!
PARCOのゲーム作るか。「どうすりゃいいのかな~!」と言ったらそれはもう、明日展示するゲームを制作することだろう。今作らないと、明日展示されない。すごい。こんなに生々しい因果律を前にすること、なかなかない。イベント開始まで、あと9時間くらいしかない。今の僕の身体には、未来を告げる五線譜がまとわりついている。これを取り払う努力をしないと、僕は9時間後、スライスされて死ぬのだ。
徹夜することはすでに確定している。たぶん今から始めても間に合わないのだけど、間に合わないからってやらないわけにもいかない。状況はもはや「間に合う」か「間に合わない」かの二元論ではなく、「間に合う – 間に合わない」間のスペクトル上でどこまで駆けのぼれるかのレースになっている。さっさと(さっさと!?)作業を開始して、手の動く限りやって、くたばって、ジュワッと。蒸発しよう。

作業のためにidoを一度通しでプレイしたら、誰かが作った良いのを見つけた。詩はサーバーに、計2950個投稿されていた。荒らされたりしていないかなと少し心配していたけど、問題ないみたいだ。どの詩もユニークだった。なんて良いシステムなんだ。僕は感動した。作って良かったな……。
idoを展示仕様にビルドしなおす作業が終わった。コントローラ対応と、スタンドアローンで動くようにする作業。思ってたより時間をかけてしまった。出発まで、あと4時間くらいしかない? そしてここにきて、眠くなってきてしまった。まぶたが、まぶたが、いうことをきかんあ。
今からD_ELLを作っていく。とりあえず、さっきidoでやったコントローラ対応と同じことをやった。
タイトル画面作らないと……! 作った。
「カスタムコンストラクタでデフォルト値を設定」だぁ~? あ、理解しました。
あと2時間で始まる。移動時間を考慮すると、あと1時間で? 終わらせて? 荷物まとめて出発? 8000%の確率で間に合わなかった。僕は先方に、遅刻しますの連絡を入れた。idoのビルドはクラウド経由で渡してあるので、少なくともそっちは展示しておける。あとは、とにかくできるだけ早く、この手元のプロジェクトを完成させて、exeにして、zipにして、USBに入れて、カバンに入れて、自分の肉体もろとも池袋に移動させるのだ。
人に迷惑をかけている。
秒読みで魂が黒ずんでいってる。

顔が裂けてきた。