池袋サウナーズ
2人1組で体の一部分がくっついていることが当たり前の世界を舞台にしたマーダーミステリーを遊んだ。ゲームに使うパーツを、厚紙の枠からちぎっていった。各カードに、トランプの絵札のように「くっついた登場人物たち」が対称的なポーズで描かれていて、どんなゲームが始まるのだろうと想像した。
という夢を見た。池袋PARCOに行った。今日は「すみませんが疲れをとりたいので、充分に寝てから遅れての参加とさせてください」とあらかじめ伝えておき、遅めに会場入りした。こういうこと言えるようになった。

スタッフさんがクラフトビールを奢ってくれたので、同じく展示していたゲーム開発者友達の二人と、ブース近くのテーブルについて飲みながらしゃべった。学生証の顔写真の話になった。僕は「僕の学生証、すごいですよ」と言って、学生証を二人に見せた。一人はそのとき僕の学生証に記載されていた生年月日を読み取ったらしく、年齢の話になった。我々が同い年だったことがわかった。ふたりとも25歳だったんだ。てっきり26歳と28歳だと思ってた。僕は一応まだ24歳だが、今年のうちに25になる。25歳、本当に嫌だ。くそが……。
あ、ウワー!
一眼レフ持ってくるの、今日も忘れた!
玄関の靴の前に置いてたのに。無意識に跨いだってことか? 僕は自分が信じられなかった。今日が最後のチャンスだったのに。PARCOで出展したなんて、ポートフォリオに載せてなんぼの経験なのに。スマホでは、ろくな写真を撮っていなかった。呆れた。
今年のTGSで知り合ったこれまたゲーム開発友達が、展示を見に来てくれた。彼は『D_ELL』の感想を伝えてくれた。話が盛り上がった。彼はいま中学1年生だが、まるで同い年と話しているのかと思うくらい話しやすい。
彼からいろいろと、今考えていることや相談ごとを聞かせてもらった。それについて、自分の思ったことを言ってみた。たとえば、こんな感じの話をしていた。
「中学校にいると、どうしても環境が一定のメンバーで固まっちゃって……もっと自分にはない価値観や知識を持つ人に会って、成長したいんですけど。高校は専門性の高い、僕じゃできないことをしてる人のいるところに行きたいんですよね。テスト期間とか憂鬱で。学校の勉強って、僕には勉強のための勉強をしているとしか思えないんですよね。それって意味ないし、たとえそれを頑張っても、ものすごい競合が多い世界になるじゃないですか?」
僕は「環境という意識があるんですね。今の時点でSNSで積極的に交流したり、イベントに足を運んだりしてるし、ちゃんとみずからカオスを取り込んで、自分を上のレベルに持っていこうとする姿勢があるように見えるから、充分やることはやれてると思うよ。高校についても、そういう基準で選ぶのかな。僕がひとつ思ってるところとしては、外側から見てずいぶん魅力的に思えた環境も、いざ入ってみたら案外大したことなかったってことは結構あるってことですかね。多分どんな高校に行っても、君はある程度物足りなさを覚えることになると思うよ。だからまあ、高校選びはさほど重く考えすぎず、今の自分の足でどんどん刺激的な環境に身を投じていく前傾姿勢を大事にしていったらいいんじゃない。学校の勉強は……そうですね、勉強って小学校からまるで必須の作業のようにシームレスに続けさせられるのに、大学あたりからいつのまにか一部の好きな人だけがやるニッチな『学問』になって、尖っていくよね。急にみんななんかいつのまにか、いままで研いできた学術をうっちゃってテレビ会社とか商社とかに入っていくの、意味わかんないっすよね。今は学校でやらされる勉強には意味を感じないかもしれないけど……作品の舞台設定をつくるための資料収集とか、アクションの質感を良くするために実際の物理現象を数式にしてみるとか、そういう狙いを絞った勉強なら、楽しくできると思うよ。で、僕の肌感だと、そういうことが得意な、いわゆる面白い人?は、普通に勉強も得意で、普通に偏差値の高い学校に多く集まっていたりする。そういう、つまらない現実はひとつある気がする」と言った。大学を中退した者が進学について助言して大丈夫なのかな。
「僕って十割ロジックで考えちゃうタイプなんです。絵描けないし。トロヤさんの作品みたいに、感性的な部分を表現できなくて……そういうの取り入れて、唯一無二の表現をしたいんですけど。トロヤさんの日記を読んでると、たとえば歩いたりしながら、見たものから色々なことを感じとってるなって思ったんです。僕、動くの速くてそれがないんですよね。走っちゃうんですよね。だから足が速くなっちゃって陸上部に入ってるんですけど」
僕は「美大で勉強していて感じたのは、いわゆる感性に訴えかけるような美的表現も、それをつくる過程には緻密なロジックが込められていたり、逆にプログラムによる実装みたいなロジック作業も、感性によってイメージされた理想があらかじめあって、それに向けてつくられていたりするってことですね。だから、細かいレベルで見ると、どんな作業の中にもロジックと感性は両方とも織り込まれていると思いますね。『今ロジックだけで作っているなー』と思っていても、その裏に君の感性がきっと隠れていると思うので、そこを分析してみるといいかもしれないですね。あと君は、自分にはできない作業はそれができる他の人をチームに引き入れることで補うことができてるから、自分に無い能力は無いままでもいいんじゃないですか? 僕は表現の一部を他人に譲ることがめちゃくちゃ苦手で、これは本当にただのコミュ障みたいなことなんで、僕はそれができてる君の方にあこがれを感じます。僕の作品は自分の力ではできない表現はとにかく諦めて選択肢からはずして、できることだけでまとめる方向で作られているので。その制約が作風に繋がっている部分ももちろんありますが、一生その制約の上でしか物作りしないのも違うから、どっかで殻を破らなくちゃいけないなーっていう問題意識はずっとあるんですよね……。絵は僕も下手だよ。動くの速いんだね。じゃあ今日はゆっくり歩いて帰ったら? ゆっくり歩くと、視界に入ったオブジェクトについて、少なくとも視界に入っているあいだは考えをめぐらせることができるので。それに内蔵されている文脈やアフォーダンスについて考えられて、結構楽しいよ」と言った。
「インプットとアウトプットって、どっちの方が好き/重要ですか? 形にするのってもちろん大事だと思うし、ゲームのハッタリが利かせられる部分が僕は好きなんですけど、それにしてもインプットが伴っていないと、中身のない作品になっちゃうかなと思って。僕、効率主義なところがあるし、インプットがどうしても足りないかなーって。そこのバランスって、みなさんどうしてるんですかね?」新社会人みたいな悩みだ。
僕は「その二つでいうと、僕の性質はかなりインプット偏重だと思います。アウトプットは本当にやる気がなくて、鬱になる。めんどくさい。作業中、プログラミングに快感を覚えたり、思いもよらない奇跡的な絵が描けたりして楽しくなることはあるけど、それも思いがけない表現の発火に感動している、言ってしまえばインプットの喜びだよね。アウトプットそれ自体は、ほとんど苦痛です。僕はありきたりだけど散歩したり、旅行したり、本読んだり、映画見たり、人と話したり、ゲームしたりするのが好きで、そういうので世界の豊穣というか、『生きててよかった〜』と思える要素をたくさん取り込んでいます。それは無理なく出来るほうだと思います。ただそれを伝えるため———『世界はこんなにも素晴らしいんだぞ』というのをみんなに教えるためにアウトプットしようとしてるけど、こっちはまいどまいど技術が足りなくて、やる気も足りなくて、妥協してしまって、僕の感じている豊かさを100%は出力できなくて、グヌヌとなってる。体力がなくてさあ、僕は君のエネルギーが羨ましいわ。インプットに不安があるなら、少なくとも僕の日記を読んでくれてることだし、僕はこれからもかかさず書いて、君のインプットの一つになることにしますね。ぜひ僕を肥やしにしてね」と言った。
僕からも彼に相談した。「大手の会社にあまり魅力を感じなくて。でもDeath the Guitarをリリースして売り上げを見てみないことには、生計が立つかわからないし……だから今年の新卒入社の権利はなるべく使いたいんだけど。大手にこだわらないんだったら、比較的小規模な会社で副業を許してくれる環境があったりするし、そっちの方が自分に向いてるかなーとも思ってる部分もあって。どう思う?」
彼は「僕だったら、これだけ作品がつくれるなら、全然これを続けてクリエイターとしていける気がするっていうか、僕だったら会社員になろうとは思わないです。会社ってどうしても、作りたいゲームを作らせてもらえる場所じゃないじゃないですか」と言ってくれた。
いくらでも話しちゃうな。彼はいろんなことを質問してくれた。おかげで僕は、自分が何を考えているのかを人に話す練習ができた。もはや面接練習だな。彼は「僕が大人になるまであと5年? まあ7年ですかね。この7年のうちに、もっと実力をつけて、クリエイターとして戦えるようにならなきゃな」みたいなふうに意気込んでいた。彼の利発さに比べ、自分が中一だった頃はどうだったかと考えると、ウッとなる。中一ということは、12歳年下? もしかして、君も、うさぎか? 干支が同じなのか? それは……。最もフィジカルで、最もプリミティブで、最もフェティッシュなやり方で行かせていただきます。
謙虚に色々と尋ねてくれたが、僕から見たら彼は、どのようにでも上手くいけそうだった。他人の口出しなど聞かずとも好きに生きておけば、きっと大丈夫だし、なんでも成し遂げてしまえそうだと思った。そう思ったという話をあとでGCGの方にしたら、「僕は同じことを、トロヤくんにも思ってますけどね」と言われた。なるほど……? 自分のことが大丈夫とは、まったく思えないのだが。でもたしかに、僕が人に悩み相談するとき、相手にはそんなふうに思われてるのかもしれない。
でも僕は、本当に大丈夫ではない。圧倒的にhealthが足りていない。誰か助けてくれー! 中一の彼には、ぜひ健康に暮らしてほしいと思った。毎日いっぱい寝ることを決めているらしいから、今のところ言うことはなかった。僕が他のクリエイターに対して自信を持って言えるアドバイスなんて、「とにかく寝よう。不調になったら、病院に行こう」くらいしかない。これ以外に確信を持っていることなど、ない。これじゃあノウハウ本を出すには、中身が足りない。印税生活は厳しい。あと言っている本人が、全然規則的に寝られていない。
もうすぐイベントが終わりそう。
一度話してみたい思っていた大学の先輩(ゲーム会社への内定が決まった4年生)と、スマホでビデオ通話をした。本当はイベントを早抜けして、自宅で通話する予定だった。しかし、いつのまにか会場で「このあとメンバーみんなで飲み会しましょ〜」という流れが生まれていて、それをうまく断れなかったので、展示の最後までPARCOの屋上にいなければならなくなった。そのため、会場でダンスミュージックが流れるなかでのビデオ通話になってしまった。
守秘義務がどれくらい厳しいのかわからないので、具体的なことは書かないようにしとこう。彼/彼女は、なんと前から僕のことを知ってくれていた。TGSではデンパトウも遊んでくれていたらしい。え! うれしいな。『Inscryption』も好きなんだって。好きなゲームまで同じ!
その先輩に、就活のあれこれをたくさん質問した。僕のポートフォリオを見せてアドバイスをお願いしたら、ほんのり改善点を指摘してくれつつ「めっちゃかっこよくて良い感じと思います!」と褒めてくれた。
色々と不安な点を質問したけれど、おおよその答えが「心配しなくても大丈夫ですよ。トロヤさんらしく、飾らずに挑めばいいと思います。たとえ内定をもらえなかったとしても、それはその職場が合っていなかったというだけですし」といった結論に着地した。最近就活の相談をかたっぱしから聞いて回っているけど、大体の人がそんなふうに言うのだった。きっとこれが就活の公理なんだろう。
謙虚に色々と尋ねてくれたが、僕から見たら彼は、どのようにでも上手くいけそうだった。他人の口出しなど聞かずとも好きに生きておけば、きっと大丈夫だし、なんでも成し遂げてしまえそうだと思った。
先輩にも、これを思われていたのかな?
彼/彼女は、驚くほど物腰柔らかで、丁寧な言葉遣いの人だった。キャリアセンターの人が「すっごい人格者」と評したのも頷けた。自分との違いを痛感した。こんな朗らかな人、一緒に仕事したくてたまらないだろう。話しやすさだけでなく、明快さとか、アイデアの精度とか、それをわかりやすい言葉で伝えてくれる感じとか。ぜひとも我が社に欲しかった。僕は「先輩はご自分のこと、変わっていると思いますか?」と訊いてみた。彼/彼女は「変わってない人なんて一人もいないと思います。みんなが各々の方向に尖りを持っています。それらが集まってウニみたいになって、社会は全体として丸く見えているのだと思います」と言った。ウニ。
会場の解体作業が始まったので、通話を終わった。話してみて、僕はどう頑張っても先輩のような人物にはなれないなと思った。ふだん「干からびた胎児 わたしは 平手打ちを食らわせた」のようなことばかり考えている僕は、自分に人材としての価値があるのかどうか、自信がない。でもまあ、いいや。自分は自分らしく、やっていくしかないウニね!

魚吉で飲み会に参加した。飲み会は苦手意識があるのでなるべく断るようにしてるのだが、今日は参加した。
Kさんというゲーム業界歴30年くらいのベテランのおじさんが、すごくおしゃべりだった。Kさんは大のサウナ好きだった。フィンランド式サウナを学ぶため現地へ研修に行ったり、日本各地の有名サウナに足を伸ばしていた。僕の対面に座っていた友達が、Kさんによるサウハラ(サウナーの執拗な宗教勧誘)を受けていた。熱烈な布教に見舞われた彼が「そんなもん、麻薬でトリップしてるようなもんじゃないですか!」とつっこんだら、Kさんは真面目な顔で「いや、そうだよ!」と言った。
場は笑いに包まれたが、サウナが麻薬体験に近いのはその通りだ。サウナが目指す境地は、一部の薬物、瞑想、マインドフルネス、ヨガ、禅、認知行動療法、宗教的儀式などが目指す精神空間と相似をなしている。思考を無に追いやって、自我の意識を絶って、普段我々が認知している世界の、メタの世界。さらにそのメタの世界。さらにそのメタのメタのメタの……無限遠に耽るのだ。無限再帰のコードを与えられるとフリーズしてしまうコンピュータの電子回路とは違い、人間の脳のネットワークはその無限再帰を受け入れることができる。サウナはドラッグとは違って外的な成分に頼らないので、健康被害としてはだいぶマシ(体に直接的に良いとはあんま思えないけど)だし、何より合法だ。Kさんは「断食や過酷な巡礼、神社の階段がやたら長いことなんかも同じ。いわば身体を極限まで追い込んで、思考を打ち消して、一つ上のレベルに行って”悟る”んだよ。フィンランドなんかじゃサウナ研究が盛んで、それを突き詰めた結果、世界中のセレブ達は今、極寒の雪原を全裸で走ってるよ」と言った。
僕が大好きな本『ゲーデル、エッシャー、バッハ』には禅の分析に章を割いているところがあるし、僕自身も認知行動療法について調べていた時期があったので、Kさんたちが演説をぶっていた”サウナのすばらしさ”は、けっこう興味深かった。Kさんも『ゲーデル、エッシャー、バッハ』を知っていた。「禅の実践をしてみたいんですけど、具体的に何すればいいんですかね?」と訊いてみたら、宿坊に行ってみなとおすすめされた。
猪苗代湖でフィンランド式サウナに入った話をしたら、Kさんは「お~。良いとこ行ってんじゃん!」と感心してくれた。でも僕がそこで飛蚊症を発症し、それによって”理解った”と言ったら、「それは違うよ~! 悟ってないよ~それ普通に死ぬ奴だよ。君、マゾなの? ちゃんとした人にやり方教えてもらった方がいいよ。よかったら本貸そうか?」と言われた。彼らによれば、本当の悟り体験は80℃くらいを維持してじわじわやっていくものらしい。僕が受けたアウフグースは140℃だった。
Kさんは「すいませんねサウナの話ばっかりして。他の話もしましょうよ!」と言った。その後いろいろな別の話もしたけれど、結局すべての話題をKさんが「結局はサウナがすべて解決してくれるんだよね」と強引にさらって締めくくるのだった。「仕事で辛くなったら?」「サウナに入れば悩みなんてどうでもよくなる」「恋人が出来なかったら?」「サウナに入れば肌つるつるになるからね。モテまくりよ」「家族関係が悪いこととかは?」「それは個別の問題だからね~」家族問題はだめなんだ。
Kさんたちは双子なので、左右から同時に「いやもうほんとサウナ!」とステレオで聞かされ続けた。彼らは阿吽の呼吸で交互にしゃべるのだった。主に兄が熱量を上げてサウナについてしゃべくり、弟はそのアシストやツッコミに徹していた。でも西日本ではその関係が逆転して、弟の方がおしゃべりになるらしい。弟曰く「やっぱ西の方が水が軟らかいからさあ。その水で育った人たちのいる環境だから。全然、気分が違うんだよ。俺もう、東京で水道水のお風呂に入るのが苦痛でたまらないもん」
すごい飲み会だったな。
隣で黙ってご飯を食べていた友達が、トイレから戻ってくるなり「終電逃しました」と言った。