人生最大のトロヤ、もしくは想像できる中で最大のトロヤ
13時に起きた。カーテンに、斜めに影の境界線が入っていた。カーテンを広げると、室内に陽が差し込んだ。僕はそれを浴びた。
ご来光浴びて セロトニン
セロトニン セロトニン
適度に運動 セロトニン
セロトニン セロトニン
人生前向く セロトニン
あなたの味方 セロトニン
夜にはぐっすり メラトニン
セロトニン セロトニン
セロトニン芸人
shomaさんのゲーム『MotionRec』の進捗動画を見て、僕は感動をおぼえた。ステージを作れる機能が実装されている。ふつうの開発環境なら、ステージづくりは「エディタで地形を配置→再生ボタンを押して実行モードで動きを確認する。そしてエディタに戻って、再調整…」の繰り返し作業でおこなわれる。しかしこの動画の試みでは、再生ボタンを押した実行モード上で、床を配置することができるようになっている。エディタと実行モードの境目がなくなり、遊びを試すプレイアブル空間と、レベルデザインを実装する作業空間が同居しているのだ。遊びを実装する工程自体に、遊びが織り込まれている……。
僕はこのようなクリエイションのあり方が、もっとも美しく、もっとも尊敬すべきものだと思っているんだ。
「反復的な単純作業は、より高次元で抽象的な処理にまとめることによって自動化し、反復の面倒を減らす」プログラマーはよく、このような美徳をかかげる(ハッカー精神のひとつ?)。何かを作るとき、その「作り方」が理想に適っているかどうかを、つねに疑う。理想の「作り方」に近づけるために、より手に馴染む「作り方」を、自分の力で作る。時としてその「「作り方」の作り方」も疑い、「「作り方」の作り方」を作る……。このすべてのレベルにおける工程ひとつひとつが、確かなクリエイションだ。このような創作の段々畑を行きつ戻りつしながら、作品を完成させる……。そのようにして作られた成果物は、きっと段々畑の水を引き継ぎ、模索された「作り方」の美を反映している。ここでは、「作品」と「制作」の区別は、もはやあいまいになっている。
これはとっても賢く、鋭く、内省的、謙虚で、それゆえに頑健で、そして真摯な創作論だと思う。
ゲーム開発においても、この自己参照的な創作論を適用していきたい。「ゲームという遊び(オブジェクト)」と「ゲーム制作という作業(メソッド)」の二つを、異なるものとしてよそよそしい主従関係に置くのではなく、「遊び(メソッド)」と「作業(オブジェクト)」を等価なものととらえ、ゲーム開発作業にも遊びの息を吹き込み、そしてその遊びの息を吹き込むために、高次の作業をするのだ。
遊びながらステージ考えるの楽しい
これに尽きる。ゲーム作りを遊びながら楽しめるshomaさんのような人が、僕からしたらあこがれのクリエイターで、ゲーム作りを遊ぶために、ゲーム作りそのものからはいったん離れた「「ゲーム作りの遊び」作り」に興味と時間を注げるshomaさんのような人が、僕からしたら本当に尊敬できるクリエイターなのだ。
なりたい!!
やりたい!!!
僕もこんなふうに、ゲームを作りたいです。
…
英語の宿題を出して、返却期限が近い本を読んでいた。そうしていたら、突然腰がおかしくなった。痛くはない。先日苦しんだときのような激しい腰痛はないのだが、腰全体にわたって「痛みが予約されている」ような感触がする。どのように体勢を変えてみても、その予感が消えない。僕はもぞもぞと動き続けた。正解がわからない。僕は、腰の置き方がわからなくなった。腰のことしか考えられなくなり、どのような体勢をとっても、そのせいで壮絶な痛みが襲い来るような気がして、動くことも怖くなってきた。自然な体勢がわからなくなった。まるで背骨がトゥルーバランスになってしまったみたいだ。
どうにもガタガタとずれて、安定状態を見失ってしまった。「腰の置き方がわからない」。もう二度と見つけられないような気がして、頭が真っ白になった。直らない。ずっと腰がおかしい。痛くないけど、「これから痛い」。腰がどんどん腰じゃなくなっていく感じがする。僕は怖くなった。これはいったいどういう状態なのか。
iPhoneで、調べようとした。なんて検索すればいいんだ。
「腰 これから痛い」「腰痛 未来」「腰 腰じゃない なぜ」「腰 コツ」違うだろ。
僕は「腰 違和感」と検索した。ユビーという簡易診断ウェブサービスがあった。質問に答えていく形式で、疑わしい病気や病院にかかるべきかどうかなどを教えてくれるらしい。僕はそのサイトの【腰がだるい】の項目を選んでみた。

痛みの程度を10段階で評価する頁。ここで10を選ぶときは「人生最大の痛み、もしくは想像できる中で最大の痛み」を感じているときらしい。怖すぎる。絶対10にはなりたくないな。僕の腰はまだ痛みはないのだが、恐怖を感じるほどには違和感があるので、6を選択してみた。

診断結果が出た。危険度レベルとしては「黄」で、もっとも関連がある病気は「腰椎椎間板ヘルニア」だった。受診するべき病院は「整形外科」とのことだった。行く。行きます。行きます。
もう夜遅いので、ひとまず病院は明日行くことにした。今晩はしかたない。腰がバラバラになる恐怖に耐えながら、夜を明かそう。できるだけ腰のことを考えないように……。他のことに集中する。
デヴィッド・リンチ監督の『マルホランド・ドライブ』をパートナーと見ることにした。僕は腰がどうしても落ち着かなくて、もぞもぞと座ったり伸びたりしながら見た。それでも幾分か集中できた。まだ序盤だけど、面白い。
途中から、パートナーの様子が気になり始めた。スピースピーと、変な息が聞こえてくるのだ。たぶん口呼吸をしている。「大丈夫?」と訊くと、彼は「大丈夫。鼻が詰まってるみたい」と言った。僕は、なんだか不安になった。いつもと話し方や動き方が違うというか、レスポンスが悪いのだ。鼻が詰まっているだけなのだろうか。僕はリモコンを持って、マルホランドドライブを停止した。「本当に大丈夫ですか?」「大丈夫」「風邪とか? 体調悪くない?」「別に悪くないけど、予約されてるかも」僕たちは予約空間に閉じ込められているのか?
彼は「大丈夫」と言って、リモコンを取った。僕がまだ彼のことを心配して見ている最中なのに、マルホランドドライブを再生し始めた。そのふるまいが、おかしいと思った。なんだか二人の間のコミュニケーションにずれがあるように感じた。前にもこんな日があったことを思い出した。この日のことをふまえても、僕が変な思い込みにはまっているだけ、と納得することはまだできなかった。僕は再びリモコンのボタンを押し、マルホランドドライブを停止した。「なんかおかしくないですか? 僕たち」と言った。彼は「そう? 普通だと思うけど。まあ今、僕のバイタリティが少ないですが……」と言った。「何か不安なことない?」と訊くと「ない」と言われた。僕はこの空気に耐えられなくなった。いつものように通じ合っている感覚がない。初対面の人としゃべっているみたいだ。僕は「今日はもう寝たら」と頼んだ。
マルホランドドライブは中断された。彼は「了解です」みたいな態度で、さっさとベッドに寝そべった。その動きも変に感じた。僕は横になった彼に、「今、眠たいと自分で思っているの?」と訊いた。彼は「え、だってトロヤ君が寝ろって言うから。映画見終わったら寝るつもりだったけど、まあ時間も時間だし。もちろん今すぐには寝られないから、この態勢でちょっとYouTubeとかは見るけど、しばらくしたら眠れると思うよ」僕は怖くなった。自分が眠いかどうかを訊いてるのに、「トロヤ君が寝ろって言うから」と返すのって変じゃない? 不気味だ。僕の認知がおかしくなって、パラノイア的に怯えてるだけなのだろうか。「僕、今様子がおかしくないですか?」と訊いたら「え? おかしくないと思うよ」と言われた。僕視点では、僕がおかしくないなら、あなたがおかしいことになるのだけど。どうしても、この状況の意味がわからなかった。そんな異物感に心をざわつかせていたら、パートナーはすでに眠りに落ちていた。YouTube見てないじゃん。やっぱり風邪か何かひいてるんじゃないの。そしてまもなく、悪夢を見ているのかうめき声をあげだした。彼は昨日の夜も、嫌な夢を見て辛そうな声をあげていた。その時は彼を夢からサルベージしたほうがいいのかなと思い、無理やり起こした。それが良いことだったのか、よくわからなかったけど。
今も悪夢を見ているようだけど、今晩は起こさないことにしてみる。悪夢でもいいからしっかり寝てもらって、バイタリティを取り戻して欲しい。僕は祈った。グッドナイトメア……。
寝てリセット。明日になれば空模様も変わる。