私はただのトロヤくんにメロメロなオタクです
起きたら19時だった。
不在着信の履歴と、「おーい、生きてるー?」というメッセージが届いていた。
おしまいだ。

誰かこいつをなんとかしろ。
15時だかに、一度覚醒した記憶があった。でも絶望的な気分で、連絡も入れずに寝た。確信犯だ。腰の痛みは昨日よりひどくなっている。だけどこの痛みも、なんだか自分の脳みそが都合良く引き起こしているような気がしてくる。故意に腰痛になっている。
自尊心がぐちゃぐちゃになっていたが、とりあえず指先を動かしてDiscordの音声通話に参加した。僕はチームメンバーのみんなに、今日はもう渋谷に行けないことを伝えた。そして、明日も渋谷に行けないと思う、とも言った。「本当に申し訳ないのですが、リモートでできるタスクを割り振ってもらえますか」と頼んだ。
僕が寝過ごした9時間のあいだに、ゲームは大きく進捗していた。プレゼン資料も出来ていた。みんなものすごく作業していたんだなと伝わった。当然ながら僕が作成する担当のグラフィック素材は、すべてNo Dataのままだった。それらをただちに描いてスプライトを充実させていくことと、プランナーとして細かな処理を詰めていく議論に参加するのが、今からの僕の仕事となった。
メッシュや当たり判定などのロジック面が、不具合だらけでかなりきつそうな状況だった。AR開発のため、動作検証のたびにゲームをプレイする場所(スクランブル交差点)で実行してみなければならないみたいだった。雑用担当の人が現地に待機しておき、プログラム担当の二人からビルドされたデータを受信する。そのデータをスマホで検証したあと、音声やチャットでプログラマーにフィードバックをする。プログラマーはそれを受け、実装を改良する。開発の1サイクルが、重たかった。現場に常駐している人はきっと寒いだろうし、プログラマーは時間制限のあるなかARという未曾有の環境でのバグ処理にあたらなければならず、つらそうだ。
そのつらさの空気を、僕だけが共有していなかった。僕は一人だけ家にいた。もし寝坊せず渋谷に行っていたら、自分の担当部分のアセット制作は早々に終えて、ロジックの問題解決に協力できたかもしれない。僕は3DのプログラムもARもろくに経験がない(どころか、GitHubを複数人で使ったこともない)から力になれたかは怪しいけれど、少なくともその場で学習して、課題の要旨を理解するくらいの努力はできた。ゲームジャムってそういうものだ。自分に少しでもできることがあったらそれをやって、人員の不足を補う。できないことは急ぎで学び、できるようにする。そういうものだった。そのドライブ感が、ゲームジャムの肝のはずだった。僕はそれに参加しなかった。自宅で一人の空気を吸いながら、これからアセットを作るのだった。
僕は父親の部屋に行き、父に話しかけた(なんで?)。
僕は「進路相談いいすか」と言った。父は「おん」と言った。
僕は就活の方針として、大手は2社だけ受けて、それ以外の会社はエントリーしないことにしようかと思っていると話した。僕はもはや、大手のゲーム会社に入りたいという気持ちが失せている。それよりも副業が許されているとか、よりインディーゲームシーンに近い市場で活動している職場に魅力を感じている、と言った。そういった職場は新卒にこだわる必要がないので、エントリーを急ぐ必要は無かった。新卒の枠を活かして受けようと思っている最低限の大手2社は、製品が好きな2社だ。それ以外は、入ったあと楽しくやれるとは思えなかった。難関の2社しか受けないので、内定の無いまま就活を終える可能性はそれなりにあると言った。もしそうなったら、どうにかすると言った。具体的にはこうこうこういうルートを想定している、と示した。
父は首をかしげながら、「まあ、楽しくないことやってもしょうがないしな。俺はお前みたいに、やりたいこととかなかったからな。気楽にやりや。でも、はじめは興味が無かった会社でも、いざ入ってみたら仕事の細かな部分にやりがいを感じられたってこともあるんちゃう。俺はそうやったで。そういう意味で、新卒で大きい会社に入ってみてどんなもんか確かめてみるってのは、今しかできないチャンスやと思うけど。やっぱり収入は大事だしね。実際のとこ、世の中やりたいことやれてる人の方が、少ないんちゃう」と言った。
大手の数をここまで絞ろうとしている理由は、今から来年度前半にわたっての就活のスケジュールをなるべく空け、Death the Guitarの開発に時間を注ぎたいからだ。僕は父に、Death the Guitarのために4年生の時間を多めに取りたいと話した。副業NGの会社に入ってしまったら、Death the Guitarの開発ができなくなってしまう。僕からすれば、Death the Guitarも新卒と同じくらい今しかないチャンスなのだ。
父はオッケ~みたいな雰囲気を出した。最後に「奨学金は早めに返せよ。あと年金だけじゃ老後の資金足りんから、自分で資産形成とかやり方勉強して動けよ」と言った。僕はそうすると言って部屋を出た。
別に親に進路なんて言う必要ないけど、いちおう言った。最近父の前では就活を頑張っている雰囲気ばかり醸していたので、その感じで2社しか受けなかったら絶対びびられると思ったから。正気を疑われる前に、あらかじめ考えていることを共有しておこうと思ったのだ。まあ全然、まだ考え中なのだけど……。
僕は部屋に戻り、やるべきことに向き合うことにした。ゲームジャムに使うドット絵素材を描いていくのだ。

卵黄

さくらんぼ

スタバ

電車

葉

omuraisu

ブルーベリー


龍角

たまご
たのし~。
NHKのEテレでやってた『10000分後、“時間の正体”を発表するエントロピー池崎。』を見た。高校の英語の授業とかでは、現在形、過去形、未来形、現在完了形、現在進行形……などを「時制」というくくりで一次元的に習った。でも言語学研究の視点では、これらには「時制」と「アスペクト(相)」という二種類の分類が見られるらしい。時制は現在とか未来とか過去とか。アスペクトは未完結、完結、完了など。
「昨日、トロヤはベッドで嘔吐していた。」の「嘔吐していた」は、文脈次第で
①「嘔吐している最中だった(ことを振り返って描写している)」
②「嘔吐した(という事実があり、今はその体験の影響下にある)」
と複数のアスペクトに解釈することができる。それぞれが何のアスペクトにあたるのかは、僕にはわからないけど……。現代語では、これらは等しく「嘔吐していた。」という書き方で表してしまう。それに対し古語では
①昨日、ベッドにてトロヤは嘔吐しつつありき。
②昨日、ベッドにてトロヤは嘔吐しありたり。
と、それぞれの解釈に基づいて書き分けることができる(ChatGPTの怪しい翻訳)。思えば古文は、助動詞がやけに多かった。昔はアスペクトの違いを表現する語彙が多様だったのかな。僕は古語について、「をかし」や「あはれ」みたいに今の感覚からするとぼんやりした複合的な意味の言葉が多くて、全体に語彙は少ない印象が強かった。でも助動詞に関しては、現代語よりもずっと複雑なようだ。尻尾は鋭利だったのか。
ジョージ・オーウェルの『一九八四年』では、市民の使ってよい語彙が厳しく制限されていて「ちょっといい」とか「超よくない」みたいなあほっぽい言葉にまとめられていた。言葉の数は思考の解像度にかかわると見て、意図的に市民の思考力を落とそうとしているのだ。
広辞苑の第七版が出るとき、一般公募で採用されたポスター広告で、多様な形容詞がただ一つ「エモい」という語に収束していることを示した図がバズっていた。「ノスタルジア」「哀愁」「麗しい」などがエモいに集まっていた。エモいが批判的にとらえられてる感じなのだろうか? 高校時代、友達の口から初めて「エモい」という言葉を聞いたときは「なんて画期的な言葉!」と感動したけどな。たしかにデンパトウを発売したとき、寄せられた感想に「エモい」という言葉がなかなか多くて、それは少しぞわっとしたかも。でも何も書かれないよりは、よっぽどうれしい。安価な言葉があるというのも、それはそれで大事なのかもしれない。
どのくらい普及しているのかわからないけど、最近の若者は「メロい・メロつく」などと言ってる。
・新曲のMVの○○君の表情、メロい!
(新曲のMVの○○君の表情、すごくカッコいい/かわいい!)
・○○君が△△君に□□してあげているところがメロい
(○○君が△△君に□□してあげているところがとても良い)
・最近、急に△△君にメロりだした
(最近、急に△△君に夢中になりだした)
・私はただの○○君のメロオタです
(私はただの○○君にメロメロなオタクです)
「メロい」の使い方と例文(「メロい」の意味とは? 例文やエモいとの違い、その他のオタク用語も紹介 -マイナビニュース)
「メロりだした」って。言っていいことと悪いことがあるだろ。
ゲームジャムのドット絵素材を描く作業は、終わらなかった。
テツヤデス