ありきたりな夢

2024 - 11 - 28

9時半に目覚めた。

休憩室は、眠るおじさんだらけになっていた。夜勤明けに利用する人が多いのかな。友達は大学のため、先にいなくなっていた。僕はロッカールームで着替え、朝の電車に乗って帰った。

努力 未来 a beautiful star

午前2時。気づいたら今日が終わっていた。

今日は何もできなかった。

思えば、昨日も何もできなかった。一昨日も何もできなかった。

来年度、就活をせずDeath the Guitarの開発に一年間を費やすというのは、それなりに覚悟のいることだ。気合とか締切といった不定期のモチベーションに頼ることなく、淡々と毎日、ライフワークとして作業をするということだ。会社員のように、頼まなくても降ってくるタスクをこなしていくのではなく、自分の力で自分を律して、課題を見つけ、生活を組み立てなければならない。それは、僕がすこぶる苦手なことだった。

でも、自分のゲームにパブリッシャーがついているという状況は、なかなか稀なことだ。恵まれたチャンスだ。このチャンスを生かしたい。一つのゲームに向き合う覚悟の決まった一年間というのを、自分の人生に迎えてみたい。

僕は個人のゲームクリエイターとして、自分のゲームを作って、販売して、その売り上げで生活をしたい。

パートナーは一年間、研究のためアメリカの大学に留学したことがあった。それは現地でしか閲覧できない書物や論文にあたることのできる、彼にとって恵まれたチャンスだった。一年という限られた期間を、彼は覚悟を持って過ごした。毎日朝6時に起き、開館から閉館まで図書館にこもって論文を書き、帰ったら寝る。それを一年間、淡々と繰り返した。

恵まれたチャンスを使うということは、そのくらい犠牲を払って、一つのことに時間を捧げるということだった。他のことをしないということだった。その話を聞いて、僕にはとても真似できない気がしてきた。

今年の僕は、寝る時間と起きる時間が定まらず、リズムというものが無かった。体と心のコンディションも予想がつかなかった。場所も定まらなかった。自宅にいることがつらくてパートナーの家に逃げ込んでは、パートナーの家にいることがつらくなり自宅に舞い戻るということを繰り返し、ひと所に腰を据えることができなかった。これからは頑張るぞと意気込んだりするも、結局一日中横になってしまったり、ゲームやYouTubeの球体を裏返しにする動画などに没頭してしまって、頑張れず、自分に失望するということを繰り返していた。凡人だった。継続しやすい環境を整えようと思って、自習スペースを契約したり、学校の図書館に通ってみたりしたけど、結局どの場にもストレスを感じて通い続けられなかった。起きたときにはすでに閉館時間だったりするし。

集中・継続のできる環境をさぐるため、パートナーに相談に乗ってもらった。考えてゆくほどに、僕は自分が情けなくなった。僕は文句ばかり言っていた。自宅で作業すると、祖母とのコミュニケーションでストレスが溜まるとか、ベッドが近すぎて寝てしまうとか、食べたくないときにご飯を食べさせられるとか。でも他の場所で作業をするとなると、サブモニターやその他機材を置けなくて、開発効率が落ちる……とか。言い訳じみたネガティブな想定ばかり、口にしてしまった。果てしなく凡人だった。そんなに自分を律することができないことに自信があるなら、フリーで活動する道は捨てて、おとなしく就活をし、組織のコントロール下で安定的に収入を得ていく方が、よっぽど幸せになれそうだった。でもそれにすらヤダヤダと首を振る僕は、赤ちゃんだった。

凡凡凡凡!

凡。ありきたり。

ありきたりの怠惰。ありきたりの不摂生。ありきたりの自己嫌悪。ありきたりの不安。ありきたりの思考。

夢があるのも、ありきたり。夢に全体重を預けられないのも、ありきたり。夢を諦められないのも、ありきたり。考えてばかりで手を動かせないのも、ありきたり。明日の自分に期待するのも、ありきたり。昨日の自分を裏切るのも、ありきたり。自信がないのも、ありきたり。人目を気にするのも、ありきたり。愚痴をこぼすのも、ありきたり。快楽に耽るのも、ありきたり。他人に委ねようとするのも、ありきたり。かりそめの達成感に甘えるのも、ありきたり。優しい人に甘えるのも、ありきたり。嫌なことから逃げるのも、ありきたり。生まれや環境を恨むのも、ありきたり。自虐に走るのも、ありきたり。ありきたりが嫌なのも、ありきたり。

一つのことに継続的に集中することができた経験も、一応あった。最初の大学を目指して受験勉強していた時期だ。毎日9時くらいに起きて、隣の市の図書館に行った。閉館の22時まで、勉強をし続けた。お昼ご飯は、図書館の入り口のラウンジであらかじめ買ったコンビニパスタを食べた。帰りの電車では暗記をした。帰ったらすぐに寝た。そのようなルーティンを4か月くらい?続けることができた。

あの時期の感じを、再現できればいいんだよな。淡々とした日々。同じ地面を踏んで、同じ角度の日光を見て、同じトイレで用を足し、同じ椅子に座る……。でも今の僕は、18歳の僕とは状況がだいぶ異なっている。当時は毎日同じ時刻に起き、同じ時刻に寝ることができていた。今の僕は、めちゃめちゃだ。大学もあるから、曜日によって活動パターンも異なる。体内に台風を飼っているのか、予告なしにBADに陥る。BAD状態の僕は、厄介なことに行動力が増し、時としてへんぴなところで寝泊まりしたり、アカン人間関係を作ったりといった自爆的な行動をとって、時間を無駄にしてしまう。全体にあれだね、不健康だね。

でも改めて思い返すと、受験期の自分も結構頻繁にさぼっていた気がする……。高校3年生の時に読んだ記憶のある本がやけに多いのはそういうことだし、別に近くない自然公園やドン・キホーテなどに脱走などもしていた。図書館司書は、脱走を試みる受験生を捕縛するために麻酔銃を携帯すべき。インターネットもしっかり見ていた。ネット依存を脱するために友達に各種SNSとブラウザにアクセス制限をかけてもらっていたけれど、禁止されてないアプリのどこかにgoogle.comとでも打ち込めば即席のブラウザみたいなのが開いてアクセスできてしまうことに気づいて、結局のところYouTubeもTwitterも見放題だった。懐かしいな。

自分を律する環境の構築にも、限界があるということだ。いかに禁欲的な場を作っても、逃げたいという意志があれば、どのようにも逃げだしてしまえる。受験勉強が実を結んで合格した大学も、結局は授業に行きたくなくて中退したのだ。ひと通りの環境構築を終えたら、あとは誠実さと運のバトルだ。時にさぼってしまっても、切り替えて元のリズムに戻す粘り強さもあるいは必要だ。もし今後、どこかの会社に入社したとして、僕が出勤したくなさすぎて、先方からの連絡も見る勇気がなくなって無断欠勤をするようになったら、どうしよう。それでいつのまにかぬるっと退職などしたら……。先日のゲームジャムの件もあって、今の僕にはそれはないと言いきることができない。

怖。そうなったら、そのとき考えよう。

僕は個人のゲームクリエイターとして、自分のゲームを作って、販売して、その売り上げで生活をしたい。

これは、僕が本当に思っていることだ。僕の夢だ。ありきたりだけど夢だ。

来年度は、就活をしない。一年間、Death the Guitarの制作に集中し、これを完成させる。

僕はこのように決めた。パートナーの前で覚悟の宣言をした。めちゃくちゃナヨナヨした宣言だったが、するにはした。

就活をしないのと同じ理由で、今までは受けていた細かい仕事(審査員や、企業ブースへの在廊、謎のトークショーなど)は、スケジュールを圧迫しないよう、断る。

来年度の僕は4年生なので、卒業制作として何か集大成的な作品をつくって展示する必要があるが、Death the Guitarをまさにそれにしてしまうつもりだ。卒業制作以外の必須の単位は、おそらく今年度までにすべて取りきれているはず。

旅行や飲み会など、消耗の大きい予定も断る。これで来年度のカレンダーは、かなりシンプルになる。お友達と会ってご飯食べながら話すとかは、あまり断らないかも。人とは話す方が、健康になる。

SNSに時間を使うのも、なるべく自重したい。システム的に塞ごうとしてもどうせ意味がないから、精神力で自重するしかない。いっそのこと、法律で禁止してくれないかな。今日オーストラリアで、16歳未満のSNS使用を禁止する法案が成立していた。日本の国会はいま、与党過半数割れによりごたついている。この隙に、スマホ禁止法案の用紙をAdobe Illustratorで作成して、印刷して、紙飛行機にして永田町に飛ばしてみたら、案外通るかもしれない……まあ通ったところで、禁酒法の二の舞か……僕は牢屋で密造スマートフォンをいじるZ世代の囚人になるだけだ。

ア、、ら

ちょっと寝てた。明後日に控えているインターンに寝坊しないため、今は寝てはだめだった。日記でも書いて、時間を潰さねば。あとで『ハイスコアガール』見ようかな。

なんだか、大きな決断をしている感じの日記になっている。でも別に「今日から僕は!」と宣言することに、大した意味はない。肝心なのは、実際にやれるかどうかだ。作業環境について考えようかな。来年度、どのようなルーティンで過ごすことを目指すか。

まず、入眠や起床の時刻をコントロールしようとするのは、諦よう。睡眠リズムは、いまの僕にとって最もどうしようもない部分だ。空の明るさに関係なく、起きている間に開発をし、寝ている間は寝る。もし昼間に起きることができたら僥倖くらいの気持ちで、日光を浴びよう。日光はガチで浴びろって言われた。

時刻に依存せず作業できる場所となると、おのずと自宅に定まった。24時間使えて再現性のある環境といえば、自宅の僕の部屋くらいしかない。自室なら、機材も充実している。

大学のない日は、やっぱり自宅をものにするしかないか〜。

僕は自宅にいることが苦手です。

家は3人暮らしで、父と祖母(そして猫1)が一緒に暮らしている。昔からずっと、祖母がほとんどの家事をこなしてくれている。ありがたいことだけど、祖母は一日に何度も僕を叱る。それがいやだ。

早くご飯食べろ、部屋掃除機かけろ、ゴミ袋出せ、シャワー今すぐ浴びろ、タオルの位置ずれてる直せ、靴を脱ぐ位置違う、早く歯を磨け、風呂入るの長すぎる早く出ろ、洗濯機の脇の埃拭け、鏡を拭け、洗い物は地震に備えて陶器の皿をなるべく壁側に置け、納豆のパックは水で粘りを流せ、洗剤使いすぎ、水の音うるさい水量抑えろ、足音うるさい静かに歩け、牛乳パックここに置くな、牛乳パックここに置け、牛乳パック今はここに置くな、牛乳パックそこにも置くな。祖母が僕に出す指示は、共同生活のルールとして理不尽な内容ではないけれど、ストイックすぎる。数が多く、細かく、時間にも厳しかった。祖母に「トロヤ、ちょっと来なさい」と呼ばれたとき、行くまでに30秒くらいかかったら、「遅い」と怒られる。祖母は、僕とは真逆の人間だ。自らは家事を緻密にパターン化してストイックにこなせるものだから、僕にも同じだけのパフォーマンスを求めてくるのだ。でもそれは無理だ。祖母の言うことに全部従っていたら、僕は祖母になってしまう。家には僕の部屋があるけれど、祖母は躊躇なくドアを開けて僕の部屋に入り、文句を垂れてくる。そのため、僕は自室にパーソナルスペースとしての安心を感じることができない。最近の祖母は、僕の部屋を侵すために猫を使うようになった。猫を抱きかかえて「猫ちゃんがトロヤちゃんに話しかけたがってるわよ〜ん」みたいなこと言いながらドアを開けてくる。部屋に入るなり猫をリリースし、僕に説教をし始める。変な小技を効かせるようになった。猫を触媒にするな。

「部屋に入ってくる頻度を減らしてくれない?」とか「僕はあなたほどテキパキと規則的に動くことができないことを、理解してほしいです」などと真面目に交渉を試みたこともあったけど、「年上の言うことは守るのが常識でしょ」と棄却されるか、一時的に尊重してくれるふりをするけどすぐに元の説教魔に戻ってしまうのだった。

僕から見た祖母は、もう人ではない。関数だ。可塑性のない関数だ。祖母もきっと、僕のことをしゃべる赤べこくらいに思ってるんじゃないか。僕たちはお互いをゲロミリメートルも尊敬しておらず、誠実さをベースとしたコミュニケーションをおこなえなくなった。話す(干渉する)たびに僕はダメージを負うようになった。自尊心は傷つかないけれど、頭が熱くなって、考えられなくなって、身体に力が入らなくなる。本当に辛くなってきたら、僕は家を出て、数日間パートナーの家に泊めてもらって養生するようになった。祖母は祖母で、僕と話すたびに傷ついているらしい。説教の合間に「私だってあんたが言うこと聞かなくて、辛いんだから。もうどうしたらいいか、わからないんだから」などと言うことがあった。

僕の方から話しかけたら意外と楽しく会話できるし、ふたりで映画館に行き『グレイテスト・ショーマン』や『RRR』を見るという、おばあちゃんと孫らしいレジャーに興じることもあった。でもやっぱり日常のほとんどは、祖母が僕に怒ったり指図をして、それに対し僕がむにゃむにゃ縮こまるというやり取りが占めていた。物心ついたときから僕を育ててくれたのはこの人なのだけど、いつのまにこんな嫌な感じの関係になったのか。思い出せない。

しかし、毎日献立を考え、ご飯を作ってくれているのもこの人なわけで……トロヤの年齢は、相場としてはすでに自立していておかしくない。いまだに僕が生活面で実家に寄りかかっている状況が、関係にひびを入れている原因なのかも。ともかくお互いに寿命を縮めあっているこの共同生活は、早くやめたい。僕たちは一緒に住むべきでない。どちらが家を出るのかといったら、社会通念上は僕の方だろう。僕はいち早く、実家から出なきゃいけない。一人暮らししたい! Death the Guitarが売れたらただちに引っ越そう。売れなくても就職して、すぐに引っ越そう。

実家に居づらいということを書くのに、ずいぶん長文を使っていた 何の話だっけ

自宅を開発拠点とする場合の、懸念点を考えていたんだ。家には相性の悪いグランマがいる、という話だ。一人暮らしはまだ先の話。とり急ぎ来年度、祖母の執拗な干渉によってコンディションがかき乱されることについて、とれる手立ては、特に思いつかなかった。堪え忍ぶか。なるべく家から逃げ出さず、祖母と一緒に暮らす努力をしよう。夢を追うための経費として、その疲れを受け入れる。実家に置いてもらえるだけ、恵まれている。祖母に何か面倒な指示を受けても、無駄な抵抗はよして、心の中で「萎えるぜ……」とでも呟きながら、言われたことに従おう。えー、やだ! やっぱりバトルしていいか?

あ!!!!!!!!!!

あ!!!!!!!!!!

眠!!!!!!!!!!

若!!!!!!!!!!

fin.