もういくつねると

2025 - 01 - 01

「丸呑みゲームのやり方を練習しときましょうか」と言われ正座させられた。僕を含め、4人が向かい合った。他の3人は現地の人だった。一人が大きな器のようなものを持ち上げる仕草をした。その器のなかから何かを手に取り、口に含んで飲み込んだ。あくまで練習なので、すべてジェスチャーだった。そのあと、時計回りで次の人がサイコロらしきものを投げる動作をした。それから卓上の何かを一つ選び取り、僕たちに見せた。見せられた人たちは頷き、了解の意を示した。僕も頷いた。全員の了解を確認したその人は、さっきの人と同じく器を手に取り、そのなかから何かを手で掴み、飲み込む動作をした。次は僕の番だった。僕は、見えないサイコロを投げた。

意味がわからなかったけど、あくまでこの土地の正月の伝統的な遊びなので、旅行者である自分が口出しするのもよくないと思って黙っていた。僕は宿の部屋に戻った。一緒に旅行に来た5人のうちの3人が、寝そべったり缶ビールを飲んだりしていた。僕はそれを見て安心した。ひとりが僕に「その円形禿げ、どうしたん。丸呑みゲームか」と言った。「えっ。丸呑みゲーム知ってるの?」と訊くと彼は「そりゃ、正月だからな」と言って体を起こした。そして、器を取り出した。本物の器だった。中にはジャラジャラ、無数の小物が入っていた。小型のカプセルトイやら、クリップやら、発光ダイオードなどの電子部品やら、裁縫に使うまち針やら。嫌な予感がした。「トロヤも、炬燵入れよ」と言われた。ほかの3人はすでに炬燵に腰を据えていて、卓上で麻雀牌のようなものを混ぜて、配っていた。こいつら丸呑みゲームを始めるつもりなのだ。4人目の僕が戻るのを、待っていたのか。僕は頭が真っ白になりながらも、炬燵の残った辺に足を入れて座った。この誘いを辞退すると、村人たちによって髪の毛を引き抜かれるからだ。さっきの練習の座でも、僕はわかりましたもういいですと席を立っただけなのに、店中の人間に囲まれて円形に頭髪を引き抜かれた。本番だと頭の皮が剥がれて血が止まらなくなるまで、一本残らず抜かれるらしい。

僕にサイコロが渡された。僕はいまだに信じられなくて、友達たちに「本当にやるのか? 冗談だよね。なんでお前ら、丸呑みゲームのこと知ってんの」と訊いた。一人は「うち、家で毎年やってるし」と言った。もう一人は「せっかくこの村に来たんやし、やらなきゃ失礼やん」と言った。もう一人は何も言わず、早くサイコロ触れみたいな顔をした。僕は笑えなかった。こいつら本気なのか。だとしたら、冗談のように振る舞うことすら危なかった。本物の器を見て、真っ青になった。まさか丸呑みするのが食べ物じゃなくて物品だなんて、思ってなかった。サイコロを振ったら、出た目の数だけ器の中のものを飲み込まないといけない。自分の側に並んだ牌を端からサイコロの出目の数だけ数えて、その牌に彫り込まれている図形に近い形のものを飲み込まなければならない。僕の盤上には、1番目と5番目に針状のシルエットが彫られた牌があった。これを引くとまずい。5の目が出たら、針を5本飲まないといけないということだ。それってよくわからないけど、死なないか。

僕はサイコロを振った。4が出た。4番目の牌を見ると、楕円状のシルエットが彫られていた。僕は少なからず安心した。楕円状なので、内臓への傷は少なく済むだろう。でも4は、数としては多かった。僕は牌をほかの3人に見せてから、器を受け取った。器のなかには明らかに一発で窒息するとしか思えないサイズのものも入っていたから、入念に選んだ。僕は缶のプルタブを一つ取り、自然な表情で口に入れた。怯えるようなそぶりを見せると、こいつらに警戒されると思ったのだ。どうしてこんな思いをしなければならないのか。3人とも、僕を見ていた。僕は食べ物を飲み込む想像をしながら、ぐいっと飲み込んだ。口内のプルタブは、ほんの少ししか動いてくれなかった。少しずつ、喉をすべった。ゆっくりだった。吐き気に襲われて喉がぎゅっと締まったが、吐くわけにはいかなかった。僕はプルタブが食道まですべるのを、待った。たぶんもう嚥下しようと喉を動かすしても、逆に吐き出してしまったり、気管に入ったりすると思う。待つしかない。錠剤が喉に引っかかったときの異物感が十倍増しになったような気持ち悪さと、窒息の恐怖があった。僕は涙を流しながら、鼻で細く一定の呼吸を保って待ち続けた。喉が反射的に異物を戻そうと締まるたび、口の奥で激痛がした。プルタブの千切れた部分がたぶん思いのほか尖っていて、喉に切り傷を作りまくっているのだ。しばらくして、ようやく喉の異物感が消えた。胃に落ちてくれたのか。このプルタブはこれから、消化されることなく僕の消化管を通るのだ。小腸の腸壁がズタズタになる想像をしたが、もう飲み込んでしまったものは仕方ないので、考えないことにした。

まだ自分の番は終わっていなかった。出目は4だから、あと3つ楕円形のものを飲み込まないといけない。僕は器を漁った。これ、終盤になると大きいサイズの物が残ってきて、出目次第では窒息するかもしれない。パニックになりながら必死に楕円形を探した。何かボードゲームの駒のような、小判状の小物を見つけた。これ以上手間取るわけにはいかないので、さっと口に入れた。僕が飲み込むさまを、他の3人はもう見ていなかった。彼らはめいめいサイコロを振って、自分の番を進めてしまっていた。みんな僕の抱えている器を勝手に漁って、電子部品やら裁縫用の糸巻きやらを躊躇いもなく飲み込んでいた。僕は最後に衣服用ボタンを喉の奥の方に置いて食道をすべり落ちるのを待った。ずっと涙が止まらなかったが、あくまで生理現象として涙が垂れている体を装った。少しでも村の風習に嫌悪感を示したらどんな目に遭うか、もはやわからなかったからだ。

でも実際は絶望で泣いていた。他の3人が、もう各々の番を終えていたからだ。次の僕の番が、つっかえているのだ。このボタンを飲み込んだら、休む間もなく二週目のサイコロをすぐに振り、今度は違う形のものを飲み込まないといけない。最初に引いた楕円形の牌は取り除かれていた。どんどん針の牌を引く確率が上がっている。気づかないふりをしていたけれど、最初の配牌に針の牌が入っている時点で、僕はいつかは必ず針を丸呑みすることが確定していた。ボタンの嚥下に時間をかけながら、僕は自分が助かる方法を考えた。逃げることは不可能だった。僕たちはこの村に車で来たから、逃げるには車の鍵が必要だ。でもその鍵を持っているメンバーは、この場にいなかった。この宿を脱走できたところで、鍵を持っているそいつを探す間に、村人に捕まって頭皮を引きちぎられるに違いない。逃げるのは現実的ではない。このゲームを乗り切るしかない。僕の他にも針の牌を保持しているメンバーがひとりいた。こいつが僕より先に大きい数でこれを引けば、針を飲んで倒れてくれるか、怖気づいて降参してくれるかもしれない。そうすればゲームが終わる……と思ったけれど、たぶんこいつは性格的に降参などしないし、たとえ針を飲んでも勝つまで耐える。

いつのまにか僕はサイコロを持っていた。二週目の僕の番が始まったのだ。僕はゆっくりサイコロを振った。また4が出た。自分の盤を見た。4番目の牌は、針だった。先ほどまで5番目だったのが、繰り上がったのだ。僕はもう一度、この場から逃げ出す方法を考えた。

18時に起きた。これって初夢か。きつい夢だった。

嫌な夢を、他にもたくさん見ていた。大きな男性用公衆トイレに、小便をかけるための湾曲した壁面があって、それが足元の水路につながっていた。尿を排水するための溝だ。水路のところだけ石材が露出していたため液体の色は判別できなかったが、流れているのは間違いなく利用者たちの尿だった。僕は用を足そうとしたとき、脇に挟んでいたジャケットを運悪くその水路に落としてしまった。ジャケットはズブっと水路に浸った。他の人々が僕の方を見てニヤニヤしていた。僕は頭を掻きむしりたいほどの恥ずかしさと腹立たしさに襲われた。ジャケットをほんの端っこだけつまんで持ち上げた。尿を吸収したジャケットはものすごく重かった。

あと二つおぼえてる夢があるけど、それらは最悪だったから書けない。↑の二つよりももっと下品でグロテスクで、僕の尊厳が踏みにじられていた。初夢は一富士二鷹三茄子どころじゃなかった。排泄物関係の悪夢はよく見るけど、誤嚥、というか食べられないものを飲み込む悪夢は珍しい。おせちのお餅を祖母が喉に詰まらせないか不安だったからかも。そういえば幼少期の自分、よくビー玉を口に含んで舐めて遊んでいたな。今思うと怖い。よく飲まなかったな。

ものすごくお腹が減ってる。でも動けない。身体が痛い。寒い。肌がガサガサ。疲れた。疲れている。しんどい。

今日はまず、深夜2時くらいに実家に帰った。祖母と猫が寝ている部屋に入り、祖母に初詣の予定を尋ねると、今日このあと朝6時に起きて、みんなで山に登るとのことだった。起床時刻まであと4時間しかなかった。僕はすぐに寝た。そして目覚まし通り、6時に起きた。そのときは夢を見なかった。リビングに行ったら、誰もいなかった。祖母の寝床に行ったら、祖母も猫も4時間前と同じ体勢で横になっていた。「さっきあんたが帰ってからわたし、全然眠れなくて。元気がないから、パパに言って登山は止めにしてもらったわ。代わりに7時に起きて、近所の神社に行くから。7時にリビングに来なさい」と言われた。「僕が夜遅くに帰ったせい? ごめんね」と言うと「あんたのせいよ」と言われた。僕は寝直して、7時に起きた。リビングには父と祖母がいた。あけましておめでとうと言い、おせち料理を食べた。食後すぐに着替え、僕たち三人は近所の神社へ向かって歩いた。途中、祖母が疲れを訴え「やっぱり〇〇神社にしましょ」と行き先を変更した。これが二度あった。最終我々は、本当に家から近い神社にお参りした。帰り道、祖母は「夕べはあんたのせいって言ったけど、本当はあれから〇〇ちゃん(猫)が二回もご飯食べたいって私を起こしたのよ。そのせいなのよ」と言った。僕は体調が優れなかったので、何も考えられなかった。ただ歩いた。帰ってすぐに、また寝た。

それで、冒頭に書いたひどい初夢メドレーを見て、18時に起きて、今。鬱っぽい。LINEに数件、あけおめの連絡が来ている。返す元気がない。這いずって寝室を出た。夕食の時間だった。テレビでは、今年の大河ドラマにはインティマシーコーディネーターが導入されているということがアピールされていた。今作は吉原を舞台にした物語だからだ。家族の咀嚼音が気になってしまいパニックになったので、自室に移動して一人でご飯を食べた。そのあと筋トレをして風呂に入ったけれど、依然として頭が冴えず、気分が暗く、あけおめLINEに返事することができなかった。つ、つらい。ここはどこだ。さっき寝起きの薬を飲んだばかりだけど、僕は寝る前の薬も飲んじまって、ふたたび寝ることにした。横になる。

23時に起きた。あ、元気になってる。よかった。寝るのが正解だったか。どうしてこんなに疲れてたんだろう。今日は四回も寝てしまいました。寝正月としては模範的なスタートダッシュ。

今から活動して、リズムを取り戻そうと思う。僕はスマホを開いて、新年の挨拶LINEにひとつずつ返信をした。僕のためにわざわざ声をかけてくれることが奇跡のように感じて、無性にうれしかった。返事が遅くなってしまって、すみません。ぎりぎり元日に間に合ってよかった。

明日はゲーム開発のお知り合いと、ディナーの予定がある。僕の方から誘った。楽しんでもらえるといいな……。最近の僕は、よく人を誘う。僕は、SNSでのみ繋がっている人や、パーティーなど複数人の集まりでしか顔を合わせたことのない人に対し、一方的に恐れを抱いてしまうことが多い。この人に僕は嫌われている、見下されている、と思い込んでしまう。でもいざサシで顔を突き合わせてみれば、案外朗らかに話せたりするのだ。だいたいの人は話が通じるし、尊敬すべき人であることがわかる。このようにして、自分のなかの歪んだ恐怖感情を解体できる。最近の僕はたぶん、その解体作業にはまっている。

ディナーまでにあと一度は寝るとして、それまでにnoteの記事を書けたらいいな。

抱負というか、直近の目標をツイートした。「みなさんの一年にも期待してます!」って何。衆目を意識していると、どうしても変な書き方をしてしまう。こういう余計な自意識のフィルタのせいだと思う。インターネットでしか知らない人が、偏屈な奇人に見えて怖いのは。もっとナチュラルなやりとりをするには、顔を合わせるのが手っ取り早かった。

動くか。

元日はすでに終わっていた。

あけましておめでとうございます。この日記は今一部の人しか読んでいないと思いますが、今読んでくれている皆さまのことは、大好きです。