生きたいと言うなら

2025 - 01 - 16

15時に起きて朝ごはんを食べていたら、リビングの電話機が鳴った。うちの電話機にかかってくるのはほとんどが詐欺電話なので、取るのが面倒くさかった。家にはいま僕しかいなかった。僕は立ち上がって廊下を歩き、リビングの扉を押した。受話器を取った。

「〇〇さんのご自宅ですか? 私マンションの管理人ですけども。さっきマンションの集会でね、そちらのお母さんがね、立ちくらみがするとか言って」祖母は突然気を失って転倒し、アスファルトに頭を打ち、出血したらしい。「あ、孫です」「そうですか、それでお母さん、じゃないお祖母さんね、救急車呼びましたんで。たぶん病院行くと思うので。お孫さんは出かける支度をして、あとお祖母さんのスマホも持って管理人室に来てもらえますか?」「わかりましたすぐ伺います。管理人室ってどこですか?」

寝巻きの上からコートとかズボンを着た。着替え中に、救急車のサイレンが聞こえてきた。ワンテンポ遅れてこれがうちの救急車だと気づいて、「早」と笑った。老人の多い古いマンションなので、しょっちゅう救急車が来るとこのまえ日記に書いたところだけど、うちの番も来た。ダッシュで駐車場に出ると、停まっている救急車を見つけた。駆け寄った。運転席には誰もいないし、窓はカーテンで隠されていて後ろのドアも閉まっていた。赤く光っている割には、車内がどういう状況かわからなくてつけ入る隙がない。僕はどうしたらいいのかわからず救急車の周りをぐるぐるした。びびりながら後ろのドアをノックしてみたら、ガバッと開いた。担架に祖母が寝そべっていた。僕は救急隊員の方に傍の座席へ誘導され「シートベルトつけてください」と指示された。僕は腰を下ろしてその通りにした。

祖母はこっちを見ていた。意識は取り戻したのか。止血用ガーゼを押さえるためのネットをかぶせられていて、みかんみたいになっていた。それ以外は普段通りの様子で、ひとまず生死に関わる一大事ではなさそうだった。隊員の方が祖母に「○○さん、普段飲んでいる薬ありますか? 薬の名前ってわかります?」と言った。祖母が薬の名前をうまく答えられなかったので、僕は祖母の常備薬を取るため、一度自宅に駆け戻った。薬を回収して、救急車に戻った。

隊員は、ほうぼうの病院に電話をかけていた。頭の検査ができる救急外来の空きがなかなか見つからず、我々はマンションの駐車場に停まった救急車のなかで、長く待った。待つんだなー。病床不足ってやつか。コロナが流行っていた時期とか、一刻を争う状態の患者がこのように待たされたら地獄だろうなと想像した。

祖母に具体的に何があったのか訊ねたけど、本当に急に倒れたのでよくわからないと言われた。転倒した記憶も痛みもないと言う。気づいたら寝そべっていて、後頭部から血が出たのでポケットティッシュを塊ごとあてがったら、一瞬ですべて真っ赤なびしょびしょに染まってしまって驚いたと言った。祖母は「人生でいちばんの大出血だわ」と笑った。

隊員の方に「お祖母さんの状態は普段と変わりないです? 最近様子がおかしかったりは?」と訊かれた。僕は「すこしぽーっとしてる感じはあるけど、さほど変わりはない気がします。最近はそうですね、物忘れが多くなっているのが気になるのと、あとは最近は、ストレス?」と言い祖母を見ると、祖母は「大いに」と頷いた。最近僕と祖母は衝突する日が多かったので。やがて病院の行先が見つかり、救急車が動き出した。祖母が僕に「あんた、自覚あったん?」と訊いた。「自覚」というのは、最近祖母はストレスをため込んでいて、その原因が他でもない僕であるという自覚っていうことか? そう思った僕は「そりゃあ、おばあちゃんの精神構造についてはよく知ってるつもりなので」と言うと、祖母は「ふーん、そうかあ。ごめんね」と言った。優しい言い方のごめんねだった。

病院に着いて、僕たちは救急車を降りた。祖母は担架のまま救急外来に運ばれ、僕は受付に誘導された。祖母の名前で受付用紙を書いてくださいと言われて、困った。僕は祖母の生年月日も年齢も電話番号も診察歴もわからなかった。祖母から受け取った鞄をあさると運転経歴証明書(免許を返納したら代わりにもらえるやつ)を見つけたので、生年月日を知ることができた。それをChatGPTに伝えて、年齢を割り出してもらった。祖母は76歳だった。あとは分からなかったので「分からなかったです」と言って空欄で提出した。

受付の椅子に座って待ちながら、祖母についていろんな想像をした。もし祖母が入院したら、僕は着替えとか持ってここに通うのかなとか、意外にもくも膜下出血などで近いうちに死亡してしまったりするのだろうかとか、これをきっかけに認知機能低下に拍車がかかって会話ができなくなったりするのかなとか。その後の猫の世話や、父と僕の二人暮らしを想像してみたりした。祖母は76歳の平均的な仕上がりに比べるとかなりピンピンして元気な方だと思っていたし、66歳の時とも56歳の時ともたいして変わらないと思っていた。でもどうであれやっぱり着実に老いてはいて、一日ずつ死に近づいてはいるんだな。

僕もいずれこんなふうに、自分で気づかずに失神して頭打ったりするってこと? いやすぎる。死ぬの、いやすぎる! 死ぬのが本当にいやだ。急に死ぬならいいけど、徐々に衰弱していき、今までできていたことが少しずつできなくなって、尊厳も失っていって、自分のために他人の時間をたっぷり奪って、血を吐いて咳込みながら手すりにもたれかかって、あーめんどくせーって思いながらその場でうんち漏らして、周りから人じゃないような目で見られて、生きててごめんなさいね~すいませんね~って言いながら、だらだらと動かないオブジェクトに変貌していくかもしれないんでしょ? いやすぎ。しかも、誰もが100パーセント死ぬらしい。祖母も僕も父も、パートナーも、猫も、姉も、姉の子どもも、これを読んでいる人も、いつか死ぬ。人が死ぬの、いやだなあ。面倒くさいなあ。まあ誕生させられてしまった以上、文句を言っても仕方ないか。

あと、医療に従事する人々に対しあらためて感謝と尊敬の念をおぼえた。病院内ではたくさんのスタッフがきびきびと歩き回り、それぞれのキャパシティを患者のために注いでくれていた。医療用ベッドの上で眠っている? 意識がない? 1人のおじいさんを、7名のスタッフが運搬していた。誰もがシリアスだった。救急隊員の人たちもシリアスだった。救急車では一秒も無駄にしないよう、必要なことだけ喋って、必要なことだけ質問してきた。言葉遣いも飾りが無く、患者の祖母と同伴者の僕に対しても、同じだけシリアスな姿勢を求めてきていた。プロフェッショナルだ。すごい。ありがたい。申し訳ない。勝手に転んで血を流した一般人のために、救急隊員や医療従事者は全力を尽くしてくれるのだ。時刻は17時になり病院の正面玄関は閉まったけれど、まだ働き続けている人たちがいた。玄関口でスタッフが、車椅子を一つ一つ畳んでいた。

祖母が車椅子に乗せられて運ばれてきた。僕は車椅子を引き継ぎ、看護師の指示にしたがって祖母を放射線科まで押して持っていった。祖母は脳の検査を受けた。

検査結果としては、特に重大な疾患は見つからなかった。入院の必要もなく、このまま帰っていいらしい。気を失って倒れた理由は「具体的にはわからないです。まあお年も召しているので、しばらく立ち続けていると急に血圧が下がっちゃって倒れてしまう、というのはよくあることです」とのことだった。頭に傷を負った後は、破傷風のワクチンを3度受けなければならないのと、数か月以内に慢性硬膜下血腫といって頭蓋骨内部に血の塊ができる可能性があるので、その点に気をつけて生活をして、異状があったらすぐに再診してくださいと言われた。

今回の祖母の失神の原因は、ただ「老い」によるものと考えればいいのかな。心電図の結果用紙には「左室肥大」と書いてあったけど、これも「老い」の仕方ないやつなのかな。身体が順当に経年劣化しているというだけのことなのか。だとしたら、それって人生のかなり面白くない部分だな。今日祖母は、倒れるよりも倒れないほうが良かった。その方が祖母は有意義な一日を過ごすことができた。病に罹る人生や怪我に遭う人生を過ごすこと、ハンディキャップのある人生を過ごすこと、人が老いて亡くなること、そのような命の過程に価値は無いということは断じてないが、「今日・祖母が・気を失って頭を打って・出血して・救急搬送された」この局所的なイベントに限って言えば、本当に余計な時間だったなと思ってしまう。人生ってこういうところある。怒りが湧いてくる。やりたいことを置いて一旦自身のケアに回らなければならない時期。要らない。不可避的に課されたマイナスをゼロに復旧するためだけの、メンテナンス。なぜそんな作業に時間と金を使わなければ……。怒り。やり場のない。敢えてやり場を挙げるなら僕を産んだ両親に怒ればいいのか? でもそれだって時間の無駄だ。怒りの感情を煮立たせても、ぶちまけても、いいことは起きない。

【メタ認知のコーナー】↑のパラグラフから「人生の面白くない部分」「余計な時間」「時間の無駄」などと、タイパ重視の価値観を前提とした悪感情がトロヤの中にあることが観測されますね。「老い」のダイナミズムに直面したせいもあるのか、タイパ信仰に拍車がかかっていやしませんか? これはすこし凝り固まった自動思考につながる可能性があり、注意すべきかもしれません。きっと無駄な時間を過ごしたって、別に「良い」。というか、時間はただ均質に流れていて、それについて無駄とか有意義とかのラベルをつけることが「良くない」かもしれない。

父も病院に到着した。父が祖母に「歩けんの?」と訊くと、祖母はむにゃむにゃと曖昧な返答をした。父は「歩けんのか歩けないのかって訊いてるんやけど」と声を張った。僕が「倒れてからまだ一度も歩いてないから、歩けるかどうか歩いてみないとわからないんじゃないの」と言うと、父は納得した。車イスを返却して、祖母は立ち上がった。歩けたけど「はーしんど」と言った。僕は祖母に、今貧血だろうし倒れないか心配なので、家に帰るまでは僕に掴まっといてと頼んだ。祖母は僕のカバンの端を掴んだ。そのような布陣で、我々は病院内のローソンでお弁当を買い、3人でタクシーに乗って帰った。祖母は帰り中、「みなさんお騒がせしてごめんなさいね」という僕たちへの謝罪と「でもわたし全然ピンピンしてたのよ。栄養だって毎日気を配ってるし、一日8,000歩歩いてるし。倒れたなんて自分じゃ全然わかんないの」と失神したことに納得いかない旨を交互に言っていた。

帰宅した。自分の机にまだ朝ごはんの皿が並んでいて面白かった。そういえば朝食中に電話がかかってきて飛び出したんだった。僕はそれらをどかして、ローソンの弁当を食べた。

祖母は頭にネットをかぶったまま布団で横になっていた。ちっとも眠れないみたいだった。その近くでコーヒーを飲んでいたら、祖母は僕に話しかける体で、失神したことへの不満?負け惜しみ?言い訳?をぶつくさ言い続けた。「周りの人に言われるまで私救急車を呼ぶ必要なんてないと思ってたー」「私は生まれつき身体がこーだから」「親戚の○○ちゃんはあーだから」「健康には意識を払っていて毎日どーしてるのに」とか、色々言っていた。僕は要領を得ない謎のメディカルエピソードばかり聴かされ、手前が何を考えているのかをはっきりと言わない祖母に対してむかついてきた。父がさっき「歩けんのか、歩けないのかって、訊いてるんやけど」と怒鳴り口調で言ったのを思い出した。でもまあ、思いのたけはなんとなくわかった。祖母はたぶん自分を失神させた神の采配に対して納得がいかず、抗議したいのだ。祖母からしたら対策のしようがない失神に突然見舞われたのだ。そのせいで病院送りになって本日の主役みたいにさせられ、僕や父に家事をふるえず手間をかけた気分にもさせられ(祖母はそれをすごく嫌う)、自分の老い先にも自信がなくなり、いろいろと惨めになったのだと思う。失神って「神を失う」って書くんだな。

喋り続ける祖母を無視して猫を撫でていたら、祖母が「私まだ死にたくないわ。死ぬのはまだ早いわ。まだ○ちゃん(父)とトロヤにご飯を作ってあげたい。■(猫)のお世話もしてあげたい。もうしばらく生きたい」と呟いた。急に本音を言った。僕はその言葉に、胸が熱く切なくなった。「そんなふうに思ってくれてありがとう。おばあちゃん自身がそう願ってるんだったら、僕もおばあちゃんにはぜひ長生きしてほしいと思うな」と言った。僕は心中では「なるべく早く実家を出て、祖母のコントロール下から脱したい」と画策しているので「トロヤにご飯を作ってあげたい」という生き甲斐については協力できかねるが、それはそれとして「まだ死にたくない」と口にする人がやむなく死んでしまうのは、あまりにかわいそうだ。僕は祖母が嫌いだけど、かわいそうな思いはしてほしくない。誰かがかわいそうな思いをするのはつらい。

僕は祖母に「長生きしたいんなら、とりあえず明日行きつけのクリニックに行って、失神についての相談をしてみてください。必要な精密検査とかを教えてもらえたら、それを受けてください。これからは医療費やタクシー代をケチらずに病院に行って、自分の所感じゃなくて専門家の意見のほうを信じてください。自分で情報収集してください」と頼んだ。祖母は「唾つけときゃ治る」精神が強い。そのうえ度を越した吝嗇家でもある(今日タクシーで帰るのも拒んだ)ので、何かとクリニックにかかるのを躊躇いがちだ。とりあえずその精神を、自分でなんとかしろ。しかしその辺の価値観も含めて認知判断が粘ついていくのが「老い」なので、本当によくできた孫だったら判断の鈍った祖母のために当事者意識の一端を担って、無理やりにでも病院に連れまわしたりするのだろう。でも僕はそれはやらない。僕は今、自分の人生を運営することのほうに興味がある。祖母の車椅子を押すのは、金輪際やりたくない。

眠くてたまらない。祖母の件はひとまず落着したのだから、帰ったら切り替えてゲーム開発できると思っていたのに。怪我人に付き添ってただけで、エネルギーが尽きてしまった。

何もできなかった。

眠くて文字盤も打ちにくくなってきたから寝る。明日は救急搬送される予定はないので、一日中開発に専念できると思う。

なんでこんな眠い。

動揺しているのか?