なやんだすえじかい(自壊)
みなさん、陳腐(chénfǔ)!
京橋に行きました。なんだか目覚めから気分が悪く、じわっとつらかった。でも僕はトロヤマイバッテリーズフライドを超えたトロヤマイバッテリーズフライド「トロヤマイバッテリーズフライド2.0」なので、身体は疲れても心の平穏は乱さずにいられた。

アーティゾン美術館で「ジャム・セッション 石橋財団コレクション×毛利悠子—ピュシスについて」という展示を見た。

入り口に辿り着く前から音が聞こえていた。果物に電極が刺さっている。水分量を音に変換しているらしい。

かびてる。会期の初めからずっと置いてるのかな。ケース内は水分が飽和していて、曇っていた。

おそらく結露の粒がかたまって、水たまりができていた。美術館でこれ見るとドキドキする。こっち側に結露ができるんだ? ケース内は冷蔵庫みたいに冷たくなっているのかな。

展示空間は巨大なピタゴラ装置みたいになっていた。みたいというか、ピタゴラ装置そのもの? ある立体作品が発生させた電磁場を他の作品が受け取って、その作品が動くことで導電し、また別の作品がその力で音を鳴らす……みたいに、さまざまな媒質を横断して関係しあっていた。Eテレのピタゴラスイッチとは違い、明確な成功や失敗のような狙いはなさそうだった。自然(ピュシス)のありさまをさまざまな装置を通してスケッチしよう、くらいの肩の力の抜けた作意が感じられた。

(他の作品に依存して動く)扇風機の送る風によっててらてら揺れるチュール生地を、プリンターが適宜印刷してモニターに映していた。

そのように連鎖する作品群の配置が、このマルセル・デュシャンの《マルセル・デュシャンあるいはローズ・セラヴィの、または、による(トランクの箱)シリーズ B》に対応しているらしい。このように本展示の毛利悠子の作品は、石橋財団所有の各作品からインスピレーションを受けるかたちで作られていた。作品を作品で解釈するのって、いいな。いいなとしか言えないけど……。ある作品の解釈として異なる作品が誕生することも、ピュシスということですか? 美という媒質に満たされた空間を、「解釈」という波が伝播する、的な。お後がよろしいようで。昔、親しい先輩と絵だけの文通をしたことがある。

これ。光がついたり消えたりして、カチカチカチカチと音が聞こえた。本展示にはキャプションが無くて詳しい仕組みはわからなかったのだけど、何かからの出力が吊るされたブラインドの紐に伝わり上下させ、それに伴ってブラインドが開いたり閉じたりしていた。

カチカチという音は、ブラインドが閉じ切ってもなお紐が引っ張られ続けていたために鳴っていた音だった。僕は自分がブラインドを操作するとき、このカチカチが鳴ったら大体ヤベッて思っていたので、それを思い出してヤベッと思った。ブラインドの紐っていまいち上手く扱えなくないですか? それを奏でてくるとはね。

関係し合っているらしいオブジェ同士のつながりを辿るために、よく天井を見上げた。作品を吊るすワイヤーが天井を這って別の作品のところまで伸びていたりしていたので。あとはケーブルを辿ってみたりもした。

モネの絵《雨のベリール》の題材になったベリール島に、毛利悠子が足を運んで記録した映像。その音声データを自動演奏ピアノに与え、何らかの対応づけに基づいてピアノが鳴らされていた。ふーんって感じだった。サウンドアートはトロヤ「ふーん」になりがちかもしれない。とある森羅万象を音に写像しただけに見える作品が有難がられているのがよくわからない。写像後の仕上がりの音を、さほど感性で受け取れないのだ。これはモネの絵画を毛利悠子が解釈してピアノに落とし込んだというかたちだけれど、こんな音でいいのかしらと思ったな。僕の聴き方が粗いのかもしれない。このあいだ読んだ『ワンダンス』で、ダンスの巧拙の指標に「曲をより”聴けて”いるか」というのが挙げられていた。僕もより”聴ける”ようになりたいところです。
展示を見終わって、浅草橋に移動した。寒い。今日、早歩きで移動している。時間がないから。
ゲームクリエイター甲子園の展示会に来た。学生限定のゲームショウだ。中学生や高校生が当たり前にゲームを作っているだけでなく、出展までしていてすごいと思った。チラシや操作説明の紙面デザインをして、名刺を刷ったりもして。来訪者とのコミュニケーションもして。

知り合いのサークルのブースを訪ねた。彼らも中学生だ。「調子どうですか」と訊いたら「どんどん良くなってます!」と言われてまぶしかった。調子を訊かれて「どんどん良くなっている」と答えられる者はなかなかいない。尊敬するな。
昨年のTGSの僕は「だめです。いや。だめって言い切るのは違いますね……ゥ———ン……調子……もう調子とか無いのかもしれません……」と言った。リアル。最近は徐々にコンディションがよくなっているので、今なら僕も「良くなっています!」と言うことが出来るな。でもいざ尋ねられたとき、胸を張ってそう言えるだろうか。言えないだろうな。パートナーに調子を訊いたら「ぼちぼち」と言われた。
ぐるっと見て離脱した。ひさしぶりのゲームイベントだった。昨年の選手権で審査した作品もあった。知り合いとか関わりのある人が増えていくにつれ、展示会場にいるとそわそわするようになった。ここは視線が多すぎていけない。
そのあと新宿に移動した。素敵な用事をおこない、コメダ珈琲で夕食を摂った。

?

あみ焼きトーストを食らえ

シロノワール。撮影が縦になってしまったが、直すのめんどいから! 今更シロノワールの写真載せて、何になるわけ?
パートナーについていく形で紀伊國屋書店に行った。彼はちくま学芸文庫の棚に直行し、ぽんぽんと本を取り手元に積んでいった。「どうしてそんなすぐに本を選べるの? あらかじめ買うと決めていたのか?」と尋ねたら、彼は「新刊だから」と答えた。「新刊って、ちくま学芸文庫の新刊って意味?」と訊いたらそうと言われた。内容によらず、ちくま学芸文庫の本はすべて買っているということ? すご。
僕は絵本コーナーで絵本を買った。

ふくながじゅんぺい『へびながすぎる』。巳年コーナーに積んであったこれを何の気なしに開いたらめちゃくちゃ良くて、買った。姉の家にあげようかな。

エドワード・ゴーリー『ギャシュリークラムのちびっ子たち』。僕はこの表紙のイラストがプリントされたトートバッグを持っていて気に入っているのだが、そういえば読んだことないと思って買った。


柴田元幸の日本語訳。「ごいん」とか「あっし」が分かりやすいよう漢字を補われていたのが面白かった。いやな配慮。
帰った。
アーーーーーーーー!
疲れてしまいました。
嫌だ!
嫌だ
リビングに敷布団敷いて横になって、アロマキャンドル焚いた。火を消すとき、蓋をしめるだけで良かったのにわざわざ吹き消してしまった。そのせいで、液体の蝋が飛び散って、床にこびりついてしまった。
もうなんかどうでもっすわ。あーあーあわああわあーあわあわあわああわあわわたわわあわあわわあわあわたわわあわあわわたわあわわあわあわあわわあわ。自分ってだめすぎ。
トロヤマイバッテリーズフライド2.0はこんなものじゃない。
今に見ていてください。