我が子

2025 - 01 - 24

今日は何もできませんでした。

15時に起きて15時40分にご飯を食べて15時50分に家を出て16時3分にカラダファクトリーに到着したら、「お待ちしておりました」と言われました。3分待たせたためです。

今深夜2時ですが、もう寝ようと思います。日記も短めにいきます。スマホの画面を見ることもつらいので。

整体用の服に着替えさせられて、店長にあれこれ問診されました。整体に来るのは初めてだったので、マッサージチェアが並ぶ店内の様子に新鮮さを感じました。出窓に頭蓋骨が、外を通る人から見えやすい向きに置かれていました。広告効果を期待しているのか? カラダファクトリーの者はカラダのことを人一倍考えるせいで、世間一般のイメージよりも骸骨の訴求力を高く買いすぎるきらいがあるのかもしれない。だとしたら、信頼できる。

店長は後ろから、座った僕の両肩にそれぞれの腕を乗せ「左右で肩の高さ違うの、分かります?」と言いました。分析によると、トロヤの骨盤は右下がりに傾いており、そのため背骨がS字に曲がってしまっているとのことでした。iPadでわかりやすく図説されました。トロヤの背骨は側面から見たらストレートネックで、正面から見たらS字に曲がっているらしい。だめだめだ。90度回転させれば正解になる。

普段の座り方を訊かれ、数パターン答えたら店長が「すごいですね! 私も色々なお客さんを診てきましたけど、今まで出会ったなかで一番癖のある座り方してますよ」と大袈裟に言いました。今までで一番というのは明らかにお世辞でしたが、僕は社交辞令的に「ありがとうございます」と返しました。そしたら「いや、誇らないでください」と言われました。なんだてめー。

その後施術を受けながら、雑談をしました。「どうして整体師になったんですか?」と尋ねたら、店長は「うちの親父が、膝が悪かったんです。俺が整体師になれば治せるかな、と思ってここに就職しました。でもその後、父の膝は変形性膝関節症というもので、整体では治せないことがわかりました。そこから、この仕事をしている理由を見失いました。でもなんとなく続けて、気づいたら店長になっていました」と言いました。すごい良い話だと思った。

右側の首筋にカチコチな凝りの塊があることがわかり、店長はこりゃ腰よりも重症ですよと言いました。背骨が曲がって左右非対称のために、身体中が負荷の高い部分を庇うように変形して無理な姿勢を通すようになり、それが常態化してしまったためにこいつ(右首の凝り)が生まれてしまったそうです。この首凝りが頭と身体のあいだの血流循環を滞らせ、自律神経が云々、全身の倦怠感や不眠、ひいてはうつ病に繋がり云々と言われました。僕は自分の身体に申し訳ないと思った。骨と筋肉が庇いあっていたのか。それでこんな可動域の狭い、自律神経の働きも鈍いつまんない身体になっちゃったのか。

しかし、何が元凶でこうなったのかはわからないところですね。座り方がおかしいから身体が変形し、身体が変形したから座り方がよりおかしくなっていった。遡ったところで、鶏と卵のようなものです。自然体で生きてきたらこうなっただけだ。きっと多くの人が、他の人とはわずかに異なる身体の癖を持っていて、年齢を重ねていくにつれその偏りを鍾乳洞のように蓄積していっているのだと思います。そうしてこの世にはバラエティ豊かなカラダの形ができています。人によってはいつしかその鍾乳洞が自分に突き刺さってきて、笑えない問題として顕在化する時期を迎えるのだと思います。

長年かけて作り上げた癖とカラダなので、一朝一夕で解消されるものではありません。60分施術が終わり着替えを済ませたら、カラファクの店長に「これから毎週通っていただいて、6回施術を行えば腰痛に関してはほとんど良くなるはずです」と言われ、ごく自然な流れで次回の予約日程を訊かれました。料金表を確認したら1回9,000円とかでした。普通に断らざるを得ませんでした。骨盤矯正などは定期的なメンテナンスをしていかないと意味がないのはその通りだと思いますが、週にいっぺん9,000円払うプランというのは、学生の身では無理でした。文句なしの綺麗なカラダというのは、課金して手に入れるものであって、当然の権利として与えられるものではないのですね。痛感しました。

そう考えると、僕の腰痛も我が子のように愛しく思えてきた。いや、愛しくはない。大いに憎い。でも、愛さなきゃいけないんですね。どんなに反抗的で、腹立たしくても、簡単に手放すことはできません。時々殺したくもなるし、さまざまな矛盾や欺瞞を積み重ねていくことでしか共存の道が見つからないのかもしれないけれど、それでも「仕方ない」と付き合っていかないといけないものなんですね。子供そのものじゃないですか。

いいですね。

カラダファクトリーを出て、僕はユメギドの音声素材にするために、その辺の公衆トイレで水を流す音を録音しました。そして帰宅しました。

帰宅したらなんか咳が止まらなくて、しんどい。畳んだ布団を再び広げて、横になりました。

そして、動けなくなった。廃人になっちゃった。急に雨降ってきたし。気圧が関係しているのか、カラダファクトリーで施術を受けたことが関係しているのか、あるいは16時の予約に間に合うために少し飛び起きた形になったからか、リズムが崩れた。昨日なんとなく予感した「疲労の波」が本当に来たのかもしれません。

ご飯を食べがてら、机に十数分座ってみましたが、パソコンを触る気力がどうしても出ませんでした。僕は今日はゲーム開発を諦めることにしました。せっかくちょっと習慣ぽくなっていたのに悔しいです。でもそのことを意識して余計にネガティブを膨らましてしまうほうがよっぽど危ないです。

今日は無かったことにして、さっさと日にちをめくることにします。こんな時は何もせず、すばやく寝るのが一番です。もう3時28分だけど。僕は愚かにも、寝込んでいる最中、めちゃくちゃポルノを見ながら、同時に色んな人にネット経由で声をかけまくっていました。今から会おうと約束を取りつけそうになりました。僕は失望したときに、自暴自棄な行動に移るスピードが早い。依存性のものに弱い。

でも出かけるのは止めました。出かけることも面倒くさかったし、今出かけたらリズムの崩れはより甚大化して、明日もゲーム開発できなくなる。自暴自棄のしょうもなさは、流石に理解しました。死にたいときの僕に必要なのは、死にたさをただ見つめて、何もしない時間です。性もSNSもアルコールもオンラインゲームも、死にたいときにやることではない。これらはエネルギー僅少の状態でも手が伸びやすいうえに、微小なビリビリ快楽によって死にたさをかき消してくれる効能があります。しかしこれらに飛びつく判断は破滅的な価値観を強調して思考の癖をつくるし、代償としてしばらく重たい鉛のような疲れを引き受けることになります。これらの蓄積はいずれ、腰痛と同様、悪性の鍾乳洞となって、僕に突き刺さるでしょう。身動きの取れなくなった僕は「どうしてこうなった」と頭を抱える。でも犯人探しは意味がない。微小の自己嫌悪の蓄積がこの結果を作っただけで、僕を壊した決定的なwhyなど探しても見つかりません。

そのことに気づいたらもはや、混乱して、腐るしかなくなる。僕はこの自滅のフローをスピーディーに再現する才能があります。だから怖いです。毎日。いつ何に溺れるか、わかったもんじゃねえです。怖いんです。こうやって書いている間にも僕の睡眠は後ろ倒しになっていっているのも、ひとつの自滅のアプローチです。眠りに就くのを渋れば渋るほど、日照時間とまた噛み合わなくなっていくので。

溺れる才能。この性質について今の僕はより詳しく書くことができます。それにより、今日聞いたカラダファクトリーの店長の話に負けず劣らずの一定のリアリティを読む人に提供することができるのですが(当たりどころが良ければ「感動」さえ味わってもらえるかも)、今は、それを書くより寝る方が良いと思うので、寝ます。

これから、目覚めるまで寝ます。明日、けろっと起きて、散歩して、帰宅したら平然とゲーム開発作業の続きをやります。

ひとえにおやすみ。