鳴き尽くせたら誰も嘘と呼びはしない
朝7時。身体がメラメラと痛い。全身。首が特にひどい。寝汗もすごい。眼精疲労もすごい。12時間寝ていた。震えが止まらない。何があった。悪夢を万葉集くらい見た。ルフィに口移しでゲボを飲まされる夢見た。ゴムゴムの。
一時期話題になったペットショップのCoo & RIKUは、都市部に行くとしょっちゅう店舗を見かける。是非はともかくとして、「Coo & RIKU」という店の名前を見るたび、なんか本物の怖さを感じる。
9時。断続的に睡眠していたら、体調は少しましになった。ずっと消息不明だったアル中カラカラの人が京セラの広報映像に出ていたものが流れてきてびっくりした。体調回復したし、いつもどおりユメギドを作るとしよう。朝食後に、まずは散歩をしようかな。期せずして日照時間をとらえることができた。
朝ごはんを食べていたら祖母が「運動のため、みんなで散歩したい」と言うので、僕はいつも起きられないせいで家族での出かけに参加しないことの贖罪がてら、行くことにした。すると父が「出かけるんやったら、大泉洋が出てる時代劇映画を見たい」と言った。散歩終わりにそれを見ることになり、上映時間に合わせるため外出は午後になった。どんどん自分のリズムから逸れていく。
明日行く予定だった展示、チケットが売り切れていたので明後日に変更した。
午前中の今のうちに、作業をしよう。

昨日は何もできなかった。今日中にビルドレビューをSteamに申請するの、無理だな。
エクセルで、部屋のパターンをどんどん書いていこう。
部屋のパターンをどんどん書いた。
父と祖母と3人で、映画館まで歩いた。祖母は転倒して以来、外出時はヘルメットの内蔵された帽子をかぶるようになった。ほんの少し外を歩くだけでもしんどいと感じるらしく、いつ卒倒するかわからないからだ。今日も歩くのが不安だったようで「あんた手繋いで」と言われた。

祖母と手を繋いで歩いた。僕が下側(下側って言えばいいのか?)を持っていたら「こっち(上側)にして」と言われたので変えた。手を繋いで歩くと、思っていた以上に気が張った。自分だけでなく祖母も電柱にぶつからないように多めに幅をとって避けないといけなかった。足元も「段差あるよ」と、一人なら頭の中で言うだけでいいのに口に出す必要があった。後ろから車が来る音がしたので僕は路側帯の方に身を寄せたが、車の音が聴こえていなかった祖母は直進していたので肩がぶつかった。次から「車」と言うようにした。
祖母に「今度から杖をついて歩けば? あるいは、こういう感じのカート押すとか」と言ったら「カートだなんて、やめてよ」と言われた。「なんで? 老人用のカートみたいなやつあるじゃん」と言ったら祖母は「あ、老人って言ったー」とわざとらしく怒った。
祖母について書いてたら寝てた。祖母についての夢を見た。あと歯を抜かれる夢。そういえば映画でも、長尾謙杜が無理やり歯を抜かれていた。
今、夜の0時28分。時間飛んでます。映画を見て帰宅したらくたくたで即座に寝たらしい。たまに目覚めて日記を書いたりしたけど、書きながらも寝たらしい。
映画(室町無頼)はあんまりでした。あんまりというか、ターゲット層のはっきりしたジャンルムービーという趣で、お呼びじゃない感じだった。上映前の予告編のラインナップで察しがつくことあるよね。時代小説を好む人々が素直に好きそうなやつだった。あるいは剣戟アクションを好む人。北村一輝が地面師たちと似たような死に方してた。
みなさんは、エンドロールに入ったら劇場を出ますか? それとも、エンドロールを見終わってから出ますか? 今回の上映では、まだ本編中でエンドロールに入ってもいないのにもう劇場を出る人たちが数名いた。そういう派もあるのか。ラストっぽい激戦のシーンが終わって、夜が明け、いかにも締める雰囲気のドラマシーンに入るや否や、彼らはきびきびと荷物をまとめていなくなった。シーンを選んで退出しているだけに、少なくとも内容は理解して「あとは見なくていいな」と判断しているのが怖い。最後にエキシビジョンマッチのような戦い(メイン役同士のプライドのぶつかり合いのようなちゃんばら)があったのだけど、彼らはそれを見なかった。史実に関わらない部分は興味ないとかだろうか。あるいは2時間半あったから、トイレ的に急いでいたのかも? そのわりにはみんな同じタイミングでまとまって退出したな。

オム食って帰った。食後は親と一緒にいるのがつまらなすぎてきたので、僕だけ本屋に寄って一人で帰った。父と祖母の二人は、いまいち会話が噛み合っていない。昼間は耐えたけれど、僕がお互いの発言を通訳するのに疲れた。でも関与せず静観していると、それはそれで二人のアンジャッシュのような会話が延々と続き、最終的に父が怒りっぽい口調で声を張るので不愉快だった。父ってなんであんな……ヌ……。父って自分の言ったことを相手が理解しているかどうかを確認することをしなくて、だからしょっちゅう祖母を置いてきぼりにして、さっきから言ってるやろと怒り、僕はそれが不快なのだけど……考えるとなんだか僕にもそういうところある気がしてきた……。祖母のほうも、相手の言うことを理解できないときに「どういうことですか? 言ってる意味がわからないのですが」と表明することをさぼっていて、僕はそれがまた腹が立つのだが、祖母のそれは、自分がぼけてきた自覚による遠慮がはたらいているからかも。
噛み合わず、苛立ちながらも会話を続ける父と祖母の二人の方が、怒りの波長を察すると会話そのものから距離を置いてしまう僕よりは、よっぽど家族として強く結びついているなーと思う。二人は手を繋いで帰ったのだろうか。繋いでないだろうな。むしろ僕の、嫌いな人相手でも平然と手を繋いで気を配るようなところが、僕と祖母との分かり合えなさを示している。
と思う。でも、わかりませんね、見てないところで何が起きているかはわからない。父も、僕のいないときには、歩幅を祖母に合わせるのかもしれない。
僕は、誰かの棘のある発信を目にしたときに「何か言うとるわ」とスルーするのが下手なのだと思う。人の言うことを選別的に汲み取ることができず、どれも自分のライブラリの範疇でなんとか解釈しようとする。だから、僕からすると「そんなことある?」と信じられないような悪意の存在や謎の思考回路を目にするたび、わからないのにわかろうとしてメモリを働かせてしまうから、頭が熱くなってしまうのだ。誰かが怒っているのを見かけたとき「なんでこんなに怒ってんのかわかんないけど、囀ってんなー」と、蝉の鳴き声のように、無視して、環境音として置き去りにする、そのような無意識のキャッシュクリアが、たぶん必要な能力、というか、今の定型発達が備えているべきシステムの一つなのだと思う。人はそれぞれ異なる考え方をしていて、どのような発信も発信者とっては自然なものでありうるし、同時に他人からは不可解でありうる。当たり前のことだ。他者を、蝉と思うことが大事です。わかろうとするな。わからせようとするな。わかり合おうとするな。他者は蝉。死すべきってこと。あっすみません主義が……。
そんな感じで帰宅した。先ほど書いたように、すぐに寝てしまった。
なんでこんなに疲れている。
疲れた理由を、ここまで書いていたのか。
自分の日記を読み返しても、じゅうぶん「囀ってんなー」と感じる。
今日あんまり作業できなかった。まだシャワーを浴びてないし、今から起き上がって作業しようかな。また深夜営業になるけど。作業するのが一番よいと思う。
言うてるまに3時。
温かい牛乳を飲んで、クッキー食べた。やっぱり体調がすぐれない。あらためてまた寝よう。

1stゴリゴリというタスクの解像度が高まった。エクセルでステージ内容を確定するフェイズと、実装するフェイズに分けられる。明日、エクセルで流れを確定する作業をがぽっとやりきってしまおう。こうすれば1stゴリゴリの前半の「ゴリ」は潰せる。内容を確定するフェイズは、エクセルと紙のノートを併用てやろう。エクセルのUIでは取り漏らす思考形式があるので、その辺をノートで補っていく感じ。ちょうどこの前文房具店で買ってきたノートがある。
今日はほんの少ししかできなんだが、寝る。やる気がないから。またバナナと薬を枕元に置いて、起き抜けから活動性を高める作戦を実行しよう。
ほんの少しだけ運動エネルギーが残っていたので、いつか気になっていたこのサイトの調整作業をした。日記は左右の余白はそのままで、文字サイズを1px小さくした。また、日記の下部から前後の記事に飛べるようにした。あと、背景色を完全な白からほんの少し暗いものにした。自分は結構スクリーンショットを載せまくることが分かったので、スクショの白背景が日記の地の色に溶け込んでしまうのを防ぐ必要があると思ったのだ。そんな感じでーす。あれ、アップデートできてないな。あれ?
でーす。寝