かばう

2025 - 02 - 09

10時に起きた。今日も散歩してから薬を飲もうと思った。ストレッチをしながら、徐々に身体に起きてもらおうとした。薬を飲まずに起き上がるには、祈りを通すしかない。

祈り、通った。散歩した。アアアアア(全身の痛み)!

ワイヤーの針が括りつけられている。

結ばれている部分ばかり錆びている。雨粒が溜まるのかな。錆びているほうが嫌さが高くていいかも。

鎖骨がむずむずする。歩いていると、無意識に腕を組んでしまう。それをやめようとすると、今度は両手を後ろで繋いでしまう。身体がどこかに力を込めようとしている。庇いあっている。ギスギスしていて落ち着かない。意識して肩の力を抜いてみると、鎖骨や腰回りがざわざわと騒ぎ、気が狂いそうになる。本当につらいんです。アアアアア。むずむず脚症候群として見るなら、原因は鉄分不足によるドパミンの生成異常か、そもそもの体質的なドパミンの生成異常か(今薬飲んでないし、濃厚)。あるいは連日の腰痛で、腰を庇おうとしている筋肉の反応か。

蔦とワイヤーが同じ色をしている。

夫婦とすれ違うとき、夫が抱えていた犬が僕に向かって吠えた。妻が「どうしてワンワン言うの」と犬を嗜めた。すると夫は「そりゃあ、犬だからね」と言った。

引き綱(ひきづな)

帰宅した。薬を飲んだ。身体のギシギシが苦しくなって横になった。落ち着こうとしたら、祖母が突然ドアを開けて入ってきて、ニヤニヤしながら「あんた、今寝る必要あるの」と言って半笑いした。僕は死ねと思ったが「眠い」とだけ言って扉を閉めた。

落ち着こう。

まず全身のむずむずは、さっきコンサータを飲んだからたぶん解消する。腰痛に関しては、今後下半身や体幹の筋トレをしたりプールで泳いだりしていく過程で、少しずつ良くなっていくだろう。ちゃんとすべきことをやっているから、大丈夫だ。散歩道で味わった地獄は過去の体験で、今そのことを思い出してマイナス感情を引きずる必要はない。疲れる必要はない。

祖母についても、悩む必要はない。突発的な怒りを自分の内で落ち着かせるルーティンが出来上がっているので、それを粛々とこなすだけだ。祖母に何かを訴えて変わってもらおうとか、今すぐ環境を変えようとか、外側に働きかける必要はない。噴き上がる怒りの感情は、自分の内部だけで解決すべきイシューなのです。

僕は何も気にする必要はないんだ。僕は大丈夫なんだ。僕は適切に生活ができている。気分をリセットして作業できる。僕は大丈夫。

14時。作業開始できそうなので、する。作業に取り掛かれることが、毎日奇跡みたいに感じる。

実装箇所を適当に数えたら60項目あったので、これを行けるところまで実装するぞ。60個全部やるよりも1ループを作るほうが優先度高いので、一旦30くらいで引き上げるかも。とりあえず、深く考えずにやっていってみる。

18:30。ずっとやってる。やってるだけの進捗が出ているが、全体のうちのどのくらいなのかと考えると、めまいがする。

夕飯の盆を、自室まで運ぶとき、一歩ごとに死にたいと思った。盆を持ったまま入り口で固まってしまった。これ鬱だなー。全身がバキボキで、椅子に座るのが苦しい。疲労そのものになったみたいだ。何か回復をしないと。人生の死にたい割合が大きすぎて、びっくりしてどうにかなりそう。現実が怖くて血が出ちゃった。いったん作業から離れるべきだと思った。

ご飯を食べながら是枝監督の『怪物』を見た。めっちゃ良かった。上質なひぐらし。なんか今までの作品に比べると、ロマンチックな話だったな。ジュブナイルもので主人公の相棒にあたる子どもがやたら聡明でサイコパスっぽいとき、嘘だ、と思う。ハーモニーとかソロモンの偽証とか。でもテーマが現実離れしているわけではなかったので、良いロマンチックだったと思う。やっぱり是枝作品だなって思う。誰かにしか手に入らないものなんてしょうもない、そんなもの幸せとは言わないと言ってて、ほんまそれって思う。山に棄てられた車両の映像を見ると、PS5っぽいな〜って思う。解像度高いな〜と思う。

疲れた。でも鬱の気分はやわらいだ。今は鼻詰まりと頭痛がして、気だるい。重だるい。風邪ひいたみたいになった。張りつめていすぎたのかな。なんでもいいや。体調が悪くない日がない。もう、知らない。目を瞑ってみるか。自分があやふやだ。生きている感覚がしないが、眼精疲労があるから目を温めるくらいの具体的なことはしてみるか。

5じ