尊敬について
体温が37度台に落ちついた。腹痛と下痢は相変わらずだが、発熱由来の全身痛や寒気は、軽い頭痛程度に収まった。だいぶ楽だ。昨日ほとんど何も食べなかったぶんの食欲も湧いてきたし、吐き気も消えた。胃くんが栄養を摂る気になってくれたみたいだ。うれしい。食べられないのは苦しかった。食べる、眠る、呼吸するといった身体を維持するためのインフラ機能が身体自体に拒否されるのって、なかなかつらいんだなと思った。今回はいくらでも寝ることができたので、それが幸いだった。

描くの飽きてやめた。
生命のメンテナンスがひと段落したところで、忘れた気になっていたユメギドのことを思い出した。
完成締め切り明日だ。困った困った。全然できてないよ。まあ、ちょっとまあ、どうでもいいや。どうでもよくはないけど、いったんどうでもいいものとする。
みなさんは親のことを尊敬できますか? 祖母と話していると、あまりに尊敬できなくて驚く。3倍近く生きているんだから、当人なりの悟りのようなものを得ていて然るべきじゃないのか……と思ってしまうが、まあ、そんなことはないんだろうな。祖母をどれだけ観察したところで、何か糸口になりそうな教えや知見が見つかることはなく、悩みを打ち明けても無理解の平手打ちで追い返されるだけだ。父はまだましだ。教えは授けてくれないし理解もないけれど、平手打ちはせず放っておいてくれるから。それに毎週末楽しそうにレジャーに明け暮れているので、僕には見えないところで何かしらの自己充足の回路に達しているように見える。これだけでじゅうぶん尊敬すべき後ろ姿かもしれない。祖母のように「トロヤのご飯を作ってあげるのが生き甲斐」などとほざかないし。幸福の養分を子に依存するのは、もっとも尊敬できない親のあり方だと思う。
時代の価値観のずれもあるだろうし、僕から見たつまらなさだけで虫けら扱いするのも思慮を欠いてる。祖母は家庭科の専門学校を卒業した。当時は女性が専業で子を育てるのが当たり前の風潮だったなか、祖母はシングルマザーで働きながら二児を育てた。その背景を想うと、自然にリスペクトも湧いてくる気もする。でもその過去の苦労話を自慢げに語る祖母を見ていると、やっぱり虫けらだぜと思う。今がカッスカスだから、人生で味がしてた時期の話を200回と擦り続けるのだ。自分の波乱万丈エピソードに出版や講演会の打診が来なかったから、しかたなく僕を聴き役に据えて印税収入の疑似体験をするしかないようだ。こんな尊敬できない者にはなりたくない。
まあ子供から尊敬されることが、必ずしも親の役割ではないと思うけど。知らない。子育てしたことないので、知らない。僕は育てられたこと(あるいは育てられなかったこと)しかない。ちょっと書き方が差し出がましくなっちゃった。僕の親って歳の割にしょうもないんですが他の人たちはどうなんですかねってことを書きたいだけだった。
横になっている。
家族の尊敬について考えていたら、うちの猫のことが頭をよぎった。彼は、僕の呼びかけにだけ返事をする。僕たちだけの独自のコミュニケーションがある。だからどうということはないけど、猫がいてよかったなと思う。親からは授けてもらえないものを、僕は彼から沢山もらった。猫の方は僕のことを虫けらと思ってるかもしれないが、僕は猫を尊敬している。猫は僕の知らない教えで満ちていた。
ヤマハ音楽教室って今もエレクトーン教えてるのかな。