ダモクレスの虚無の下
9時に起きた。5時間ほどしか睡眠を摂れていないのに、やけにすっきり目覚めている。不可解。こういうとき、寝直すほうがいいのか、腹を決めて今日はこのエネルギー量で頑張るほうがいいのか、わからない。昨晩はご飯を食べられなかったから、不可解なことが起きていること自体は不可解ではない。口内炎が一つできている。こっちは昨晩、そりゃ口内炎できるわなって感じのムーブをしたから、愚問。つまらない口内炎を作ってしまったけど、羅生門の下人のニキビも本人からしたら愚問だったかもしれないし、僕のも後世にいつか読み解かれるかもしれない。そうなれば口内炎冥利につきるが……。
あと15分以内に眠らなかったら、起きます。
起きます。
グランドブダペストホテル見ながらご飯食べた。『世にも不幸なできごと』という好きな児童文学があって、いつしかNetflixでドラマ化もされていて僕はその映像も好きなんだけど、グランドブダペストホテルとひじょうに似ていた。絵本をめくるようなカット割り。美術や演技も似てる。これに影響を受けたのかな。ウェス・アンダーソン監督の他作品も見てみたくなった。
小ぃ散歩。

このすべり台いいな。いいな……! しみじみいい。


植木の断面とか見る。
帰宅。ユメギド作ろう。散歩中に考えた詩が絵になりそうなので描きたいけど、今それをやったらユメギドをほったらかしてそれに残りの一日没頭してしまう流れになるなと思ったので、メモだけ残して今日はやらないことにした。。。僕はユメギドを作るんだな。ユメギドの開発も、面白いフェイズにいる。
昨日自分が作った曲めっちゃ良い。一晩寝かせて味が出た。
作業。
。。。
作業終わり。今日もやった。割とやったはず。いや……すみません、3時間ほどしかしてないかも。思い出した。全然やってねえわ。なんか、関係ない調べごと?してた。いろんな保育園の公式サイト見てた。あと結構Twitterも見てたな……。でも3時間はやったので、許そう。
今日も夕飯を食べられなかった。まったく腹が空かないのと、匂いやキッチンの空気に拒否感をおぼえた。あと食べるという行為が、いつにも増してめんどくさい。昨日に引き続き、一日一食になってしまった。ウー、怖いな。まだ胃腸が回復中だからとかならいいんだけど……。
気まぐれで、親友に電話をかけた。

うんこだけふかせてと言われた。それからしばらくのあいだ、反応がなかった。やけに長いな……こいつもしかして、うんこを拭いているんじゃなくてうんこを拭いているのか? と不安がきざしてきたところで、向こうから電話がかかってきた。うんこについては気になったが訊かないでおいた。汚いし。でもそれとは関係なく下痢 vs ゲボの話になった。親友が「俺はけっこうゲボに肯定的だけどね」と言っていて、飲み会で潰れる者を嫌う彼がゲボの肩を持つのが意外だった。
お互いの状況について話しあった。
僕はここ数年悩んだり閃いたりを繰り返して人格を変容してきた結果、性格が親友に似てきたと報告をした。「自分の病んだ心をケアする方法を探っていった先で培ったマインドセットが、ほとんど君のナチュラルな性格そのものだった。君が僕にとって、師匠みたいな存在に見えてきたわ」と言った。今思うと雑な所感だが、僕の性格がどんどん親友に似てきているのは、つくづく感じている。親友は「よかったね。精神を病んでる人は精神を病まなくするべきだからね」と言った。
親友のほうは、悩んでいないけど悩んでいるみたいな屈折した状態にあるみたいだった。現状の生活は、趣味のゲームや配信視聴などで充実していて、時間が足りないほどに満足している。でも、今を充足させるこれらの趣味は、どれもいつかは辞めてしまうだろうと予感しているらしい。「俺はいつか、何に対しても興味が湧かない、虚無の時代に陥ることになる」このような将来の展望が半ば確信としてあるらしい。また彼は、その虚無に身を浸すことは苦しいことだ、と、知っている? 直感している? 定義している? ようだった。僕は自分がいつかの未来、虚無の谷間に落ちることになるとはあまり思えなかったし、それゆえ虚無が苦痛をもたらすものなのかどうかも想像がつかず、わからなかった。親友の見据える閉塞した未来やそれへの恐れの感情がどんなものなのか、気になった。
ともあれ、彼は「そんな未然の虚無を埋めるために、俺は今のうちから何か行動を起こさないといけない」言っていた。焦っていた。いや、焦っていないのか。焦らないといけないはずなのに、焦らない自分に焦っていた。いや、焦っていないのか。焦らないといけないはずなのに、焦らない自分に焦らないといけないはずなのに、焦らない自分に焦っていた。いや、焦っていないのか…………この無限級数的な摩擦係数の存在が、彼の認知判断を脅かしている。このことが、今の彼が観測してる自分の悩みみたいだった。
このたぐいの身動きの取れなさは、僕も大いに共感できた。言ってしまえば、志望校は決めているのにどうしても勉強に身が入らない受験生の状態だ。単なる比喩ではなく、彼は大学受験の時期、実際にそのようになっていた。志望校は定まっていて、そのために勉強が必要だという意識はあった(?)にもかかわらず、彼はまったく勉強ができなかった。頑として勉強ができなかった。親に泣かれても勉強ができなかったらしい。結局冗談みたいな一夜漬け暗記と地頭のゴリ押しで合格していたので、受験については結果オーライなのだけど、彼はその後も大学生活で似たような「できなさ」に遭遇し、悪戦苦闘していた。その泥濘んだキャンパスライフの感じも、僕はある程度共感をもって想像することができる(トロヤマイバッテリーズフライド、伊達に不登校も留年も休学も中退もしていない。彼にはお前と一緒にするなって言われるかもだけど)。
僕たちは13年間おしゃべりを続けてきたけれど、決まってお互いの異なる個性についてばかり話してきたなと気づいた。僕らは確かに、全然違う。でも同じくらい、多くの部分で共通した性質を持っているはずなのだ。似たもの同士でもあったんだな。なんでだろ、なんかいつも、その視点が抜け落ちてた。まあ初対面でもないなら、共通点よりは差異について話すほうが普通に楽しいか。お互いに理屈っぽくて批判的だから、何か二人に共通の性質が話題に上がったところで、その組成における細かな両者の違いについて明らかにしていく方向に議論がスライドしていくのだろう。
虚無に食われるXデーを憂える彼が自己分析する「今のうちにとるべき行動」とは、当座の見立てとしては、新たなコミュニティに入り新しい価値観を見つけるとか、人と出会いパートナーを見つけるとか、子を育てるとか、そのへんみたいだ。彼は昔から子どもが大好きで、歳の離れた妹のことも溺愛してた。彼が子どもを持てば人生がまるっといい感じになりそう、という雰囲気は頷けた(出生や子育てにまつわる倫理的な要請については、今回は考えないものとして書いてる)。しかし、ここで彼の「できなさ」が足を引っ張ってしまっているというわけだ。
子どもを持つために必要な手順は多い。まずは情報収集して出会いの場に自らの身を投じることとか、そこから機会をつかむためのコミュニケーションとか、いずれはパートナーにあたる他者との性や愛のやり取りとか。親友はそれらの過程の節々に、途方もなさ?や自らのポリシーに照らした不純さ?(このへん、本人の自己分析が足りてないと思う)を感じて「やりたくねえ」と足踏みして終わってしまうのだった。それに、彼はなまじ今の生活がパンパンに満ち足りているために、このQOLを一時的にでも建設的行動に割くことについても耐えがたい抵抗感をおぼえているようだ(その状態、なんかかっこいいんだよな。親友の「俺って今の生活が満足度100だからさ〜」と迷いなく言えてしまうようなところは、彼の魅力だと思う)。
聞いた感じ、彼はこのような状態にあるようだった。僕がどうしようね? と笑ったら、彼は「まあ、終わりっすかね」と言った。現状満腹ゆえに、自虐に悲愴感も出てなくて面白かった。彼との会話は、いつも最初から最後まであくまで雑談だ。
僕は考えたり考えなかったりしつつ、彼に「精神科に行けば?」と風情ゼロの提案をしてみた。
このあとも面白い話になった。でも続きは明日書く。ちょっと眠すぎるんで……。
それよりユメギド作らなきゃ!
あとこれ今日やろうとしてたの忘れてた! 僕は手足が氷のように冷たくて困っている。これも明日……。
あー。今日考えた詩が。あー。絵にしたい。鮮度。
いやユメギド作らなきゃ!
あと筋トレするの忘れてるね!?
ウオオワアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア