自動日記人形サービス
悪夢見たと思うけど忘れた。
オモコロチャンネルの小学校あるあるの動画を見て、給食のじゃんけんを思い出した。余ったデザートとかをめぐって、食いしん坊たちが輪になってじゃんけんをしていた。僕もその中にいた。何人もいると、あいこが長引くじゃないですか、その中にね、グーチョキパーグーチョキパーとか、グーパーグーパーグーパーみたいに、同じ手順を出し続けている者がたまにいたんだよ。それを見つけたら、こちらはパーグーチョキパーグーチョキ、パーチョキパーチョキパーチョキとそれに勝つ手を出し続けていれば、その試合は勝つことができた。そのような者がいる集団戦に限られる戦術だけど、そのとき鴨にできたらそいつは他の機会でも同じように手を抜きやすいから、覚えておけば次回以降もメタ対応できる。小学生はあほだから、膠着しがちな大勢でのじゃんけんでは、無作為をさぼりだすやつが出る。
人数が多すぎるとき、いったん数を減らすために「多い者勝ち」をおこなおうぜという流れがあって、みんなパーを出すから誰も減らないみたいなのあった。小学生ってあほすぎ。これって小学校あるあるなのだろうか。地域によるか。僕が転校した大阪の学校ではそうだった。最初、多い者勝ちではみんなパーを出すという暗黙のルールを知らなくて、僕だけ脱落し笑われた記憶がある。まさに「多い者勝ち」だ。あれは共同体意識を高めるための儀式だったのか。あと大阪のドッジボールでは、敵がボーリングみたいに転がしてきた球には触れてはいけない?というルールがあって、僕はそれも最初知らなくて拾ったらすかさず死んだことにされ、素敵なルールですねと思ったのを覚えている。
最近の僕はじゃんけんもドッジボールもせず、15時半くらいに起き、実家にさまざまな荷物を取りに行った。

夕陽を浴びた。暖かいけど、雲が増えてる。明日と明後日は極寒で、場合によっては雪が降るんだって。ふーん勝手にすれば。
実家に戻ったら、父のロードバイクがなぜか僕の部屋に置かれていた。この家を出ることは家族には言ってないはずなのに、僕の部屋がすでに物置になりはじめている。変。変だから僕はそそくさと荷物をまとめて出た。
ボタンを押して扉が開いたら、エレベーターの床に小学生がびっしりいて僕は反射的に「すいません」と言ってしまった。小学生たちは僕を避けて液体みたいにドロドロと出てきて、あっという間にいなくなった。マンション内で鬼ごっこをしているのか。老人とぶつかったりしたら笑えないのでやめるべきだけど、マンションでやる鬼ごっこの面白さは認めざるを得ない。一つ上の階で駆ける音が聞こえて息をひそめたり、階段の踊り場で鉢合わせて悲鳴をあげたりする。なによりエレベーターのエンタメ性といったらない。貴志祐介の『黒い家』ではホラーのギミックとしてエレベーターが使われていた。公園のような自由なフィールドとは異なる、点と線からなるグラフ上でのやり取りだから、各分岐におけるルート選択の重みが大きいんだ。多人数でやってるときとか、鬼がこっち来てるのに前が詰まってて「早く行けよ!」と叫んだりする。そしたら前の者に「こっちからも(別の鬼)来てる!」と言われ、青ざめる。パックマンのように、選択ミスによっては破滅が確定したりする。確定した負けを噛み締める数秒間があるのって、ゲームデザインとして良かったり悪かったりしそう。姉がスプラトゥーンで、足元にスプラッシュボムが転がってきて死が確定したとき「景色がスローモーションになる」と言ってて、わかると思った。その時間って素晴らしいよな。
商業施設で買い物をした。腹巻と靴下をレジに出したら店員の方に「あと一品あれば20%オフです」と言われたので商品棚に戻ったが、買いたいものがなくて時間かかった。バンクシーの風船と女の子の絵がプリントされたボクサーパンツをマネキンが穿いていて、べつに要らなかったけど、これの別のサイズありますかって店員に訊いたら無かったので、さらに時間かかった。結局似たような靴下をもう一足選んで買った。レジで店員に「お手数おかけしました」と言われて悔しかった。無印で桜ラテと桜グリーンティー買った。本屋行ったけど何も買わなかった。ソファに座って休んだ。つ、疲れた。体力。今日リュックの重心の位置がいつもと違くて、腰が痛い。
帰宅した。実家から持ってきたバランスボールを膨らまそうとした。空気入れが途中で壊れ、空気が入らなくなった(空気入れは空気を入れる道具だったから)。しかたなく残りは口で膨らました。バランスボールはぱんぱんに張るまで空気を入れたかったので、終盤は大変だった。息を吹き入れ、いちいち息継ぎをするわけだけど、そのときに少しでもボールの穴から離れるとどんどん空気が抜けてしまうから、息継ぎのときは舌を穴に突っ込んで塞いでから口を開き、外気を吸った。舌が攣ったし、酸欠で手足が痺れた。最終盤は穴から中の空気が噴き出す勢いが強く、下手したら僕の肺の方が破裂するんじゃないかと怖かったので、息を吹き入れるときに口の両端からわざと空気がちょっと漏れるように隙間をつくって、突然の逆流に備えた。そのような形で吹き込むと両端からブヒーと間抜けな音が鳴ったし、唾液も大量に吹き飛び、うけた。

なんとか膨らました。しかし疲れたな。
パートナーがレスポンス弱めの日だった。バランスボールを見せたら、快調ならこういうとき「おァーいいねー」などと言ってくれることが多いが、今回は「黒いね」とだけ言われた。今日の彼は花粉症でコンディションを落としているとわかっていたので、不安ではない。僕は先日のかかとの反省を活かし、なるべくそっとしておこうと努めた。でもそんなにそっとできなかったような気がする。次はより一層そっとする。彼は寝た。
バランスボールにもたれてだらだらしている。何かするか。終盤で止まってる『箱男』読み終えようかな。
読み終えた。止まっていた部分から最後までの展開がいっそう目まぐるしかった。書かれたぶんの湿った熱気が閉じ込められており、書いているあいだだけ真であることを、最後の最後まで真であり続けさせてくれという筆の粘りみたいなのまであって、すごかった。

今の視界。バランスボールに膝立ちして、スタンディングデスクの天板に上半身をのせている。深夜3時半。本読み終わっちゃたあ。次は何しよう。僕の生活って「次は何しよう」みたいな、そんな許されたものだったっけ。次は何しようって思えるのってずいぶん余裕があるようだが。ゲーム開発をやってないのか。なるほどね。
ス、プ、ラ、やった。最近これ以外のゲーム遊んでないな。小さくて完結するゲーム遊びたい。

ご飯食べようとしてる。米の再加熱を待っている。準備をしたらテーブルが自然にこの状態になったけど、この人何を食べようとしてる。窓を開けたら雨が降っていた。
食べてなんとなく横になった。もう6時だ。

今とてもいい気分。
でも、怖さもある。今日はまだユメギドの開発をやっていないし、もう寝るから多分やらずに終わる。
日記って、普通過去形で書くものじゃないのか。今日はこんなことがあったと、寝る前に振り返り記録するものじゃないか。それなのに最近、僕は肌身離さずスマホを握っていて、一日の初めから終わりまで、ずっと日記を書きながら過ごしている。
これは本末転倒に感じる。日記の本来的な定義云々はどうでもいいが、「今からゲーム開発をしようかな」とか書くのがよくない。頭の中で「ゲーム開発をしようかな」と考えてからゲーム開発をするのとほぼ同じだ。ライフワークというのは、何も考えず、当然のごとく取りかかるものだ。それをやろうかなと思っている時点で、それは自分にやることを命じていることに等しく、自分に命じておこなうことは、ライフワークではない。ライフワークは、それがライフワークだからやるものだ。日記で現在進行形や未来形の語りを使ってばかりいると、行動のいちいちに不自然な助走をつけてしまう。それは僕の生活には向かないスタイルだ。
僕はもっと自動操縦モードで生きるべき。
このようなライブ実況的な日記形態になってしまったのは、ひとえに不安や軽いパニック、鬱に陥ったときの避難所としてこの日記を使っていたからだ。そのようなとき、日記はとても助けになった。でもそれが常態化して、思考と日記が直結してしまうと意味がない。日記はあくまで記録であって、思考に寄り添ってはいけない。むしろ思考を矮小化して突き放すことにこそ価値がある。箱男を読んだあとにこのような考えに至るのはむず痒いけど。いまや不安も鬱も、日記に書くことよりもいい飲み込み方が見つかってきているような気がする。
明日はためしに、日記は一日の終わりにまとめて書くだけということにする。ゲーム開発は、ライフワークだからやるだけ。
今のも未来形か。難しい。
今日は、実家まで荷物取りに行ったり買い物したりで12,000歩歩いて肩も痛めたので、帰宅後はまあゆっくり読書でもしてゲームでもして、穏やかに過ごした。読みたい本と遊びたいゲームがそれぞれ出てきた。