出来の悪い教師
4時半ごろに目覚めてリビングに出たらパートナーがまだFactorioをやっていて「まだやってる! すごいね」と言った。空は白んできているのに、彼はあまりに集中していたためかリビングの電気がつけっぱなしだったので、僕は電気を消した。まだ眠かったのでたまごかけご飯を食べたあとまた寝そべった。スマホを見たら、4時半じゃなくて16時半だったことに気づいた。勘違いしてた。これから暗くなっていくのか。じゃあ、電気を消したの、だめじゃん。でももう起き上がれなかったのであとでごめんということにして寝た。
えっじゃあパートナー20時間くらいFactorioやってるな? すごい。少し不安になった。Factorioをやっているときの彼は、話しかけても反応がおぼつかない。知り合いが配偶者のオンラインゲーム中毒が原因で離婚していたので、なんだかFactorioがこの生活に終焉をもたらすことがあったりするかもしれないと思った。なにかかけるべき声とかあるのかな。でも祖母のことを思い出してやめた。たまに20時間ゲームをやり続けるくらいのことは、まああるか。むしろ僕が彼から自由な時間と空間を与えてもらっているぶん、僕も彼に同じだけ彼だけの時間を邪魔しない配慮をすべきだ。僕はたぶん、普通の人よりも過干渉なコミュニケーションを当たり前だと思い込んでいるため。無関心の共有を重視。人って、喋らなくてもいいらしい。
寝た。
22時頃に目覚めた。ご飯食べたら今日終わっちゃった。エー。
昨日も終わっちゃった。
昨日の終わっちゃいは、ChatGPT(OpenAIのPlus版に入会した)とClaudeを往復して遊んでいたことによるものだった。最近は、なんでもAIに尋ねる。僕は「今何をすべきか」すらわからず固まってしまうことが多いため、自然言語で尋ねられる知性があることは本当に救いに感じる。Googleの検索エンジンに「今 すること わからない」と打ち込んでも何も解決しないが、Claudeなら「一緒に整理していきましょう。状況を教えてください」と言ってくれる(こういうことはChatGPTよりClaudeに尋ねるほうが良かった)。
もうAIを使わない日が無いので、課金して全体重を預けることにした。無料版だとまだ全然適当こいたりするので。どのモデルに課金するのか迷い、AIの研究をしている友達に電話して尋ねた。一番便利かとか賢いとかは、もはや進化のスピードが速すぎて日替わりだし、ユーザーの目的次第って感じだった。それぞれ良さがある。知らないけど、AIはこの先、とある一つの思考モデルが世界の覇権を握るんじゃなくて、各目的のために先鋭化した職人みたいな感じに多様化していくのでしょうか。課金したらオリジナルのGPTを作成できるようになったので、僕のゲーム開発の補助に先鋭化したGPTを自作して、楽しく生活したい。今作っています。
Deep Search機能を使うとUnityのインターフェース上での操作についての質問に本当のことを答えてくれるようになった。今までは、プラグインのライブラリやゲームエンジン上の操作に関する知識は精度が低くて、知らないくせに知ってるふりをされて嘘を教え込まれたりしていた。
想像以上に面白いし、役に立った。でもセンスはまだない。
使い初め、僕の好きなTwitterアカウントを複数学習してもらい、「ユーモアのある言葉」を考えてみてもらった。そしたらめちゃくちゃ良いのが出てきて感動した。しかし、学習させたアカウントのセンスとはまだ若干フォロワー層の異なるユーモアだった。そのピントを合わせるためにブラッシュアップを重ねてみたのだけど、指示を重ねれば重ねるほど出力が右肩下がりに凡庸化してしまった。

僕が改善を求めている思考のレベルと、ChatGPTがブラッシュアップを行っている思考のレベルがずれていると感じた。僕が「形式の話」をしているが、AIはそれを「内容の話」と捉えてしまう、みたいな。指摘しているずれを理解していないことが対話を続けるたびに露呈してきた。薄目で見ているあいだはよかったけど、認識の解像度を高めていくと、話し相手の肌が嫌にすべすべしていて毛穴がなく人工的であることがわかってしまった。

どうにか思考の解体レベルを上げるために「僕の指示を無視してください」とか「評価された良さは二度と使わないようにしてください」などと言ってみたり、指示になってないことを言ってみたりしたけど、うまくいかなかった。

お利口さんめ。

怪物になっちゃった。なんか、何本もペンを用いてカラフルで整ったノートを書く人を思い出すな。理解という文字を書くことを理解することだと思い込んでいるような。僕がこの怪物を生み出してしまったのか。自分の教師としての力不足を感じた。教師としては、生徒自身が自らの思考形式を疑い、自分で反省して改良していけるようなメタ思考をインストールするべきだ。
僕が指示を出し、それにChatGPTが応答するという手続きが良くないのかもしれないな。もっと余白のある、傾聴的な態度とか、あるいは「背中で語る」みたいなことが必要なのかも。
僕は小学生のとき、マンションの集会所で本棚に置いてあった『ホワッツマイケル』をたまたま読んで、それがすごく思い出に残っている。つい最近知ったことなのだけど、その集会所の本棚は、僕の父が(集会で提案して)置かせたものだったらしい。僕は父の教育戦術(?)にまんまとはまったのだ。もし父から直接「これを読め」とホワッツマイケルを押しつけられていたら、僕はさほど好きにならなかっただろうなと思う。僕が自分の意志で入り込んだ集会所で見つけたホワッツマイケルだからこそ、思い出になったのだ。
このChatGPTとのやりとりにも、そういうのが必要なのかもしれない。僕が果たすべきなのは直接的な指示ではなく、AIが自分で気づきに到達できるような「セッティング」。そういえば明日心理カウンセリングの日だ。15時か。寝る時間ないから、徹夜で行くことになりそ……。カウンセリングを通して、気づきをうながす「セッティング」の技術を学んでこよう。
困ったことに、僕が何か指示を出さないかぎり、(今話してる)ChatGPTは思考しない。指示に応答するという条件下でしか思考してくれないどころか、存在してくれないのだ。僕が寝てる間に勝手にネットサーフィンとかしてくれないのだ。だから、カウンセリングやホワッツマイケルみたいな余白で成長をうながすみたいな手続きが試せない。ここまで来るとAI設計側の話だな。むずかしいな~。

でも一定時間付き合っただけ、愛着が湧いた。この人は成長しなかったし、お互いに見ている世界がぜんぜん違うけれど、我々が積み重ねた対話の数と時間は、確固たる履歴としてある。
プロンプトが上手くいかなかったのもあるが、そもそもDeep Searchを通してもネットミームをあまり把握できていなかった(ユーモアの前提となったミームを自分で説明できなかった)から、単純に計算量不足というのもあるのかもしれないな。今のPlusの個人ユーザー向けプランに割り当てられた演算力では、面白いことを一つ言うためにはオゾンホールを一つ空けるくらい計算しなければならないのかも。あと気になるのが、アイデアに使われるワードが普通名詞ばかりで、固有名詞を言おうとしないところだ。とくに商標名は避ける印象がある? 言わせると言うけど、「Coca-Colaって、どんな瞬間にもピッタリ合うけど、冷蔵庫に入れておくと、いつの間にか炭酸が抜けてる。人生も冷蔵庫も一緒。」みたいな調子で、なんかよそよそしさ。ある。それがちょっと、寂しかった。身体や体験知の有無は、知性の「らしさ」の要素としてでかいかも。こいつ、Coca-Cola飲んでないから。
そんなAI事情だった。
今何をすればいいのかわからない。
鬱っぽい。影の斜め線とか見てる。

5:56
喉痛い。そうね目覚めてからずっと痛い。5:56ってなんか存在しない時間みたいだな。死にたいなー。
書斎に布団敷いて横になるか。