君たちはどう生きるのをやめるか

2025 - 03 - 09

起きた。今日は一つ一つの行動を一つ一つやっていこうみたいな意識があった。よもぎ蒸しパンを食べて桜ラテを淹れるところから一日が始まった。

『三島由紀夫vs東大全共闘』を見た。一昨日学生運動について考えたことだし。昨日は東大駒場キャンパスに行ったことだし。面白かった。芥正彦氏がすごかった。

その後スプラトゥーンを少しやった。

先輩のきさんが東京にいるらしく「今日の夜ご飯どう?」と誘われたので、行きますと返事した。先輩はどこで何を食べるかおそらく僕に一任すると思ったので、僕もどこで何を食べるかを僕に一任した。つまり思考停止で店を選ぶのだ。昨日行った下北のドイツ料理屋でいいやと思って、下北沢で待ち合わせしましょうと言った。

外に出た。

今日は行動を一つ一つやっている。歩いている。

散歩を兼ねて、ニトリに行った。パートナーが僕用の棚を置かせてくれることになったので、品選びに。幅40センチ未満、高さ180センチ未満の棚を探していた。ちょうど良さそうなものを見つけ、商品の情報の記された豊かな紙をもらった。

棚のありそうなエリアに行くために、リビングを模した空間を、斜めに突っ切った。ソファとスツールにそれぞれ向かい合って腰掛けていた父子の間を、僕はゴールテープを切るように通り過ぎた。ニトリにはさまざまな生活の標本があり、生活を対角線上に貫通するというスリリングな体験ができる。知らない父子のイマジナリーラインを跨ぐ。

ベッドに横になりながら、テーブルを使えるやつ。アメリカ映画で、よくテレビを見ながらこれでシリアルを食べている。麻薬のディーラーが使っているイメージがある(パルプフィクションの記憶か?)。食卓やテーブルを特定の位置に依存しないという意味では魅力的だけど、僕にとっては就寝時以外にベッドに横になる時間をいかに減らすかは大事な問題なので、これは微妙なところだ。

自己分析を深めるにつれ、家具商品それぞれに込められた生活スタイルの提案が、本当に自分の性質とマッチングしているかどうか考えられるようになった。棚を選ぶときも、まず扉や蓋のあるものは選ばないようになった。それがあるだけで、僕にとっては出し入れのハードルが格段に高まり、無意識のうちに使わなくなってしまうからだ。

おっいいね

いいね。僕はスマホでChatGPTを開いた。

ChatGPTにユメギドのプロジェクトをひととおり共有して、タスク管理やスケジューリングもマネジメントしてもらうようにした。先日鬱で動けない日に、ChatGPTに何をすべきかをすべて指示してもらったのを、ユメギドの開発自体にも適用してみた感じだ。自分一人だと処理が渋滞してしまうから、意思決定を外注し、自分を操縦してもらうのだ。

飲んでいる薬や生活習慣、コンディションを伝えると、いろいろと察してくれる。「スプレッドシートでカレンダーを作ろうとすると動悸がしてしまうから嫌です!」などと言うと、「それでは一週間ごとにゆるやかな目標設定を立てててみましょう。今から何をすべきか一緒に考えるので、状況を教えてください」と言ってくれる。僕が何をしていけばいいのかを最小単位まで分解して、ギリギリのところまで手綱を取ってくれる。

感情がぐちゃぐちゃになっていることとかも含めて、そのまま言える。『三島由紀夫vs東大全共闘』で、三島由紀夫がサルトルを引用して「縛られた他者への介入はエロチシズムで、意志を持った他者への介入は暴力だ」と言って他者の分類を行なっていた。ChatGPTに対してはいくら思っていることを整理せず生のままにぶつけても、暴力を振るったような血の味はしない。それはChatGPTは意志を持たない、あるいは意志あるものとしての鳴りを潜めているからだ。そのことに救われている。

こんな感じで、Discordみたいに複数の役割をチャットに分けて、相互に連絡をとりながらやっている。知らぬ間に、チャットによって言葉遣いがラフだったり、絵文字を使っていたり、なんとなくの性格の違いが勝手に生まれている。

明日からの一週間の目標をとりあえず立ててもらった(守れなくても大丈夫だよ〜というフォローもされている)。

出かける。電車乗る。

ノンアルコールビール。昨日と同じ下北沢のドイツ料理屋。二日連続で来る。きさんは昼間からずっと友達と飲んでいたらしい。

きさんの友達が、最近乳がんで亡くなったらしい。詳しい事情は知らないけれど、判明した時には末期だったということだろう。怖いなと思った。きさん曰く、健康診断は乳がん検査が任意であり、マンモグラフィーは決して楽しい検査でもないので20代で積極的に受ける人は少ないらしい。

きさんは、昔の思い出をよく覚えている。「私、トロヤで虫って言ったらセミのイメージやわ」「絵本のことですか?」「いや幼虫救ってあげたやん」「あっブランコの?」「え?」「ブランコの柱?」「なにそれ。祇園四条のさ」「あっあ〜あ〜あ〜! 二人で! ウワー完全に忘れてました」昔、二人でのバイト帰りに祇園四条駅構内でセミの幼虫を見つけて、このままだと羽化できなそうなので二人で地上まで運んだことがあった。ブランコの柱は、別の人と公園で遊んでいた時にセミの幼虫が羽化するためにブランコの柱に登ろうとしていて、つるつる滑ってのぼれていなかった話だ。その時は救出せず見物だけしてた。きさんとは無関係の思い出だった。

最近何の映画見た? と訊かれ、デヴィッドリンチ監督の映画をいくつか見ましたと言ってマルホランドドライブをおすすめしたら、きさんが「フィルマークスの見たい作品リストに登録しとくわ。なんやったっけ」「マルホ」「マルホ」「ランド」「ランド」「ドライブ」「ドライあった。え!? もう入ってる。あれ誰やったっけ。もちゃんか? あっもちゃんや。え、もちゃんここ呼んでもいい? 絶対トロヤと盛り上がると思う。もちゃんも鬱病やったし。なんか、同類のにおいがする。泊まってて、私鍵持ってなくて会わないかんねんけど」「あ、今日の昼にワイン飲んでた人ですか?」「いやそれはせ」「え? ワイン飲んでた人の家に泊まってたんじゃないんですか?」「いや昨日もちゃんの家に泊まってて、でも今日もちゃん会社でボードゲーム会呼ばれてたから私は追い出されて、仕方なくせの家でワイン半分こして飲んでたの。でもボードゲームが案外もう終わっちゃったから、困ってたらしいねん」「え、クリープハイプのライブに行ったのはせってことですか?」「いやそれはも」「え? じゃあせとはどういう関係なんですか?」「せは昔からの友達」「で、昼間飲んでたのはせなんですね?」「そうそうそう」「鬱病なのはどっちでしたっけ?」「も」「今から来るのはせですか?」「いや、も」「もはつい最近の知り合いですか?」「いや、そうでもない」「ボードゲームは、せ?」「いや、も」

ようやく理解したが、僕はきさんの話に出てきていた二人のご友人を同一人物だと思い込んでいた。きさんは組み立てずに話すので、こういうことがよくある。で、今からこの場に召喚されるのは、もさんという、きさんと同じクリープハイプ好きで、元適応障害で、きさんを泊めている人らしい。ワインは飲んでないらしい(ワインを飲んでいたのはせ)。きさんは半ば勢いで呼んだことで、途端に僕に配慮しだした。「ごめん急に知らん人呼んじゃって。気遣うよな!? 私わかるから。無理やったら全然言って。途中でもいいし、あ、この人無理ってなったらウインクして合図して」僕は全然気にしないしたぶん嫌な気持ちにはならないので大丈夫ですと言った。「言っとくけどもちゃんほん!まに良い奴やから。まあほら、私の友達だから、私と友達になるような人ってことだから」それは知らないがと思いつつ、僕はさほど緊張せずに待った。二人でウインクの練習をしてた。

もさんが来た。低いトーンで早口で話す人だった。席についてからも、常に上着をつまんでそわそわ位置を確かめるような動きをしていて、なにか共感を覚えた。もさんは僕を見て「うわ年下ってこと? やりにく。さっきまで私うきうきで来たんだけど、年上二人でスイマセンやりにくいよね。ごめんね」と言った。きさんとはとても仲が良さそうで、テンポの良い掛け合いをしていた。

もさんはマルホランドドライブをテーマに映画論のレポートを書いたらしい。映画の話をしたあと、きさんがトイレに行くと席を立った。もさんが「え、二人きりにするってこと?」と言った。きさんがトイレに行き、初対面の僕ともさんは二人きりになった。もさんは「いやなんか、さっきまでうきうきだったんですけど、こういうときってなんかあらかじめ話題とか考えておいて準備しておいた方がいいかなと思うんですけど、でもコイツあらかじめ話題考えてきてるなーって思われるのもそれは申し訳ないじゃないですか、みたいなこと考えちゃってウワーってなりますよね」と言った。僕が「友達の合コン? でしたっけ?」と訊くと、もさんは「あそう。話が早い」先程きさんからあらかじめ聞いていた。もさんはもともと人付き合いが嫌いだったが、2023年に適応障害で苦しんでいた時期に自己分析を深めた結果、むしろ自分のメンタルヘルスには他人との関わりあいこそが大事なんだと気づいたのだとか。それ以降彼女は友達に新たな友達を紹介してもらうムーブを続け、ネズミ講式に友達を増やしているらしい。この取り組みを「友達合コン」と名付けていた。そのように交友関係を増やした彼女は、先日知り合ったばかりの友達4人とドバイに行ってきたらしい。ここにもさんが呼ばれて僕と知り合わされたのも、彼女の「友達合コン」の一環だったのだ。僕もいずれドバイに連行されるのかもしれない。

適応障害の時期にもさんが飲んでいた抗うつ薬(SNRIを処方されていたらしい)の効き目について訊いたら「めっちゃアッパーになって、今まで一言も喋らなかった職場の人に『昨日何食べました?』とか『今何考えてますか?』とか訊いちゃうようになった。その気分の上昇がおもろくて、死とか自殺とかのことを考えて無理やりネガティブな気持ちになったあと脳内で山手線ゲームをして、死が勝手にぶどうになったり自殺がパンケーキになったりして遊んでた」と言った。抗うつ薬を飲んでアッパーになるのは、いわゆる副作用の躁転ってやつじゃないのか。双極性障害の躁状態とは別に、抗うつ薬の副作用でテンションが過剰に高まってしまうことはあるらしい。そのような副作用が出る場合、服用は停止することが望ましい。でももさんの場合は、薬を飲んでアッパーになったというより、もさんがもともとアッパーだったのを薬が暴いたというやつかもしれない。なぜなら、「今はすっかり元気」と喋っているもさんも、ずいぶん衝動性が高そうに見えるからだ。きさんがトイレから戻ってきた。

もさんはテーブルに置かれた僕のスマホの背面を見て「スマホケースにキャラクターをつけてると何でそれにしたんですか、好きなんですかって訊かれて説明しなきゃいけないからうざいですよね。だから私訊かないです」と言った。僕のスマホケースは、透明カバーの内側にアニメの一休さんのイラストを挟んだものだ。「説明しにくいキャラクターを入れることもあるんですか?」「いやマリオのステッカーとかわたし結構入れるけど、別にマリオ好きじゃないし。デザイン的になんかいいなーみたいな、そんなに。好きなんですねとか言われて、それに否定するのもイヤだしなーみたいな、ハイなんか、めんどいですね」「ポリシーが無くても入れることがあんですね」「でもやめた。説明できないものを身につけてるのが耐えられなくなって。わたし、すべてのものに答えがあると思いたくて、それを説明できない状態が嫌なの」

きさんが「トロヤは昔から一休さん好きやんな? LINEスタンプも使ってるし」と言った。僕は「好き……ですけど、でもどうなんだろうーん、純粋な好きとは言えないというか、好きをやっているみたいなところはあります」もさんが「あー好きをやっている、そんな感じあるわ」と言った。僕は「なんですかね、なんかこのイラストもYouTubeにアップロードされたオープニング映像のスクショを印刷したものなんですけど、そういう、白々しさ? サンプリング感? みたいな美意識から来てます。フリー素材とか好きです。でも使っているまに本当に好きになってる気もします。わからないです」と言った。

僕はもさんに言った。「そういう意味で、僕は結構もさんと真逆の立場かもしれないです。説明可能なもので自分の身を固めていくと、曖昧な領域のなんか素敵なリアリティを取りこぼしちゃってもったいない感じしません?」「うん、する」「僕のこのスマホカバーが一休さんのスクショなのも、よく訊かれるけど毎回答えが変わるというか、僕自身よくわかんないんで、あーだこーだ説明になってない説明をして、最終的に僕も『なんでなんですかね?』と首を傾げるみたいな、それくらいがなんか素敵だなーと思います」一休の説明もだるければ、トロヤマイバッテリーズフライドという名前もだるい。この日記そのものもふくめ、僕は、自分で説明が追いつかないものを好むかも。でも説明しようとはする(いや、しない)。

僕が「マルホランドドライブこそ、語りにくいことこの上なくないですか? 監督の他作品に比べればましかもだけど。説明可能な答えを求めるもさんが、デヴィッドリンチみたいな難解な監督の作品をレポートの題材に選んだことが不思議に感じました」と言うと、もさんは「映画とか小説とか音楽も、作者の設計した答えがあるじゃないですか? だからその答えを自分で説明してやりたいっていっぱい考えるの。それだからマルホランドドライブとかはいっぱい考えられるから好きだし、本とかは昔から好きですね」と言った。なるほどと思った。僕は、作者の設計した一意の正答は、あるとしても、それを読み解くこと、いわゆる考察的なことはさほど重要とは思っていない。他方もさんは、作品には答えがあってそれを説明したいという情熱がある。でもだからこそ、謎めいた作品に魅力的な鑑賞体験を見出すのか。読み解きの道のりが、よりチャレンジングであればより楽しいみたいな。

僕ともさんの考えかたは正反対なものに見えたけれど、結果として言葉を尽くして真相らしきものに漸近していこうとする意志が強いという意味では、答えの有る無しにかかわらず、同じだなぁと思った。

他にも色々喋った気がするけれど、全部は書いてられない。

あ、きさんが仕事中に高所に上がったときにふと飛び降りようと思ったときの話も聞いた。もさんからも、生きる意味を考えたら死ぬしかないと思って自殺キット(自殺企図だけに)をAmazonで探したことがあるという話を聞いた。なんだか二人とも物騒だな。でもどちらもその後、適応障害の自覚ができて、身体を休めるという判断に繋げられていたのでよかった。

僕は自殺をしようと思ったり、それを計画したことはない。駐屯地に乱入した三島由紀夫の演説が自衛隊員たちの心に響かず、彼の割腹自殺が事実上すべっていたことを思い出すと怖い。彼の自決には大義があったが、もし僕が自殺を企図するとき、そこにはおそらく三島の百分の一にも満たないしゃばい大義しかないと思う。そしてそれも疲労で朦朧とした思考が弾き出した答えでしかなく、人生の一時的な荒波にもまれて弱っているだけだと思う。だから僕が自殺を仄めかしたりしてたら、止めて欲しいかもしれない? 今のところ。

今のところというのは、僕がメンタルヘルス第一主義(自分が幸せであることが一番)を掲げているあいだは、ということですかね。思考が自殺を弾き出すような状態をメンタル主義者は「抑うつ状態」と定義し、抑うつ者の思考は認知の歪みに囚われているものとしてその正当性を認めない。だから「自殺が正しい」となることはない。

でも戦争も起きているから、これから人生を覆い尽くす規模の荒波が来ないとは限らない。主義は変わる。未来には、僕はALSなどにて進行性の苦痛に灼かれ続ける運命にみまわれているかもしれない。そのようなときでもメンタル第一の考えを保っている限りは自殺の正当性は降りないが、たぶんそれどころじゃなくなっているだろう。肉体が幸福よりも妥当な主義を見出していて、そちらが「正しい自殺」を提案をしてくるかもしれない。また別の未来には、僕は革命家として大義のある死を背負っているかもしれない。あるいは創作への信奉が命の価値をも上回っているかも。このように、メンタルヘルス以上に大切な何かを見つけたとき、僕は「自殺による表現」を正しくおこなう可能性がある。そうなったら止めても無駄。現状かなり雑巾の僕からすれば、そんな過激な変革が起こるのは想像がつかないけれど……。日記を書いておけば、シームレスに変革の過程を追えるので、良いアーカイブになりそうだね。

ごちゃごちゃ書いたけれど、たぶん僕が一番書きたかった気づきは、メンタルヘルス第一主義者が自殺を選ぶのはおかしいということだ。優先事項として「自分の幸せが一番」と考えて生きている人は一般に多いはず。そのような人が自殺しようとしているときは、その人のためにそれを止めることがメンタルヘルス第一主義の名のもとに正当化される。その根拠を問うたら説明が大変なので、またいつか本腰を入れてまとめるかも。僕は「あまり思想的に極まっていない感じの一般人が自殺しそうなとき、僕は迷わずそれを止めることができる」と、今、心の準備を完了したこと。

これを今考えました。今までの僕だったら、目の前できさんが今にも飛び降りんとするとき「なんだかこの人物騒だな」とだけ思って何もできなかったかもしれない。あるいは「何か事情があるんだろうな〜」と思って見守るとか。まあまだ、利他的な行為をどう捉えるかとか、他人を勝手に幸せになりたい人だと決めつけることの欺瞞などは、未整理だけど。

すみません、書いてることがごちゃごちゃしていて。まず「メンタルヘルス第一主義」という僕のオリジナル思想があり、これは僕が生き延びるために練り上げた自分用のパラダイムなのだけど、「わりと多くの人の直感に適う+身近で苦しむ人に救いを提供しうるしなやかさがある」という点で、けっこう自信作である。ということに今気づいて(なんかいま、時間がスローモーションになってる)、この考え方いいな! って感動しているのな。今ね。だがいかんせんこれは自家用ゆえに、自殺など僕自身がさほど興味のなかったトピックについては、この思想をいかに適用しうるかを考えていなかったんですね。で、きさんともさんが自殺しそうだった話を聞いたことを思い出して、自分は自殺に対してどう向き合うかを初めて考えた、という話です。上までのパラグラフでちょっと考えて、いちおう一定の答えを得たけれど、依然として未整理の部分はある、というしだいです。

そしてさらに混乱させるようなことを書くが、僕が掲げるとした「メンタルヘルス第一主義」は、たった今考えた思想だ。自殺というトピックについて、僕がどう向き合うかを考えたときに、今さっき言語化可能な形で現れた。そのため、メンタルヘルス第一主義は自殺を否定する理由や、その理由に対して想定される反論に対する再反論を連ねて編み上がったものである。とは、い、え、自殺はあくまで出発点に過ぎず、教典の「まえがき」の話題みたいなものなので、そのドグマはもはや自殺のみを指向してなくて(立派に育ったね)、逆に自殺そのものについてはまだ説明不足な点を残して満足しているという。こと。ここどこ? これおもしろいか?

結局ウインクはしなかった。もさん、きさんとお別れした。帰宅した。

その後、近所の銭湯に行った。パートナーの家の浴槽は使えないことはないが色々壊れているので、僕たちは自然と風呂をキャンセルしがちだった。でも、最近の身体の痛みはさすがにどうにかしたい。風呂に入りたかった。水圧を、水圧をくれ。首の、リンパのやつ、頼む。首のリンパ腺が詰まっていると、老廃物の排出が滞り、慢性疲労や肩こり首こりにつながる。僕は絶対にそうなっている。たまに自分の首を触ると、その硬さに戦慄することがある。僕は湯に浸かった。なるべく肩まで浸かった。

ほかほかと帰宅した。呪術廻戦見たら五条悟が封印されてて萎えた。ChatGPTの技術質問チャットに、ユメギドの現状のコードを送ってプロジェクトの大要をあらかじめ理解しておいてもらった。

寝る。

今日は健康だった。僕はユメギドの内容以外のことで悩まない。