ミステリは手段にすぎない

2024 - 08 - 19

目先の不安をバクバク食べる、不安モンスター。コーヒーを飲もうとするも、コップを傾けることができなくて、顔をコップにはめ込んで、そこで呼吸する。コーヒーの中で呼吸。

首筋から背中にかけてが痛い。寝過ぎたから。

10時間近く寝たのでこれ以上眠れないけど、瞼は重い。現実世界を直視できない。

(中略)

軽い絶望。

(中略)

ロマン・ポランスキー監督の『ゴーストライター』を観た。イギリス元首相の自叙伝を執筆する仕事を請けた主人公が、取材の過程で謎に出会うサスペンス。空気がしっとりしてて、素敵だった。全体に静かで、ロードムービー的でもあった。クトゥルフ神話TRPGを遊んでいるときと似たようなフレーバーを感じた。島の地図を持って雨の島内を自転車でめぐるとか、車の前の使用者のカーナビの履歴に従って動いてみるとか。現地の気難しい老人の家を訪ねて情報を得たり、過去の新聞記事や前任者の残した資料をもとに推理したり。地道なのだ。地道な移動、地道な情報開示、地道なコミュニケーション。それが素敵だ。

ミステリーやサスペンスで真に大事なのは、謎の真相ではないと思う。犯人やトリック、動機が重要なのではない。本当に大事なのは、謎の存在によって立ちあらわれる得体の知れない空気、不可視のコミュニケーション、雨や廃墟、カーナビゲーションなどあらゆる表象の裏に何か隠されたものがあるかも知れないという予感が、鑑賞者の心にきざすこと。そういうのが上質な鑑賞体験を作る。そう思った。

爽快感のあるどんでん返し!衝撃の真相!巧みな伏線回収!とかを作品のメインに据えるのは、面白くない。ユージュアルサスペクツとか。

模写をした。ボディビルダー時代のアーノルド・シュワルツェネッガーの模写。なんで。

模写をするエネルギーはあるらしい。

僕が突然シュワルツェネッガーの模写をした理由が、あなたがたにはわからない。説明してないから。でも、知ってどうする。「真相」の味に溺れてはいけない。わからなさを噛み締めろ。

おやすみなさい。

朝9時まで起きていました。

ごめんなさ。

生きててごめんなさ。