プロフェッショナル:仕事の定義
「地図回遊病」という病がある。罹患者は特定の地図に固執している。世界中のどこにいても、その地図の区画にしたがって夢遊病者のように歩きまわる。参照される地図はさまざまで、地元のハザードマップだったり、幼い頃に描いた宝の地図だったり、はたまた地球儀であったり。
という夢を見て起きた。19時半。今日、少なっ。
バスに乗った。運転席の左手前のタイヤの上の一人席。ここからだと運転のようすがよく見える。バスはマニュアル(MT)車だった。
僕は自動車学校で、MTの資格を取った。僕はギアを1速から2速に移行する時に、毎回ガガガガッと車を揺らしてしまうのが常だった。各ギアには、変速時にこれ以上でも以下でもいけない速度の幅がある。速度がそれに合っていないままギアチェンジすると、エンジンとタイヤの歯車がうまく噛み合わず、車体が揺れたりエンストしてしまう。
バスの運転手さんは流石、少しの震えも感じない運転をするからすごい。二種免許の教習では、僕みたいなガガガガ運転は許されないんだろうな。
左手中指と薬指の股でレバーを柔らかく掴んで、軽いタッチでギアチェンジをしている。まったく引っかかる感じはない。変速のたびに「プシュ」と空気の抜ける音がする。バスはしょっちゅう停車するから、それだけ変速の手間数がかかるはずなのに、難なくこなしている。すげー。
MTといえば、『崖の上のポニョ』の主人公の家の車はMT車だった。リサが船着場を強引に突破するときの、瞬時にクラッチペダルを踏み込む足さばきのアニメーションがすごく好きだった。リサの性格が現れている気がして。
じろじろにならない程度に、運転席を観察した。席の右手のモニターには、各バス停に何時何分に停まるかのタイムテーブルが表示されている。ドアの開閉を制御する機器もある。左手にはあの料金支払い機等。そしてあらゆる角度を見わたせる、無数のミラー。これだけのものを並行で扱って、さまざまな処理をこなさねばならない。客に不快感を与えないスムーズな運転に加え、時間管理、両替対応、バス停に停まるかの判断とか色々やらなければ。
これがプロフェッショナルだ、と思った。
帰宅した。帰るなり、ベッドに寝たきりになった。僕はプロフェッショナルじゃなかった。何もせず、気がついたら早朝5時になっていた。ただでさえ人より短い貴重な行動時間に、専門性を磨くこともせず、余暇すら行わず、ただ固まっていた。みじめだ。
あなたはプロフェッショナルですか。
僕はまだ、プロフェッショナルへの道は遠いようだ。みじめだ。みじめです。みじめみじめみじめみじめ。
プロフェッショナル。
この国には「職に貴賎なし」という倫理規範がある。「人の仕事を社会的地位や収入の多寡といった尺度で評価するのは差別的であり、はしたない」という規範だ。バスの運転手も、福島第一原発の廃炉作業を行う現場作業員も、地球儀を指さして「マダガスカル」という人も、システムエンジニアも税理士も、平等に偉いというのだ。
これは僕も基本的に、大事な心持ちだと思っている。
ところで、布団で寝そべっている今の僕が、この布団を上野公園とかに動かして、そこで眠りこけるとする。で、近くに空き缶を置いておいたら、通りがかったある人が、その缶に100円玉を投げ入れた。
この場合、僕は「職に貴賎なし」の輪に仲間入りを果たしたことになるのだろうか。
仕事とは一般に、価値を提供し、その対価を受け取ることだ。もしお金を入れた人が「この人変なことやってるな」と面白がってお金を入れたなら、僕は大道芸に近い行為をしたことになる。「職に貴賎なし」によれば大道芸人はシステムエンジニアと同等に偉いから、睡眠をしばいてただけの僕も、システムエンジニアと同等に偉いことになる。
でももしお金を入れた人が「この人は住む場所がなく、生活に困っているのだな」と思って入れたなら、それは価値とお金の交換ではなく、一方的な社会的な支援の枠組みにあたる。ホームレスへの施しに近いものだ。僕のした上野公園で布団で寝る行為は、仕事とは呼べないだろう。また住む場所は実際はあるわけなので、詐欺行為にも該当するかもしれない。詐欺師もまた、職業とはみなされにくいだろう。
僕の行いが前者のように受けとられるか、後者のように受けとられるかは、僕の行為によってではなく、お金を払った人の心理で決まる。それでは、この現場を目撃しただけの第三者は、この状況をいかに判断するだろうか。僕はプロフェッショナルなのか、そうでないのか。
みたいなことを思った。「どんな仕事をしている人も、同じだけ偉い」という規範の存在は一見納得感があるが、仕事というのはあまりにも濫造しやすい概念だ。現代では、わかりやすい名前をつけられないような仕事をしている人がたくさんいる。ホームレスの人の手元の缶に銭を入れる行為だって、金を入れる人の心の中にわずかでも「気が晴れる気持ち」などの「価値を受け取った感触」があれば、そのホームレスの人はプロフェッショナルなのだと言えるのではないか。
「職に貴賎なし」は職業差別を嫌うスローガンだ。でももしかしたら、その前提に「Aはどうみても立派な仕事だ。でも、Bはだめだ。こんなもの、仕事とは認められない」という、暗黙の差別が含まれているのではないか。「職に貴賎なし」の恩恵にあずかれるのは、「職」として認められたものだけなのだ。
今日は寝た方がいい。なンもできませンた。