今日も一日頑張るぞ

2025 - 03 - 19

9時ごろに胸騒ぎで目覚めた。内側から寒い。吐き気。呼吸が難しくて、お湯に浸かっているときに浮力で肺が持ち上がっているときのような不安定さを感じる。昨晩からこれが続いている。

寝ているパートナーが汽車みたいに呼吸してて、ようやくわかった。我々は酸欠になっているのか。昨晩、寒気を理由に暖房をつけっぱなしにして寝た。これで酸素濃度が夜中じゅう減り続けていたわけか。僕は窓を開けた。しばらくすると、パートナーの寝息は観葉植物のように落ち着いてきた。僕自身の胸のざわつきも減った。窓を開けたから部屋は冷気に包まれたけど、布団にくるまって凌いだ。

昨晩は、そもそも気温が低かったのもあり、換気を怠った。だから若干の酸欠になった。僕は酸欠の症状としての内臓の冷えをうまく解釈できず、暖房でどうにかしようとし、結果としてさらに酸欠を深めてしまったようだ。まったく、生きるのってめんどすぎ。酸欠については快活CLUBの完全防音個室でよく体験していた個人的体験と、寝ているパートナーの呼吸の仕方が部屋の酸素濃度を如実に表しているようなので、それらが判断材料になった。𝐒𝐜𝐢𝐞𝐧𝐜𝐞。

起き上がったが、吐き気はなかなか治らなかった。一昨日くらいからある気がする。僕は酸欠のせいだと思っているけど、よくわからんな。コーヒーを飲んだら、腹の中のコーヒーがいつまでもコーヒーであり続けていて、お腹が重たくて気持ち悪かった。胃が簡単な外付けHDDみたいに重くなっちゃったのだ。これって胃もたれってやつなのかな? なんにしてもウー気持ち悪い。空腹と吐き気が両方ある。消化器が弱まっている。

店が閉店していた。

精神科に来た。住処を変えたから、行きつけのクリニックが軒並み遠くなった。私はその移動時間を楽しみますが。バスを待つのは得意です。イヤホンを取り出したら充電が切れてた。オイそれは聞いてない。

家出したことと、心理カウンセリングがどういう感じだったのかと、最近の吐き気のことを話した。先生は「いいね」と言った。

先生の判断で、処方量が変わった。パキシルが25mgに減量、コンサータが54mgに増量した。抗うつ薬であるパキシルの減量は、抑うつ状態の原因に対して僕自身が課題解決的に処理できるようになってきたためだ。遠からぬうちに、外的な介入でセロトニンを補強する必要がなくなってくるから、徐々に卒業を目指してもいいとのことだ。むしろ惰性で飲み続けると、消化不良や性機能障害などの副作用が目立ってくるかもしれないから。ADHD調整のコンサータは、効き目は確かに感じるけどそこから生産活動に繋げられるかどうかは僕の習慣次第だなーと思っているので、僕自身はとくに増やしたいとか減らしたいとかはなかった。増量の理由は「25歳としては54mgは標準的な処方量」だからだ。段階的に増量している最中だったみたいだ。

パキシルの減量に異論はなかった。たぶん通い始めたときよりも、僕は相当安定している。精神的に成長して、メタ認知と知識も備わり、環境も整理されてきた。死にたいと思うことが減った。「トロヤさんの心の問題は、トロヤさん自身で解決できるレベルにまで解決しつつある」と先生は考えているのだろう。僕自身もそう思う。けど、いざこうやって薬理的アプローチから脱却していくとなると、いつか来る巣立ちを感じてちょっと不安になった。でもまあ、自分の脚で立つ練習をしなきゃだな。

薬局で処方箋を渡した。読みさしのアフターダークをめくりながら名前が呼ばれるのを待った。花粉症の客が多く、そこらじゅうでズビズバ啜る音が聞こえた。アフターダーク、なんだか簡単な話だなーとは思いつつ、好きだなー。各章の初めに時刻を示すアナログ時計が書かれる。しかし章の終わり頃にはもうその時刻ではなく、書かれた分の時がしっかり経っていることが描写から読み取れる。三人称視点の群像劇で、世界の時間軸が毅然として進み続けるような語り口、好きだ。個々の出会いや物語とは無関係に、あくまで太陽は沈み、しばらくしたらまた昇る。そこは揺るぎない。みたいな。そういうリアリティの肯定に共感する。『パルプフィクション』とか、ガスヴァンサントの『エレファント』とかに近い心地よさがある。時間は等速で進み続ける良さ。ある。

受付の向こうで、薬剤師の人が錠剤のセットを輪ゴムで束ねる音が聞こえた。僕はその音が、僕のための薬の音だと確信した。でもそれからしばらく誰も呼ばれなくて、15分後くらいに自分が呼ばれて、薬をもらった。だからさっきの錠剤の音が僕の薬の音だったのかは、不明だった。でもなんだか確信していた。

帰宅。そのまま、パートナーとハンバーグの具材の買い出しに行った。無印に注文した温湿度計が届いていたので、それを受け取った。

スーパーで食品を探しながら、僕はパートナーに対して「なんであなたは服が赤いんだ」みたいな詰問?をしていた。険悪なムードが(僕の中で)ただよった。

この前110円の耳かきを買ったら粗悪品で即日捨ててしまったので、ドラッグストアに立ち寄って新しい耳かきを探した。そしたら、アプリと連動して耳の中を見ながら耳かきができる「スマート耳かき」を見つけた。こんなの買わないほうが難しいだろ! 僕はレジに持って行った。シェーバーなどと合わせて「7,243円です」と言われた。「iDで」と言ってスマホをかざしたら、端末が赤く光って警告音が鳴った。そうだ、クレカ止められてたんだ。僕は「交通系ICで」と言って、パスモをかざした。また赤く光って警告音が鳴った。残金不足だった。僕はチャージで行けますか? とか言ったがよく考えたら財布を持ってなかった。まごまごしたのちに、背後にいたパートナーを見て「ごめん一旦払ってもらってもいい?」と言った。彼は「おっけーん」と言って払ってくれた。申し訳なかった。彼はスーパーで買った2リットルペットボトル5本をリュックに背負っていて、それなのに待たせてしまっていた。スーパーを出た帰り道、僕は彼に「家に戻ったら財布あるから、すぐ返すね」と言った。彼は了解と言った。でも僕の財布の中身とは言っても、そこには彼から借りたお金も混じっている。それなのに僕は3,500円するスマート耳かきを購入して、一体何をしているんだと恥ずかしくなった。

スマート耳かき。Wi-Fi接続によって、スマホアプリから「耳かき視点」を見ながら耳掃除ができるようだ。

オイオイオイ

まじかよ!

面白すぎるだろ!

耳かきは今まで勘でやっていた。僕は人に比べて耳垢がまとまりづらく、粉状にぽろぽろ散らばってしまうという個人的な悩みがあった。執拗に掻きだして、よく血を出していた。しかしスマート耳かきなら、散らばった粉を目で確認しながら集められて、それこそスマートに取り出すことができた!

掘り進めると毛細血管が露出した生っぽいエリアがあった。触ってみると、知っている痛みを感じた。なるほど! 今までの出血は、この辺を無理に掻いて毛細血管を傷つけていたからだったのか。今まで触覚や痛みによって経験的に描いていた外耳の脳内マップが、ついに答え合わせをされたようで、楽しかった。ここを押すとこう痛いみたいなのがわかる。

スーパーで、僕はパートナーにこう言った。「あなたって、他人にも自分にもぜんぜん興味ないじゃないですか?」「うん」「それなのに僕にだけは興味あるんでしょ?」「うん」「そんなことってあるわけ? 僕のことが好きという意味で興味あるんだったら、あなたは何かしら、僕から何かしら幸福的なフィードバックを得てるってことでしょ。じゃあそれを享受したかについて、関心を払う必要があるんじゃないの。それって自分に対する興味があってのことじゃないのか。でもあなたって『今忙しい?』と尋ねても『まあ』とか『ぼちぼち』とかしか言わないし、びくともしなくて、確かに自分のコンディションにまるで興味がないよね。自分に対する興味のない者が、人を愛することなんてできるの? 自分に興味がないくせに、なんでそんな服が赤いわけ? それも自分への興味のなさから為せる技?」パートナーの服は、いつも赤すぎる。

パートナーは「赤いのはまあ、惰性ですね」と言った。僕が「僕に対する興味って、博物学的な興味ってことなんですか? 愛ってそういうものなのか?」と言うと「愛がどうかってのは、人それぞれでしょうね」と言われた。それはそうだった。

「あなたは、自分が興味深いと思う?」「それって僕という人間がってこと?」「そう、自分がじゅうぶん興味深いか」パートナーは数秒考えて「まあ、トロヤくんに興味があるのかないのかよくわからない感じが、僕の興味深さと言えるんではないのでしょうか」と言った。なるほどと思った。今俺、衝動にまかせて言いたいことを言ってしまっているな。心の痒い部分を痒いと喚いているだけだ。

僕は何を伝えたいんだろう。「人間味的なことはどうですか?」「人間味とは」「うんー。自分が小説の主人公になるような人間だと思うか。まあ小説って言っても色々あるが……」

これ以上奥に行くのはやばそうだ。

パートナーは僕みたいに不安定じゃない。僕はその安定感に、ときどき冷酷さや余所余所しさを感じ、不安になるのだと思う。彼は『日本のいちばん長い日』の素晴らしさついては熱気を込めて舌を振るうけれど、自分自身については全然語らない。それは本人も認めるとおり、彼が彼自身について興味がないからだ。僕はなんかそれが怖くなるのだ。『日本のいちばん長い日』について語るとき、その演説の中身に彼のパーソナリティが微塵も紛れ込んでいないように見える。彼はなぜ『日本のいちばん長い日』を楽しそうに語るのか。その情報が語りの中に欠落していて、それが怖い。長い付き合いだから彼がこういうのが好きなのはよくわかるけれど、語りの最中には自分に対しての目線が現れない。彼は語れば語るほど、なんだかCDプレイヤーになっていくようで、僕の中で「で、あなたは何をされてる方なの」という疑問が解消されない不気味さが大きくなってしまうのだ。

彼の僕に対する目線も『日本のいちばん長い日』への語りと同じく不明瞭なのだ。彼が僕を愛していることが状況証拠的にしかわからなくて、不気味に感じる。僕はそれを不安に感じていて、不満を感じていて、訴えたかったのだろう。

僕には、こういう思いがあったんだな。これをちゃんと言うべきだった。スーパーでは、この思いをまとめ切れず「自意識ないくせになんで服はそんなに赤いんだよ」という変なポイントに突っかかって、だる絡みしてしまった。

明日整理して、改めて言おう。

スマート耳かきがあまりにも楽しくて、耳が足りねえと感じた僕は、パートナーの耳にも入れさせてもらった。

温湿度計も届いた。室温が小数第一位まで表示されて、余計な時刻表示はない。笑うコンフォートボーイもいない。完璧だ。

室温は暖房で、23度くらいまで持っていけた。僕としては23度でも足元が寒いと感じるが、それは腹巻きで内臓を暖めたり、サーキュレーターで暖気を循環させたりなどで対応できる(サーキュレーターは音に耐えられなくて使いたくなくなってきたけど)。

湿度が低いのが気になった。越してきてから、唇や喉が渇いて荒れることが多くなった。湿度は一般に40%〜60%が問題のない範囲らしいのだが、この部屋はたまに40%を割るようだった。パートナーも冬場はいつも肌が荒れるので、僕は60%くらいを目指したくなった。加湿器がない部屋で湿度を上げる方法をちょっと調べた。濡れタオルを干す、湯を沸かす、浴室の扉を開けっぱなしにする、観葉植物を置く……観葉植物ってみなさんやたら置いてるなと思ってたけど、もしかして空調を安定させるために置いてたのか? いや、愛してるんだろうな……どうせ……。

観葉植物を買いに行くにしては20時だったので、とりあえず即効性がある方法として紹介されたとおり、コンロに鍋を置き湯を沸かしてみた。これ、沸かしてるあいだ火を監視する必要があるから、ずっとコンロの前に拘束されるな。この時点でアイデアとしてはボツ確定だけど……でも、これをしただけで湿度計の数値がたちまち5ポイント上がった。感動した。僕はとりあえず今日くらいは真面目に試してみようかなと思い、コンロの前の椅子に座って、火を監視しながらiPadでボージャックホースマンのシーズン2を流し見した。

iPadのバッテリーが切れそうになったあたりで、コンロの火を止めた。すると湿度計の数値はすっと沸かす前の値に戻ってしまった。本当に即効性だけだな。

次に、濡れタオルを干す方法を試してみた。タオルを水で濡らしてハンガーにかけてみた。ハンガーをかける場所がなくて、長考のすえ書斎のドアノブに引っ掛けてみた。重力にしたがってタオルから水滴がぽたぽた落ちてきたので、浴室の洗面器を持ってきて真下の床に置いた。俺一体何やってんだろうと虚しくなった。パートナーが仕事のため書斎に出入りするとき、ドアノブのタオルが落ちないようにしつつ、洗面器も一緒にずらしてくれていた。本当に、僕ってカスだな。でもしばらくすると湿度計の数値が4ポイントほど上昇して、すこしうれしかった。

そのまま、ハンバーグを食べた。ボージャックホースマンシーズン2を見た。深夜1時が近づいてきていた。吐き気は治ったけれど、言い知れぬ倦怠感があった。今日はもう生産的なことはできそうにない。

濡れタオルはまだ干しているのに、湿度が39%にまで落ちていた。さっきの上昇はなんだったのか。もしかしてあの時、彼が煮込みハンバーグを煮込んでいたから? それか? じゃあこの馬鹿みたいな水漏れタオルは、湿度にまったく寄与していなかったってこと?

ボージャックホースマンのシーズン2をずっと見続けた。パートナーはパソコンを打ち続けていた。見終わって、僕は寝ることにした。

僕は、パートナーに「先に寝るね。お仕事頑張ってくれてありがとう」と言った。そしたら彼は僕に「今日はどうだった」と訊いた。僕は、自己嫌悪かなと言った。

「今日何もしてない。スマート耳かきを人の耳に突っ込んで、科学者気分で湿度が1%上がり下がりするのに一喜一憂して、あとはハンバーグ捏ねてアニメ見て、寝るだけ。全く作業をしなかった。今日はリングフィットやるって言ったのにそれもやらなかった。一方あなたは、僕が遊んでいるあいだずっとパソコンを打って、仕事をしていた。あなたが仕事をしてくれるおかげで僕は食べられているのに」パートナーは「ボージャックも、なんか言ってたね」と言った。

『ボージャック・ホースマン』シーズン2の最終話で、死んだ親友の遺産を使って孤児院を設立したボージャックは、設立式典で親のいない子供たちに「あなたは恩人です。ボージャックは偉大な人だ」と讃えられる。しかしボージャックは、オレは偉大なんかじゃないと否定して、こう言った。「みんなどうやって生きてるのか、不思議なのさ。ほらみんな、朝起きるときこんなふうに言うだろ、『ようし、今日も一日頑張るぞ』って。なんで頑張れる? オレにはわからない」

僕はパートナーに「言ってたね。わかるーと思った。でもわかるだけじゃないから。切り替えて、明日からまたやっていきます」と言った。

寝た。

「だんだん楽になる」

「え?」

「毎日少しずつ楽になるさ」

「本当に?」

「毎日やらなきゃいけないのが辛いとこだがな。でもだんだん楽になる」

「ようし」

『ボージャック・ホースマン』シーズン2-12:海へ