トロヤはローファイなヤツ
起きたけど起きっぱなし。チーム対戦ゲームではいかに「空席」を演出するかが大切、という夢を見た。あと氷が容器に接着している夢。氷は水よりも接着のイメージがある。
頭だけ起きていて、寝室から出ると世界が始まるのが信じられなくて体が動かないものになってしまった。逃げても仕方ないと思って身をよじったけどキースヘリングみたいな変な格好のまま動けなくなった。その状態が苦しいとも思わないくらい身体からのフィードバックがないので、そのままさらに眠りこけた。今スマホ手に取ったけど、縁に若干の油分がついていてぬるぬるしていて許せない。埃のたまったところに置いていたせいだ。知ってましたか? 埃は、油をふくんでいる。
今くしゃみした。2回した。くしゃみが一番でかい音だったおかげで少し目覚めた。この、起きた直後の、見通しの立たなさが嫌なんだよな。瞼や寝室の扉の向こう側のことを考えるといよいよこの先の人生に計画などないという気持ちになって、一生どうもこうもしたくなくなるというか、どうにかこうにかすべき動機がどこにもない遊離状態になる。
血流レベルから徐々に体を起こしていこうと思って、右膝を立てた。くしゃみのおかげで意識が割とリアルに引き戻されてきた。あとはこの重い、重い脊髄さえやる気を出してくれれば起きれる。正直お腹すいたから起きたいんだよ~。でも、起きてもすぐにはご飯を食べることはできない。その途方も、なさ。
なさなさなさねさきさなせななさなさはにまなへさはやまやなねひやややははさひやややららら。『アンタッチャブル』の終盤みたいに横方向にシュールなローリングしてベッドから身体をこぼすことに挑戦。挑戦。成功しました。今ベッドに肘を立ててローファイヒップホップのYoutube動画みたいな体勢でスマホ打ってる。このまま起きっぞ。デャ。
黒沢清の『回路』観た。誰もいない研究室でひとりでに転がってくるキャスター椅子を主人公が邪魔そうに払いのけていた(たぶん主人公は友人を探すことに必死だったので、椅子が勝手に動いてきたことのおかしさに気づかなかった)。違和感の操作がおもしろい。アパートの下の階の人が赤いテープで自分の玄関扉を囲っている描写とかも。日常が侵食されていく感じ。下の階の人が赤いテープで自分の玄関扉を囲っていたらどう思うだろう。怖い。でも、下の階の人と私の日常とはあくまで距離があるわけで、危険なわけでもないし、何か事情があるかもしれないし、放っておくだろう。怖いだけなのだ。でもその「怖いだけ」が次第に増えていって、世界が「怖いだけ」なもので溢れかえってしまったら嫌すぎる。嫌だな~。
コンピュータのディスプレイ上で人影の画像ファイルがゆらゆらとうごめくという恐怖表現があった。でも今の時代の感覚からすると、ディスプレイで何か異常現象が起きてもべつに怖くないな。いわゆる心霊現象のような表現はAdobe After Effectsでどうにでもなる。グリッチノイズなんかはもはやそういう美意識として受け入れられている。当時の感覚からしたら、ディスプレイに自分の意図しないものが映るほど恐ろしいことはなかったかもしれないな。頼んでもいないのに出てくるオーバーレイ広告と日々戦っている自分からしたら人影がうごめいても「くそが」くらいにしか思わない。
昨日「明日はボス戦のBGMを作る」と書いたけど、作らなかった。その代わりにホームページの構築を進めた。逃げている。逃げるな。でもHTMLとCSS、あとPHPを自分で触っておく経験ができたのは良かった。自分、サイト作ったことあります! って言える。
PHPって何の略なんだろうと思って調べたら「PHP: Hypertext Preprocessor」だった。ウオー! と思った。語の定義の中に語そのものが折りたたまれている。「再帰的頭字語」というらしい。GNUが「GNU is Not Unix!」の略であったり、Wineが「Wine Is Not an Emulator」と説明されたりと、ハッカー界隈でよく好まれるセンスだ。自分の大好きな本にダグラス・ホフスタッター著の『ゲーデル、エッシャー、バッハ』があり、この中にも再帰的頭字語が現れる部分がある。とあるランプの魔神がGOD(神)の定義について触れるシーンがあるのだけど、それが「GOD of Djin(魔神の神)」なのだ。「GOD of Djin」の中のGODは何かと問えばそれもまた「GOD of Djin」であり、折りたたまれた定義を開いていくと「GOD of Djin of Djin of Djin of…」と続いていく。永久に神とは何なのかは説明されないように見えるが、このような無限を内包した構造こそが神といえるのかもしれないね、みたいな話だった。それは0.9999999999…が1に等しいことと絡めて語ることもできるかもしれない。
『ゲーデル、エッシャー、バッハ』はごく最近読んだのだけど自分の中では聖書みたいな感じになっちゃった。自己言及性や再帰性の面白さはいつかものにしたい。ゲームで表現したい。