シンとケイ

2025 - 03 - 24

起き多摩川。14時くらい。

川を見つめてた。遠くて右から左に流れているのかその逆なのか分からなかった。考えれば分かるけど考えるのが面倒くさかったので、少年たちのキャッチボールを見てぼーっとした。

祖母から電話がかかってきた。「どういうことなの。ミャンマーに連れて行かれて強制労働させられてるのかと心配したわよ。いつ帰るの」「わからない。決めてない。なるべく家にいる時間を減らそうと思ってる」「あんた宛の葉書とか届いてるわよ」「ありがとう、近いうちに荷物を取りに行ったりはするんで」「非常識よ」「うんそ、そうね非常識かも」「私はじゃあ、あんたのこと心配しなくていいってことね?」「そう」「わかった。じゃあね」

ちょうど明日、歯医者に行く予定があるので、そのついでに実家に寄ろうと思っていた。パートナーから借りっぱなしの本が実家にあるし、葉書も多分重要なやつだと思う。猫にもまた会いたくなった。

川を見た。またスマホが鳴った。知らない番号からだった。「すみませんもう一回お願いします」「[通ってる歯科クリニック]です。トロヤさんのお電話でお間違えないでしょうか?」「アハイ、トロヤです」「本日15:00から矯正治療と衛生士のご予約を入れられてると思うんですが、お見えになられないのでお電話しました」

ウワーーーーー歯医者の予約、明日じゃなくて今日だったらしい。本当にすみません、明日かと勘違いしてましたと謝った。

今は15:06だった。実家からだったら15分あればたどり着けるけれど、「今結構遠くて、大急ぎでそちらに向かっても一時間はかかってしまいそうでして……」「それでしたら、そうですね、衛生士のほうは一旦キャンセルとして、矯正治療だけで16時半からお取りできますが、来られそうですか?」「16時半いけます。すみませんご対応ありがとうございます」ご迷惑おかけします。よろしくお願いします。すぐ向かいます。僕は河川敷から離れた。

帰宅した。リュックを背負った。このまま実家にも寄ろう。バスに乗った。

歯科にたどり着いた。診察された。10日おきに新しいものに付け替えていた歯列矯正用のマウスピースが、おそらく最後のものになった。僕の歯並びが、完成形に近づきつつあるということだ。

2.5年前に「そういえば歯医者行ってないな〜」と思ってなんとなく歯科で診察を受けてみたところ、僕の口の中はツッコミどころだらけだった。上下左右とも内側から数えて5番目の歯が横倒しになっており、それと隣の歯との接点が4箇所とも虫歯になっていた。ショックを受けた。虫歯……それが、4。「この寄りかかるような歯並びのせいで、どうしても磨ききれていない部分があったんだと思います」と言われた。

虫歯の通知のあと、先生がクリックをして別のレントゲン画像を表示した。それは上の前歯の一つを拡大したもので、先生は「この歯、神経が死んでます。なんでですか?」と言われた。なんでですかって、こっちの台詞じゃないのか。どうやら僕の前歯は根元のところに膿ができていて、このまま放置すると歯茎が腐って抜けるらしい。抜ける!? 困ります。抜けないでください。先生曰く、こういう神経の壊死は打撲が原因であることが多いらしい。だから僕に、心当たりを尋ねたのだ。

僕は記憶を遡った。

小学生のとき、持ち金を入れたあみあみの首かけケースを振り回していたら、それが右耳の後ろにぶつかって、そこに大きなしこりができた(当時はお小遣いが月200円だったため、持ち金はすべて硬貨だった)。このしこりはその後、大きくも小さくもならず、今も右耳の後ろに残っている。祖母に側頭部の髪を切ってもらうとき、いつも「あんたこの膨らみ、どうしたの? 邪魔で上手く切れないんだけど。おかしいんじゃないの?」と言われた。その度に説明してるのに祖母はそれを覚えてくれず、毎回初見の驚きをされた。

あとは……小学生の時、同じクラスのレミちゃんが紐つきの画用紙を振り回して、それが僕の右の眼球に掠って切り傷ができてしまったことがあったな。眼科にかかって、しばらく眼帯をつけていたら治った。レミちゃんにはかつて、僕が椅子を三脚無理やり積み重ねて運ぼうとしたときに彼女の頭に椅子の脚をぶつけて泣かしてしまったことがあったから、痛み分けのかたちになった。

他の負傷は、何かあったか。あ、これも小学生時代、自転車を漕いで八千代緑ヶ丘のイオンへ向かう途中、手元が狂って煉瓦の壁に激突してしまったことがあった。顔をぶつけた。上唇の皮が剥げてしまった。すごく泣いたのを覚えている。翌日起きて鏡を見たら、上唇が全部かさぶたになっていてびびった。このかさぶたが剥がれたとき、そこに唇が無くてまったくの更地が出てきたらどうしよう、と恐怖した(唇はちゃんと再生した)。

負傷の記憶、思い出すとまだあった。小学校時代、鉄棒を掴んでぶら下がり、体をゆすってスイングさせ、大きく振りかぶって手を離し、飛んだ。真後ろに飛んだものだから、身体の前面が地面に叩きつけられる形で着地してしまった。具体的な痛みの記憶は忘れてしまったけれど、まんべんなく怪我をした。保健室に行った。

また、小学校時代の夏。家族でベランダで町の花火を見ながらバーベキューを始めようとしていた。誰かが「ホットプレート、もう温まったかな?」と言った。僕は自分が確かめようと思って、手のひらをホットプレートに乗せた。ホットプレートは十分に温まっていて、僕は手のひらを火傷した。患部は冷やし続けないとズキズキ痛むようになってしまい、僕は氷水の入った容器を抱えて、そこに手を浸しながら花火を見た。

小学生らしい、あほな怪我ばかりだった。前歯の壊死の理由でいうと、自転車で顔を打ったのと、鉄棒スイングで顔を打ったのが怪しいな。

そういえば、中学三年生のとき、当該前歯がツーンと痛む時期があって、別の歯医者に行ったことがあったわ。そこでなんらかの処置を受けた。その処置が何だったのかが、どうしてかまったく思い出せない。そのとき前歯は何をされたんだ。でも、痛かったってことは、その日までは神経は死んでいなかったんじゃないの。

なんにせよ、よくわからなかった。先生は、歯茎の膿は治療が難しいけれど、放置するわけにもいかないので手術しますよと言った。

4本の虫歯と前歯の根元の膿のほかに、過剰歯の問題も指摘された。過剰歯というのは、変なところから勝手に生えてくる、本来存在しないはずの歯だ。親知らずとは別枠で、誰にでもあるものではない。僕はそれが一本、右上の歯茎の前方から生えていた。この存在は僕自身ずっと自覚していて、授業中や親戚の家など、口寂しいときによく舌で触っていた。しかし先生は、この過剰歯も虫歯の原因になりかねないので、抜歯しますと言った。

診断を受けた日の帰り道は絶望に打ちひしがれた。

その後僕は、歯科に足繁く通った。まずは4つの虫歯を一つずつ治療していった。次に、過剰歯を抜いてもらった(しばらく、抜歯痕が痛み止めが効かないくらい痛くて気が狂ったのを覚えている。たしか抜いたところに血餅(けっぺい)というかさぶたの亜種のような塊ができて、それが激痛の信号を発していたんだ)。

そしてようやく、一番重大な前歯の膿の治療に取り掛かった。治療方針としては、前歯にドリルで穴を開け、歯の内部にトンネルを掘り、そのトンネルに器具を通して患部を消毒するというものだった。「これは掘り進めるトンネルの角度を非常にシビアに調整する必要があります。失敗の可能性があることを理解しておいてください」と先生は言った。

それは失敗した。三回掘ってもらったけれど、三回とも患部には辿り着けなかった。三度目のチャレンジに至っては、ドリルが貫通して歯に風穴が空いてしまった。神経が壊死しているおかげで痛みは一切ないとはいえ、自分の歯の内部にアリの巣みたいにトンネルが増えていくのは、うれしくなかった。

結局、トンネル作戦は中止になり、プランBの治療方針が提案された。それは、歯茎をメスで切開して患部を露出させ、そこをダイレクトに消毒するというものだった。こちらは成功率が高いが、切開手術になるので縫合痕が残ってしまうだろうことと、歯茎にはしっかり神経が通っているから痛みの伴う手術になるというデメリットがあった。僕は自分に何の選択権があるのかわからなかった。「じゃあそれで」とお願いした。

切開手術は成功した。でも確かに痛かった。もちろん麻酔はかけられたけれど、歯茎を深く切り進めていくと麻酔が効いてないエリアにたどり着いてしまうので、その度に僕は「イ゛エ゛!」と痛みを主張して、新しいエリアに麻酔を継ぎ足してもらうということを繰り返す必要があった。つらかった……。追い麻酔の判断に至るためには、「麻酔無しの痛み」をその都度一旦感じなければならなかったわけだから。術後、背中はびしょびしょになった。

そのような治療過程を経て、僕の口はついに健常になった。しかし先生は、型にとらわれない僕の歯並びはこのままでいくと虫歯の温床になりかねないとして、見逃せないらしかった。それで、ごくスムーズに歯列矯正を受ける流れになった。今思えば、ここからはクリニックなりのビジネス戦略に乗せられたのかもしれない。僕は高額な歯列矯正プランに加入した。

で、ずっとマウスピース矯正をしています。それが終盤に差し掛かっているというのが今日だった。長々と負傷や痛みや切開の話を書いてしまった。僕はどうしてこう、日記に、その日以外のことを書くのか。

実家に戻った。玄関。出発するときにポケットにたしかに入れたはずの実家の鍵が、失くなっていた。エ? どこにもない。また紛失したのか? バスか歯医者だな。エー。失せ物続きだ。僕はインターフォンを押した。

祖母が鍵を開けてくれた。久々の実家。督促状と思しき葉書と、パートナーから借りた本を回収してリュックに詰めた。他に持っていくものを考えたが、特に思いつかなかった。僕は猫に会いたくてリビングに行った。

リビングのソファが、新しく立派なものになっていた。背もたれを倒せばベッドにもなるやつだ。「いいねこれ」と言ったら、祖母が「あんたが私の寝床を奪ったから買ったのよ!」と怒った。猫も新しいソファには慣れきっているようで、クッションに擬態するように縁で丸くなっていた。声をかけたら返事をした。特によそよそしい感じなどはなく、いつも通りの様子だった。僕は撫でた。

コーヒーを淹れて、飲みながらだらだらした。祖母が「トロヤの夢を見たのよ。ひとりぼっちで泣いてた」と言った。僕は「僕もおばあちゃんの夢を見たよ」と言った。「私に叱られる夢?」「僕がおばあちゃんを叱ってた」「そんなに私のこと嫌いなのね」「別に憎んでるとかじゃないよ。性質的に合わないってことだと思うよ」

祖母がありあわせの夕飯を作ってくれた。受け取りにキッチンに言ったら、急に咳が止まらなくなった。そういえば、2023年ごろからずっとそうだった。僕は祖母に呼ばれてキッチンに食事の皿を取りに行くと、必ずコンコン咳が出た。キッチンを出て一人になると咳は止まった。キッチンに何らかの物質があるのか? それとも僕の、食卓という場面に対して無意識に抱く緊張のあらわれ? わからないな。それにしても、実家を出てよかったと思った。

なんかベランダの植木鉢に知らん桜が生えて開花したらしく、祖母に「何の桜か調べて」と頼まれた。ChatGPTに尋ねたら、啓翁桜(けいおうざくら)が近いらしいとわかった。「漢字はどう書くの」「啓はあの、啓発とか、啓蒙とか」「慶應大学の慶?」「違う。神様の啓示とか、自己啓発とか」「ああ、けいちつのけい?」「なにそれ。ああ、季節のなんか細かいやつ? ほんとだ。啓蟄。合ってるよ」「違うの?」「いや合ってる」「啓蒙って啓蒙主義の? ルソーかしら」「え? 知らない。あっほんとだ。啓蒙主義はルソーとか、その他色々だって」「おうは」「翁はおきな。おじいさんのおきな」「そこに書いてよ。楷書でわかりやすくね」僕はメモに啓翁桜と書いた。

そして実家を出た。バナナ一房くれた。実家の鍵失くしたけど、探すのめんどくさいな。

帰宅したらパートナーがすこし晴れやかな顔をしていた。原稿が一つ終わったようだった。僕はおつかれさま! と言った。本当に大変そうだったので、僕も嬉しかった。

いちごとヨーグルトを食べながら、思いついたゲームのアイデアを紙に書いてまとめた。

頭の中心がツンと冷えているような感じがして、気持ち悪かった。温湿度計は23度を示していたので、部屋が冷えているわけではなかった。手足の末端が冷たかったから、内臓系だなと予想した。腹巻きをして、温かいコーヒーを飲んだ。

しかし、しばらくしても頭の中心の冷たさは消えず、だんだんと脳が、むかむかとした感触を帯び始めた。熱かも。体温計を取り出して、体温を調べてみた。36.9℃。微熱だ……。ケアを優先しよう。僕は寝ることにした。

今日、何もしてない。リングフィットもしなかった。開発作業も。体調を崩した理由はわからないな。一応気圧は1,004hPaで大気が不安定らしいのと、春らしい気温の乱高下はあったか。桜も今日開花したらしいし。昨日ファンタを飲みまくったことや、パートナーが不調だったことや祖母とコミュニケーションしたことなどによる心理的な不安も関係しているかもしれない。

原因はまあ、あえて特定するものでもないな。それより、自分が微熱であることに素早く気づけたのが我ながらうれしかった。鍛錬を重ねた自己分析の賜物じゃない?

さっさと寝ることだ。