トロヤの幸せにご期待ください
日が落ちて、火災が拡がっている。僕は窓を開け、赤い光を見た。サイレンの音を聴いた。祖母に行った。「これ多分避難するやつだよ。用意したほうがいいかも」祖母は「あー、そうね。怖いものね」と言って読んでいた新聞をめくった。突然玄関扉が開き、姉がうちに入ってきて、信じられないみたいな顔をした。「なんでトロヤまだ着替えてないの? もう避難始まってるよ」と僕と祖母と父を叱った。僕は姉の前で着替えさせられた。姉は僕の部屋が大量の衣服で散らかっていることを見た。僕は姉が「こんな緊急事態に、服を選ぶのに迷っていたなんて」と思っているんじゃないかとヒヤヒヤした。僕は真面目に急いでいて、床の衣服は元から散らばっていたものだ。姉は厳しい言い方で祖母と父をせき立てた。「ねえほんとに意味わかんない。遊びじゃないんだよ。[姉の夫]も[甥]もママももう避難してるし、トロヤたちだけだよ」父と祖母は無表情で荷物をまとめた。僕も荷物を揃えようとした。パソコンをリュックに入れるかどうか迷ったが、迷っているところを姉に見られたらまた信じられないみたいな顔をされると思ったので、パソコンは諦めて立ち上がった。姉が祖母と父の荷造りをきびきびと手伝っていた。僕はリビングを見た。リビングには猫がいて、固まってこっちを見ていた。豹変した家の空気を察して混乱しているようだった。僕は、この子も一緒に避難させなければと思った。でもそのまま抱きしめて外に連れ出してしまうと、この猫はおそらく避難先で他の人間に怯えてパニックになるだろうから、暴れたりして最終的にはぐれてしまう可能性が高い。だから、運びだすなら、捕まえてケージか洗濯ネットかに入れた状態で連れていくべきだ。しかし猫はそういうのに閉じ込められることを何より嫌う。動物病院に連れていかれると思うからだ。猫は街じゅうが火事でパニックになっていることなんて知らない。全力で抵抗してくるだろう。僕一人では、絶対入れられない。僕はどうすればいいのかわからなくて、姉に「[猫]はどうする?」と訊いた。姉は忙しなく動きながら「大丈夫じゃない?」とだけ答えた。僕はその言葉な意味がわからなかった。「猫ならマンションが焼けてもなんとか生き延びるから、また会えるよ」という意味なのか、「我々の命が最優先なのだから、ここは置き去りにすべきだよ」という意味なのか。姉は猫と暮らしたことがないから、僕たち家族のなかで猫がどれだけ愛されているかを知らない。僕は「置いていけないよ。どうする?」と訊いた。姉は語気を強めて「知らないよ。自分で決めてよ」と言った。本当にその通りだった。荷造りの終わった祖母と父は、姉に連れ出されて外に出ていった。僕はリビングの猫を見た。固まった顔で僕を見ていた。窓越しに街が燃えて、黒い煙が立っていた。
起きた。三日連続で姉の夢を見ている。

新年度初の登校。サイクル的に眠りにつく時間だったから、眠いー。でも一週間以上ぶりくらいに外を歩き、日光を浴びた。少し気が晴れた。イヤホンが故障して片耳からしか聴こえなくなってから、僕の生活はまるで片耳からしか聴こえないイヤホンのように不自然でぎこちないものになっていた。でも、過去の日記も書ききれて、自分の現在地を少し取り戻せたような気分だ。イヤホンは片耳のままだけど、それはそれとして現在をやっていくぞ。

オレンジで筋トレをしていておもしろい。
バス停で大学の友達と偶然出会った。僕は大学におよそ3人しか友達がいないので、稀なことだ。ニュージーランドのお土産をもらった。彼女は春休み中、ニュージーランドに行ってきたらしい。ホストファミリーに宗教儀式へ連れていかれ、入信を断ったらその日以降食事が「5日前のキッシュ」などの残飯みたいなものに変わったらしい。彼女は「楽しかったよ」と言った。彼女にトロヤくんは春休みどうだった? と訊かれて、んー色々あった気がするけど、自分を責めなくなったかな、あと就活やめた、と言った。いいね、と応援してくれた。お互いの今後の進路の話をした。彼女は「トロヤくんの作品好きだしめちゃくちゃ尊敬してるけど、もし作品つくれなくても君が幸せなら僕としてはうれしいよ」と言ってくれた。僕も君の作品とても好きだし応援してると言った。彼女は「一年生のとき、トロヤくんと友達になれてよかったよ」と言ってくれた。穏やかな新学期のバス。僕はありがとうと言って、「今後もトロヤの幸せにご期待ください」と言った。
大学も桜が咲いていた。僕は四年生になった。
美大の四年生は、卒業論文ではなく卒業制作をする。一年かけて、自分の作品を一つ完成させるのだ。オリエンテーションで渡された冊子を見ると、授業が週一日しかなくて驚いた。僕は他の単位は取り切っているし、就活もしないので、学校は本当にこれだけだ。定期券買わなくていいじゃん。
2025年度は、今後の人生を含めても最も自由な一年間になるかもしれないな。実家を出て生活にも余白が生まれた。パートナーのおかげで、生活はシンプルになった。自分自身以外で、大きく悩みの種となりそうな要素はない。自分を動かすことはつらいけど、かつてなく好条件な生活を得ていることはたしかだ。しっかりとやりたい。とにかく淡々と、病まずに、等速で作業をし続ける一年にしたい。卒業制作はDeath the Guitarだ。
そんな思いです。研究室の副手さんが色々と説明をしていたけれど、目を瞑ってぼんやりとしか聞いていなかった。僕にとって大学は、さほど重要な機関ではなくなったんだなと気づいた。制作について相談できる教授や講師の方々がいて、いつでも好きなときに(夜間はだめだが)来られて、本を読んだり映画を見たりパン食べたりできる場所という感じだ。ただ利用できる大らかな施設って感じで、社会的機関としての機能は薄まった。就活を考えていないから、もはや大卒の経歴に固執する必要もあまりない。友達付き合いも特にない。三年間のここでの大学生活を通して、僕はそんな今の自分に至った。
成長したな。就活に真面目に取り組んだ結果就活を辞め、部屋の片付けに真面目に取り組んだ結果家出をして、大学での学修に真面目に取り組んだ結果、大学のことがどうでもよくなった。僕なりの成長と呼べると思う。
オリエンテーションが終わった。エ、健康診断今日だったの!? 渡された検尿容器。みんな、このあと現場で採集して、そのまま提出するのか。ちょっと、嫌だな。僕は健康診断を受けずにそのまま帰宅した。僕は同じ学科の人と一緒に健康診断を受けるのが嫌なので(コイツはいま、尿を持っている……と思われたくない)、例年、油絵科の健康診断に紛れ込んで、知り合いが一人もいない集団のなかで受けていた。今日が別学科の健康診断日だったらそのまま参加して帰ろうと思っていたのに。弊学科が今日だったのか。帰りたい以外の気持ちがなくなり、帰ってしまった。帰ったらまた別日に大学に行かねばならなくて、余計面倒くさいことになるのはわかっていたけれど、もうちょっと帰りたくて帰りたくて、すみませんよくわかりませんと思って、図書館に本だけ返却して帰ってしまった。

ジュース買って飲んだ。大学に行くと喉が渇くの思い出した。そういえば、さっきバスで話した友達も「大学に来ると喉がカラカラになる」って言ってたな。
帰宅して寝た。