ウロボロ
8時に目覚ましの音で起きた。
トイレに行って便座に腰かけようとしたら、背後で「カラコン」と硬質で軽快な音が鳴った。数秒固まって、最悪が閃いた。僕は左手を便器の奥に突っ込んだ。
それはあった。アアアアアアア。なるほ、なるほどねアアアアアアアアアアアアアア。
AirPodsイヤホンの片耳をトイレに水没させたのだ。僕はいつも、ワイヤレスイヤホンをつけて睡眠誘導音声を聴きながら眠る。寝ている間にそれらは自然に外れるので、目覚めたときには左右それぞれのイヤホンがどっかに行っている。
今朝は左耳のイヤホンが、腹巻きに引っかかっていたらしい。僕は気づかずに用を足そうとして、ズボンを下ろすときに転がり落ちたんだ。
昔iPhoneをトイレに水没させた経験があったから、水の溜まった便器の奥に腕を突っ込むことへの抵抗がなかったのが不幸中の、いや不幸中のとかじゃなくて、これ壊れたら本当にヤバイ。このAirPods Proは、パートナーから借りているものなのだ。これ耐水性能ってどうなってるんだろう。僕はパートナーに「ごめん! イヤホン片方トイレに落とした」とまず報告をして、耳につけてYouTubeで目に飛び込んだ『死んだおじいちゃんの士官学校時代の写真を見ながら【俵山の人間モノマネ】』を再生した。音を確認した。
一応、ちゃんと聴こえた。音質が壊れている感じもなかった。今のところ。あとはケースに入れて、正しく充電できるかを確かめないとだ。僕はイヤホンをケースにしまった。
パートナーに、改めて謝った。パートナーは笑いながら「もうそのAirPods、トロヤくんにあげるよ」と言われた。所有権ごとパージされた。僕はどんな顔をすればいいのかわからず、ありがとうとごめんなさいを言った。パートナーは「トロヤくんのものだから、謝らなくていいんだよ」と言った。
目覚めたらまず両のイヤホンをケースにしまってから寝室を出るようにする。そう決めてはいたのだけれど、今日は大学の授業のために目覚ましをかけて起きたので、時間のほうに意識が集中してしまって、その習慣を忘れた。イヤホンが服にひっかかるのは今日が初めてではなかったから、今日のようなケースも想定できた。これからはよりいっそう、イヤホンをケースに戻す習慣を徹底する。
人から借りたAirPods Proを一時間後に紛失し、一週間後には水没させた。そして譲られた。この「譲り」にはきっと色々なアレがあるのだと思うけれど、僕としてはひたすらにパートナーの寛容さと心優しさに敬意と感謝を示すしかない。あとは反省と再発防止。

目覚めは慌てたくせに、結局遅刻している。テレビでユニバーサルスタジオジャパンのことを「ジャパン」と略しているおじさんを見ていたら遅れた。大学に向かっている。体調は悪くない。今日はいい一日にしたいと思っている。ここから。
フロクロさん提供の篠澤広『メクルメ』めちゃくちゃ良い。良い曲に出会えた……イヤホンのおかげ。パートナーのおかげ。篠澤広の声ってDTMerの魂をくすぐるものがありそう。
大学で初回授業を受けた。あらためて、一年間で何か作品ひとつ作ってね〜、まあ頑張ってね〜、という説明だった。教授は「自分に合った作業環境を見つけてください。制作の調子が良いときは学校来なくて良いですから」と言った。
その後、ラボ生が一人ずつ、どんな作品作るかみたいな挨拶をした。僕は「アクションゲームを作ります」と言って座った。授業が終わった。
提出の必要のあるプロポーザルシート(このような作品を作りますという企画書)にDeath the Guitarについて記入していった。「作品形態」の欄に、どう書くか迷った。というのも、単にゲームと書くだけではいけない文脈みたいなのをちょっと感じていたからだ。ボードゲームなどとは違う、いわゆるディスプレイのある、デジタル機器で遊ぶ、コンピュータ式のやつ、みたいな。日本ではゲームといえばそれになることが多いが、英語圏ではvideo gameと言う必要があるようだ。美大でゲームアートの領域に触れていたから、美学研究対象としてのそれの呼称自体が慎重に定義されているのを知っていて、僕はそれが気になってしまった。『ビデオゲームの美学』の松永伸司氏はビデオゲームという語を使い『デジタルゲーム研究』の吉田寛氏はデジタルゲームという語を使っている。僕はどっちも適当にしか読んでいないから、それぞれがどのようなスタンスに基づいてそれぞれの語を用いてるのかわからなかった。形態をどのように書くにしても、僕なりのポリシーが求められるような感じで困った。
あんまりこの悩みに時間をかけたくないので、授業終わりに先生に相談してみた。先生は、メディアの呼称を厳密に定義するのは批評畑としての責務なだけであって、創作する者は必ずしもそれらの文脈の影響を受ける必要はないよ。トロヤさんがなぜその呼称を選んだのか、自分なりに回答できる理由を持っていれば何でもよいと思います、と言ってくれた。
ゲーム……か、ビデオゲームかな……? あるいはコンピュータゲーム? デジタルゲームは、あまり聞き馴染まない。ビデオゲームはブラウン管のような匂いがするのが気になるのだが、でも英語圏での認識とか踏まえるとまあまあ妥当か。ゲームとだけ書くと、やや他領域に無遠慮な気がする。ビデオゲーム(PC)みたいに、プレイ媒体をあわせて書こうかな。誠実な気がする。
クラスメイトでよく話す人が『シュガーシュガーシュガーコート』というゲームがめちゃめちゃ面白かったと教えてくれた。最近本当にゲームをやっていないから、これやろうと思った。彼と「インディーゲームって一体どこに行くんだろうね」という話をしながら別れた。
大学の図書館に寄って、いま僕が心理カウンセリングを受けている心理士の方の著書が置いてあるか調べた。ここには無いらしい。他の大学から取り寄せができると書いてあったので申し込もうとしたが、送料を支払わなければならないらしいとわかってやめた。ニュン。

炒飯のおにぎりだ! ここは俺が!!!
帰宅した。
食卓テーブルの上にすこしずつトロヤの巣みたいな書類の固まりが出来てきて気持ち悪いから、片付けよう。空けなければならない封筒が四つあるから、それらにも方をつける。たぶん今日中に解決できるものではないけれど、四つそれぞれ何をするべきか認知するところまではやる。封筒を処理せず放置していても、次の封筒が送られてくるだけだ。逃げ場はない。しかも封筒は、届くたびに色が赤く黒くなってゆく。
片付けた。ルンバに部屋を清掃してもらう。った。

GameMakerを開いたらFeatherというコード解析ツールがエラーを73件、警告を1757件報告していた。エラーと言ってもFeatherは一貫性のあるコーディングができているか自己検閲できるカスタム姑みたいな機能で、設定で「これはエラーにしない」と決めればそれはエラーではなくなる。デフォルトだとありがた迷惑なくらいケチつけてくる。こんなに赤や黄色があると流石に目に痛かったので、ちょっと整理した。

型推論がおおらかなのがGameMakerの良さでもあるので、厳密な記述を促すFeatherはそもそも思想的に反目している感もあった。人が書いたプラグインの命名規則にまで怒られてもなー等思い、自分なりに割り切りのルールを決めて、余計な検閲項目はオフにしていくことにした。決めたルールはNotionにまとめておいた。
明日StitchというVSCodeのプラグインを導入してみる。GameMakerのGUI上ではなくVSCodeで広く見渡しながらコーディングできるようにする連携機能だ。GameMakerは各スクリプトに空間を占める「位置」があるような感じで、いじりたいコードのところに自分から行く必要がある。マウスを動かしてクリックする必要がある。僕はそれが、とても疲れる。
僕は本気だ。ゲームを作っている時間って、つまらなすぎる。辛すぎる。自分の人生の時間とは思えない。ただでは過ごさない。考えられる工夫を沢山する。身体と構造と生活を、限りなく等しく重ねあわせる。ゲーム開発に生きることを輸入し、生きることにゲーム開発を輸入する。相互的なループがゲームになる。僕は本気だ。
本気で寝るし。