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2025 - 04 - 23

16時半に起きた。雨。今日は大学の授業があるから8時に起きる予定だった。ダブルスコアで寝坊した。ボージャック・ホースマンを見ながら今日のお弁当になるはずだった残りの炒飯を食べた。パートナーが、炒飯ならおにぎりにして持っていけるから、学校のある日の前の晩は炒飯にしようと提案してくれたのだ。申し訳なかった。

日も落ちてるし天気悪いから、散歩はせずにリングフィットアドベンチャーをして筋肉トレーニングに励むか。

励んだ。そのあと九段理江『東京都同情塔』を読み終わった。素晴らしかった。読んでよかったーーー。

犯罪者を収容する塔「シンパシータワートーキョー」が国立競技場の隣に建てられることになって、主人公は有名建築家としてその設計案を考える。塔内では快適な生活を約束され、そこは刑務所とも呼ばれず、犯罪者や囚人ではなくホモ・ミゼラビリス(同情されるべき人々)と呼称される。このコンセプトは作中の幸福学者(ユヴァルノアハラリっぽい)によって提唱されたものだった。その理念を巡って世の中では倫理観のうねりや対立が起きるわけだけど、主人公はそんな世界を眺めながら、倫理よりももっと手前の、言葉について困惑し続けて、案件に頭を抱える。「シンパシータワートーキョー」というネーミングが生理的に受け付けられない、という語りから始まっていた。

素晴らしいぜ。めちゃくちゃ良い。言語レベルの実験と同時代的な批評が凝縮しているのに、うるさくなるんじゃなくて、一つの物語としてただ在るというのが、とても美しいというか。これじゃ一般論か。ただその「美しさ」もテーマとして織り込まれていたところが『東京都同情塔』のユニークさだった、と言えるかも。というのも、主人公は美しいものが好き(美しくないものは視界に入れたくもない)な性格で、容姿端麗の年下の男性と交際(あるいは資金援助)している。そんな感じの作品世界から、建築やドローイング、生成AI、SNS、ルッキズム、ジェンダーなどの要素を取り出して端正に配置して、物語のテーマに刺激を与えている。とりわけ建築することと言葉が語られることを上手く比較していた。それが美しかったんだ。

買ったとき、表紙の作者名のアルファベット表記が「QUDAN」にされていたのを見て、へーって思ったのを覚えている。普通(?)ならKUDANになるところだ。きっと作者の意図で「Q」が採用されているのだと思うけれど、それは装丁デザインのレベルで採用されたのか、『東京都同情塔』のレベルで採用されたのか、それともさらに制度的な作家のアイデンティティとしてのレベルで(Wikipedia的なレベルで)採用されたのか、それが気になってくる。

この本を読むとなんかわかるのだ。KではなくQであることが。その違いがとても大事なことが。気になってしかるべきであることがわかる。

実際Wikipediaを見てみたら、英語版だけ「Qudan」になってた。この記事によると、作者は「他人の都合で自分の名前を変えさせません」とポリシーを堅くしていた。Qの採用は、最大レベルの重要さを持っていたようだ。Wikipediaどころではない。

『東京都同情塔』本当に面白かったな。

姉から「坊主見せて」とLINEが来たので写真を送ったら「鏡が汚すぎる」と言われた。

緑色の餃子を食べながらGQuuuuuuX3話を見た。エンディングの映像、定点カメラの画角だけどカットが変わるたびにちょっとずつカメラの位置ずれているのいいなー。

本編がまだ終わっていないけどED曲はもう鳴り始めて、そのままエンディング映像に突入していく流れってアニメでよくあるけれど(GQuuuuuuXもそうだった)、そのシステムは『シティーハンター』が発なんだよってパートナーに教えてもらった。ネトフリで、冴羽獠が締めのセリフを言いながらGet Wildが流れ始めるシーンを見た。

その後パートナーと小室哲哉とフリッパーズギターのテイストの話をして、Spotifyで色々流しながら延々と90〜00年代のアニメソングの話をした。作曲家について教えてもらった。僕は今までアニソンについて歌っているアーティスト単位でしかあまり知らなかったのだけれど、そんな彼らの裏には楽曲を提供している菅野よう子、畑亜貴、梶浦由記、澤野弘之などの作曲家たちがいることを知った。僕は知ってるアニソンを無数に流しながら、作曲家名と音楽性を照合していった。あれもこれもこの人が作ったの! と驚くことが多かった。もしかしてアニメ音楽の世界って、めちゃくちゃ少数の天才たちによって回っていた?

話し込んで、いつのまにか深夜2時になっていた。パートナーは寝た。僕は作業したい。したい! したい。したいよーーー。まだ何も進捗していないのに、スマホを触りすぎて腕が痛いよーーー。僕はChatGPTにいったん導いてもらおうと思った。

導かれるままに、棒立ちしていたら夜が明けた。