インパクト

2025 - 04 - 26

山の中に建てられた、大きな一軒家に僕たちは住んでいた。僕はその内の大きな部屋を自分の部屋にしていた。自室を出ると、ホテルの廊下のようなところに出て、自分の部屋と同じくらい大きな部屋が他にも三つあるようだった。居間に出るとそこは梁や柱がむき出しになった大きな木造空間で、開け放たれた縁側からは外の平原や木々が見えた。雨が降っていて、風が冷たかった。いくつもあるソファのうちのひとつに祖母は腰かけていた。この大きな家は、祖母が晩年を過ごすために購入したものだった。僕と父と祖母はここで暮らしていた。父はおそらく、さっきの三つの部屋のうちのどこかか、二階の部屋に閉じ籠っているのだろう。祖母は僕に気づいて立ち上がり「コーヒー淹れるわよ」みたいなことを言った。風の音がうるさくて祖母の言っていることも聞こえづらいし、震えるほど寒くて不快だった。こんな居間にいたくはない。僕は祖母が可哀想に感じた。この家は広すぎる。人生の最期に人里離れた立派な家を作って、僕と父の世話を焼きたかったのだと思う。でも東京の賃貸マンションに暮らしていたときと変わらず、僕も父も、基本的には自室に籠って自分の時間を過ごしていた。祖母の独りぼっちが際立つだけだった。ここまで晩年の気配を漂わせても、僕は祖母に自分から話しかけたいという気持ちが湧かなかった。ただただトイレが遠くて、吹きさらしの居間を通過しなければならないことに苛立っていた。こんなところに引っ越してくるんじゃなかったと思って、孫にそんなことを思われている祖母のことが無性に可哀想に感じた。

19時に起きた。

スマホを壁に貼りつけた。大人しくしていろ。

パートナーはジョン・ル・カレという作家のスパイ小説が好きだ。その系譜に近いハードボイルド小説も好きらしく、流れを汲んだ村上春樹にも詳しい。彼にどんな作品が好きなの?と尋ねるとによく返ってくる答えは、「おじさんたちが神妙な顔で会議室に集まって話しあうようなやつ」だそう。

そんなジョン・ル・カレ原作の映画『裏切りのサーカス』を流しながら二人で夕ご飯を食べていた(僕は吐き気があって食べてなかった)とき、僕と彼は険悪なやりとりをしてしまった。やがてそれは、でかめのインシデントに発展した。「でかめ」というのは、二人の間で起こった出来事としてみると過去最高レベルの激しさだったということ。

激しさのあと、パートナーは怒った口ぶりで「あっちで食べる」と言い、皿を持ってキッチンに行った。僕はいったん距離を置くべきだと思って「頭冷やすために外に出てくる」と言って家を出た。さっき貼ったばかりのスマホを剥がして(悔)ポケットに入れた。この時点で鞄に財布とイヤホンも入れて出ていたので、今晩は別のところで夜を明かそうと考えていたかもしれない。

家を出て、姉に泊めてもらえないか連絡したらオッケーだったので、電車に乗った。

今の自分の状況は、表層的には平然としている。ひとまず、一晩家を出るという判断は、我ながら冷静で建設的だったと思っている。

あとアドレナリンがめっちゃ出てる自覚がある。心臓がバクバクして呼吸は浅い。対人トラブルの直後だから仕方ない。ノルアドレナリンも出ていて、ある種の面白さというか、スペクタクルを感じている。祖母が倒れたときもこんなふうに浮ついた精神状態になった。これも生理的なストレス反応としては自然で、よく知っている。意外だったのはものすごく腰が痛くなったことだ。痛ェーもう叫びたいくらいにさ。喧嘩すると、腰痛が起きるのか。まあ、血流が非常事態なら、そんなこともありますわなという感じ……。

表層的なところでは平然としてるけれど、頭の中はずっと喋り続けている。さっきのやりとりは一体どのように間違ったのだろうとか、これをきっかけにパートナーに見捨てられたらどうしようとか、パートナーと喧嘩したから姉の家に転がり込むなんて、まるで他人を道具みたいに利用しているなぁとか、僕はどうして人に迷惑をかけるようなことしかできないんだろう、とか。そういった見捨てられ不安や自己否定的な自動思考がドドドドドドドドと流れ込んでいる。今日パートナーの怒りを爆発させてしまったように、僕という存在は、関わる人を少しずつ傷つけ、拘束して、呪いを植えつけて、怒りを蓄積させて、幻滅されていくのでは。そしていつか、周りの人すべてに呆れ尽くされて、愛想尽かされて、孤独になるのかなぁ。どこにも泊まれなくなるのかなぁ。こんなふうに依存ベースの考えが、そもそも誠実でないよなぁ。世の人々はもっと辛抱強く懸命に生きているのに、僕は被害感情を免罪符にばかりして、歪んだ人格を正当化しようとしてどんどん怪物になっていくんだ。他者を利用して、迷惑をかけて、一人ずつ嫌われていって、遠ざけられて、最終的にゼロになるんだ。

等。

このような考えは、およそ無駄だ。過去の傷に対する生存戦略が習慣として染みついた、僕の思考の癖であって、この手の歪んだ思考に真面目に取り合っていると、うつ状態になる。僕は頭の中に言葉の形をとってポップアップするさまざまなネガティブを、ただ「あるなぁ」と観察しながら電車の壁に頭を預けた。

姉の帰宅を待っている間、ブランコを漕ぐしかなかった。何も考えないことで忙しかった。

姉が帰宅したので入れてもらった。あなたは今日は何をしていたか尋ねたところ、上野動物園に行っていたらしい。姉はデグーという動物の展示エリアの説明パネルの「時には果実を食べることもある」という記述を読んで以降、「時には」と白日を歌うことがやめられなくなっていた。

姉がスプラトゥーンのサイドオーダーをやるところを、横からコメントしながら見た。

ベッドに寝そべって、そのあと長話をした。僕がここ数日どうしてもパソコンに立ち向かうことができないという話をしたら、姉から提案を受け、作業通話を繋げてお互い毎日作業に向き合う習慣をつけようか、という話になった。試してみることにした。友人と時刻を揃えて作業を習慣化する取り組みは、過去に何人かと試したことがあるものの、結局続かなかった。でも、何度試しても良い。今の環境なら噛み合う可能性はある。やってみよう。

6時。もう寝ることにした。何もしていないけれど。喧嘩の消耗したぶんのケアで、僕の今日の体力は尽き果てた。もっと身体を鍛えないとなぁ。

姉の家で時間を過ごして、おかげさまで気持ちを切り替えることができた。絡みつく自動思考は消えた。

今日起きたことについて、家を出た直後よりも冷静に振り返ることができた。すれ違いの原因を見つめると、パニックになって家を飛び出すほどの案件でもなかったような気がしてきた。事態がいやに大きく感じられたのは、目の当たりにしたインシデントのでかさに驚いたからだった。起こったことの激しさに僕は怯えて、混乱した。それだけだ。しかし過激さの程度は、問題の本質ではないと思う。むしろこんな結果を招いてしまったのはなぜか、に向き合おうと思う。

気持ちが落ち着いた今。自分がパートナーに何を謝りたいのか、これから何を反省すべきと思っているのか、僕自身は彼に何を求めているのかをなんとなく整理できた。あまり深くは考えすぎなかった。一人で脳内で勝手な前提で組み立ててはいけない。多くのことは、彼と話しながら考えていくべきだ。そして、彼が話したくない考えたくないなら、僕はそれを受け入れるべきだ。

明日帰ってから、彼と話したい。まずは話してもいいですかとお願いするところからだと思う。