AI鳴動して
5時に起きた。キャップをすべて剥がされたパソコンのキーボードの写真が送られてきてびっくりした。
起きたら昨晩見かけなかった猫がいて、撫でてよっしゃーって感じ。祖母に「髭生やすのやめなさい。人相の悪い。やくざみたいよ」と言われた。僕は生やしているんじゃなくて剃るのがめんどくてほったらかしているだけ、明日学校に行く前に剃ると言った。
思えば今の僕は、坊主頭で口髭と顎髭がぼさぼさのルックになっていた。こういう見た目の者が発する印象みたいなのは、たしかにある。まさか自分がそのクラスターの仲間入りするとは思わなかった。こういう見た目の人が、必ずしもそういう中身ではないということか。人は見かけで判断できない好例……と思いつつ、「そういう中身」と「僕の中身」という(いずれも茫漠とした)イメージを照らし合わせると、なんだか合致するところも少なくないような気がしてきた。まあなんにせよ、人を見かけで判断しないに越したことはない。
自室をすこし片づけて、コーヒーだけ飲んで実家を出た。長居するとこじゃないや。携帯電話会社からの払込票も回収した。
あと片づけ中に見つけたいがらしみきお『IMONを創る』も回収して持っていくことにした。途中で読むのをやめていたけれど、ぺらぺらしたら面白かったので。

見かけで判断してはいけない。
ファミマで電話代を払ったら、数分後にもう電波が通じるようになった。さっそくストリーミング音楽聴きながら歩いた。
篠澤広の『コンテンポラリのダンス』いいなあ。「これで生きてるんならコケても続くんだな」だって。
帰宅した。雨。爪を切って耳掃除をして、パソコン開いて作業をした。ステージのプロシージャル生成のために、タイルマップを仮設したり仕様を覚えたり等。
今日はあまりこなせなかった。3時間もやれなかった。疲れがずっとあった。眼球が埃まみれになっているかのように感じて、目を開けていられなくなった。比喩じゃなく、実家から多量の埃を持ち帰ってきた気がする。唇もかぴかぴになった。
パソコンに向かえなくなって、へなへな寝そべり、ぼんやり調べごとをしてた。今日は体力が尽きるのが早い。
Cursorという生成AI搭載のエディタ? GitHub Copilotに近い? ツールがどうやらエディタ上でやりとりしながらコード生成ができて便利らしくて、それを試してみたくなって料金プランとか調べていた。とりあえずGodotのスクリプトをVSCodeでいじれるように連携するところまでした。Godotは備えつけのエディタでもじゅうぶん使い勝手が良かったからVSCodeに移行するつもりはなかったのだが、Cursorを組み合わせるならここに引っ越したほうが良いっぽかった。Cursorはここに拡張として入れられるんじゃないかと思う。作業限界に達したから、明日やる。
もうChatGPTに尋ねてコピペするような時代でもないらしい。コーディングならChatGPTよりもClaudeの特定モデルのほうが優秀だし(この情報も、もはや今鮮度のあることなのか自信がない)、AIを開発に用いるならばエディタ上で直接自然言語でやりとりしながら書かせていくもんなんだとか。
メモとかデータ管理ツールも、再考の動きがある。僕は基本的にNotionを使っていたけれど、技術屋からは見放されてきているらしい? Notionはインデント等が独自規格で、他ツールとの連携性が悪いからだ。
これはたしかに、Pythonでデータ読み出しするときに僕でも実感していた。NotionAPIを叩いて情報を取り出すとき、ネストの深いインデントの情報などは読み取らせてくれなかった。
そして、こうしたメモ/テキスト系サービスにありがちな閉鎖性を廃したプレーンテキストベース(なのか?)のObsidianというソフトウェアが今熱いらしい。その「今」もいつまでのことなのか、僕にはわからない……。
生成AIの最新情報を追っていると、きりがない。自分が今ゲームを作っているということを忘れそうになる。まだ技術屋の言っていること(僕程度が見かけるのは型落ちの情報だろうけど)がギリギリわかってしまうので、そりゃあエディタ上でやりとりできるのならそっちのほうが良いよな……NotionAPIの取り回しの悪さを気にしなくて済むならそっちが良いよな……と、まんまと試してしまう。
果たしてVSCode + Cursorの座組が、いまのChatGPTに尋ねながらつくる手順よりも良いかどうかは、試してみないとわからない。実働するAIがGodot Engineの最新のドキュメントやIDE事情にどれだけ通じてくれてるかがまた別問題としてあるからだ。結局、今の僕のゲーム開発は特定のゲームエンジンに頼っている以上、そのエンジンのGUIを通した手作業は永遠について回る。スクリプトの作業ばかりスマートにすることに躍起になっても、ちまちまと地道な量産作業なしにはゲームが完成しきることはない(Godotのエディタ拡張でGUI操作すらAIに委託するシステムを自作するという手もありそうだけれど……考えたくない)。
Cursorは存在を知ってしまったことだし明日試してみるけれど、もう「期待外れであってくれ」という思いすらある。これが本当に革新的な便利さをもたらしてしまったら、しばらくしてまたCursorを凌ぐ次世代の新しい発明が流行ったとき、僕はその革新性がわかってしまう。そうなったら「試してみないとわからない」ために試さざるを得なくなってしまう。
開発過程をさぼるための努力をさぼらない、というのがDeath the Guitarづくりのモットーでやってるけれど、ミーハーに技術ばかり追いかけて環境構築にかまけていたら、知らぬ間に魂がプロジェクトそのものとはぜんぜん離れたところに行っちゃってそうだ。
何が楽しいのか思い出したい。
こういうのなんていうんだっけ。本末転倒。枝葉末節にこだわる。策士策に溺れる。木を見て森を見ず。牛刀を持って鶏を割く。
迷走。