カシオ

2025 - 05 - 09

6時に起きた。インターフォンの音が鳴ったので玄関扉を開けると、男性が僕を見下ろしていた。彼は「カシオです」と名乗りながら、革靴を脱いで家に入ってきた。何者だこいつ。

カシオ「園長が亡くなった件についてだ」

トロヤ「エ?」

カシオ「葉書、届いてるだろ? 何その顔。まさか、知らなかったのか?」

トロヤ「郵便物のたぐいは実家に行っちゃうから、いま情弱気味なんだよ。あなた、誰? 亡くなったって、誰が?」

カシオ「園長だよ。じゃあ君、今知ったのか? 亡くなったんだよ、先週……悪いけど俺は出直してくるほど暇じゃないから、今君はたいへんなショックを受けているかもしれないが、このまま話を進めさせてもらうよ。さっきも言ったけど俺はカシオ。君と同じハウスの出身者だよ」

トロヤ「園長って、ああ、あ、ハウスの。園長」

カシオ「まるで、今の今まで存在を忘れてたみたいな口ぶりだな……。それで先日、事務長から連絡があってさ。亡くなった園長の告別式を執り行うことになったんだ。ここまでが葉書の情報。で、やっぱ園長は園長だからさ、結構たくさんの人———それこそ、俺たちみたいなハウス出身者とかがね———が集まって、大規模な催しみたいになりそうなんだ。そこで副園長から『カシオくん、ハウス出身者の枠として代表で、追悼のスピーチをしてくれないか』と頼まれたんだよ、俺」

トロヤ「結婚式のみならず、葬式でもスピーチなんかするんだね。あー、亡くなった大御所俳優の入った棺桶の前で、親交の深かったタレントが泣きながら『こんな簡単に逝っちまうバカがいるかよ』とか言うところ、ニュースで見たことがあるな。訃報関連の見出しは、速報でも派手な色は使われないんだよね」

カシオ「葬式じゃなくて、告別式ね。話す内容はその人次第にはなるけれど、まあハウス出身者代表として求められてるスピーチの内容としては、おおかた『あなたの活動のおかげで、僕たちはこんなに立派に育ちました』みたいなところだろうな」

トロヤ「カシオさんは実際のところ、立派に育ったの?」

カシオ「そう思われてるから俺に打診が来たんだろ。まあ俺の前に、他の奴に連絡してたかも知れないけど……。まあいい。本題は、残念ながら俺はスピーチはやれないってこと。ちょっと、ちょっと? ものすごく? まあ、忙しいんだよ。告別式の日程が、ちょうど重要なイベントと重なっててね。絶対外せないんだ……。というわけで、俺以外のハウス出身者で、成人済み……できれば俺に近い年齢の奴で、スピーチ役を代わってもらえる人を探してるんだ……俺の言いたいこと、わかるよな?」

トロヤ「僕にそのスピーチ役を押しつけようって魂胆?」

カシオ「喪服あるか?」

トロヤ「無理ですよ僕には。僕はカシオさんみたいに、立派?に育ったとは言えない。このとおり平日の昼間に人の家で寝転んでるし……とても弔辞を言える立場じゃないよ」

カシオ「知ってるよ。園長の存在を忘れてたあたりで、幾分か察してたよ。勘違いするなよ、別に君が適任だなんて誰も思ってないから。ここに来るまでに、もっと相応しい奴らにはひととおり当たってから、今ここに来てるだけだ」

トロヤ「あっ。そうすか」

カシオ「でも、君のところに訪ねに来たくらいには、候補者がいなくて困ってるのも事実なんだ。ハウス出身者で俺たちくらいの歳の奴らって、呆れるほどちゃらんぽらんばっかりでさ……泣けてくるよ。どいつもこいつも俺より時間は有り余ってるくせに、準備が面倒くさいだの、人前で喋るのが怖いだの、文章が思いつかないだの」

トロヤ「やっぱりカシオさんが適任ってことでしょ? ぱっと見でわかる、こう、仕事のできる感。イベントと重なって出られないんだっけ? 喪を凌ぐほどの優先度なわけ? そのイベントってのは。それってすごくない?」

カシオ「テック系のカンファレンスだよ。海外の有名なメディアアーティストが来るんだ。その筋じゃカリスマ。そんな彼がわざわざ訪日して、プレゼンしてくれるんだ。すごいどころじゃない。絶対外せない」

トロヤ「まじで? カンファレンス? カシオさん、プレゼンを聴講するためだけに葬式をふけるつもりなんですか? そういうのって最近は、アーカイブとかでオンラインで見られるんじゃないの」

カシオ「葬式じゃなくて告別式な。アーカイブ視聴枠のチケットももちろん取ってあるけど……文化資本の最前線だぜ? やっぱリアルタイムで、生身で見にいかなきゃ」

トロヤ「どうして?」

カシオ「だって対面じゃないと、質疑応答の時間に質問できないだろ」

トロヤ「立派すぎる」

カシオ「開場時刻の4時間前には現着して、張っておくつもりなんだ。なんとしても前の方の椅子を確保したいからな……後方の席だと、挙手しても周囲にまぎれて気づかれないかもだし、よしんば選ばれたとしても係の人がマイクをこっちに運んでたどり着く前に『残念ながらここでお時間です』ってなるかもしれないだろ」

トロヤ「大勢が聴講してる場で、手を挙げて質問できるような人って、一体何者なんだろうって思ってたけど、あなただったのか」

カシオ「幾らでもいるだろ、そんな人間」

トロヤ「まるで人種が違うな。僕はだいたいそういうカンファレンス的な場では、なるべく後ろの席を取るから。可能なら最後列だよ。なんか遅刻してきた人とかが、途中で扉を開けて、会場に入ってきたりすることあるじゃん。そういう時に、扉の音に反応してか、会場のみんながさ、一瞬チラッてその入ってきた人のほうを見るんだ。全員の視線が、音の鳴ったところに集まるんだよ。なんでみんなそんな恥ずかしいことできるんだろうって思う。最後列にいると、そういうのが丸見えなんだ」

カシオ「最初から最後まで共感できないけど……君はその、恥ずかしい人々のようすを、最後列から一望したいのか?」

トロヤ「したくないよ。そうじゃなくて、自分が一望されたくないんだよ。最後列以外の席に座っていると、背後の人間から、僕の一挙手一投足が把握されてる気がするんだ。それが耐えられない」

カシオ「誰も君のことなんて観察してないよ。一聴講者の後ろ姿なんて」

トロヤ「それみんな言うけどさ、まったく同意できない。だって現に、僕は観察してるぞ。視界に入る全員。くまなく」

カシオ「あのさ、君は何のためにカンファレンスに来てるんだよ? 聴講者の動きなんか調べて、何が面白い。そんなことしてたら、肝心のプレゼン内容を聞き漏らしちゃうだろ」

トロヤ「聞き漏らすよ。というか僕は、最前席にいても聞き漏らすからね。プレゼンテーションって、ものすごい変な営みだと思わない? 人間が一方的に、延々と喋り続けるんだよ。誰に話しかけてるのかもわからないまま。そんなのってある。『僕はいったい、どこを見ればいいの?』って思う。プレゼンターの顔なんて、壇上に上がって準備してるまに見終わっちゃうし。髪型も鼻の形も服の柄も。話始めるころには、具体的すぎて、もう直視していられなくなってるんだ。話してる人をずっと見てると、視界がチカチカして背景が浮き上がってこない?」

カシオ「そこまでプレゼンターを凝視しなくていいよ。スライドを見て、話を聞いていればいいんだ」

トロヤ「スライドも、情報量に対して表示されている時間が長すぎるよ。見終わっちゃうでしょ。すぐに目持ち無沙汰になるよ。そしたら、もう、他の聴講者の襟足とか見るしかないじゃない」

カシオ「目閉じてろよ」

トロヤ「そうっ。見終わったら目を瞑っておくのが疲れなくて良いって最近気づいた。そしてそれをするためには、なるべく後ろの席、可能なら最後列に陣取るのがふさわしいわけ……目を閉じていることが他の人にばれにくいから。ばれたらやっぱ、全体の士気にかかわるじゃんね」

カシオ「不気味な奴だな。君の言う『スライドを見終わる』ってのが、だいたい俺にはよくわからない。別にスライドってのは、表示されている画像や文字を視界にとらえて各一度ずつスキャンしたらハイ完了……みたいなシステムじゃないだろ。もっと読書みたいにさ、頭のなかで考えながら、自分のなかで知識や疑問を練って、それらと照らし合わせるんだ。それに発表者の話す言葉とも併せ考えてみると、同じスライドも読み味が変わってきたりするだろ」

トロヤ「それが理想的な聴講ってやつなんだろうけれど……ウーンなんか。本を読むのと、プレゼンテーションを聴くことじゃ、飲み込みやすさが全然違うというか……僕は後者が苦手みたいなんだ。人の独立した、構築された話を聴くってのがね。高校の授業も聴いてられなかったし、エピソードトークを聴かされるのも苦手なんだ。テレビのすべらない話とか見るともうなんか、ゾワワ〜ってなって、チャンネルを変えずにはいられないよ。修学旅行で、沖縄戦で兵士として戦闘した人の実体験を聴く講演会があったけれど、あろうことか寝ちゃったんだ。他の生徒よりも関心はあったのに。なんだろう、人が情報をより良く他者に伝えるために、声色を変えて臨場感を出したり、溜めを作って考える時間を作ったり、あえてユーモアを挟んで空気を弛緩させるみたいなのがさ……僕は無理なんだよ。生理的に。カンファレンスのスライドなんかまさにで、『ウワこのスライド、あえて疑問符を残しておくことで聴者に能動的な関心を抱かせようとしている……なぜ……』『次のトピックへ話題をなめらかに繋げるために、問題点の部分を強調している……どうしてそんなことを……』みたいに。変な生温かさばかりが気になっちゃって、それがどうしても気持ち悪く感じちゃって、集中できないんだ。意識が『つくり』に持っていかれて、内容までたどり着けないんだ。カシオさんが聴きに行くのは、何だっけ、海外のカリスマの、メディアアーティスト?だっけ。その人がどんな話しかたをするのか知らないけれど、僕の経験則では『トークが上手い』って誉めそやされてる人、いわばカリスマの語り口ほど、言ってる内容が理解不能なんだ。落語も、講談も、TEDも、スタンドアップコメディも……やってることが根本的に不自然なんだよ。人が中空に向かって、一方的に長時間”わかりやすく”喋り続けるなんてさ。Appleの新製品お披露目会の発表だって、ゆっくり霊夢とゆっくり魔理沙に対話形式で言わせたほうが何倍も頭に入るのにな。僕の言ってること、わかる?」

カシオ「わからなかったよ。確かに君は今一方的に長時間喋り続けたけれど、全然わかりやすくなかったな」

トロヤ「ドラマとかでよく見るけどさ、とある登場人物が一人で長々と、何? 思い出とか、真相とか、知らないけど何でもいいけど、長々と話しているとき、他の人たちは、その人をじっと見つめて動かないんだ。でもあれって嘘だよ。話している人の顔を、じっと見つめ続けるなんておかしい。何の話だっけ?」

カシオ「園長の、告別式のスピーチの代役を探してるって話。君にスピーチ役は、致命的に向いてないらしいな。というか、スピーチを聴くのも向いてない。出席しないほうがいいぞ」

トロヤ「あれカシオさん的には、僕にやってほしいんじゃなかったでしたっけ……まあいいか。気になってたんだけど、カシオさんはカンファレンスで、そのメディアアーティストの人に何を質問するつもりなんですか? 告別式をさぼって」

カシオ「は? そんなのわからんだろ。まだプレゼン聴いてないんだから」

トロヤ「エ? だって最前席で挙手するって話だったでしょ? じゃあ、質問するかどうかはまだわからないけど、一応最前席は確保しておくってこと?」

カシオ「いや質問はする。100%」

トロヤ「は」

カシオ「あのね、質問する余地のない発表なんてないんだよ。良い発表だったら尚のことな。さっき君はネチネチと、プレゼンテーションは一方的で不自然だーとか言ってたけれど、その一方向性をカバーするために質疑応答の時間ってのが設けられてるわけ」

トロヤ「ハハァ。エーなんか質疑応答って、そんな素敵な時間だとは思えないけどな……その”質問する余地”は、必ずしもカシオさんが尋ねるべきことじゃないかもしれなくない? カシオさんの個人的な興味と合致する疑問がいい感じに思いつけばいいけれど、ただの発表内容の瑕疵の埋め合わせみたいなさ、誰でもいいけど誰かがアシストするべきみたいな、無属性の質問だったら……」

カシオ「俺がその、誰でもいい質問をしちゃだめなのか?」

トロヤ「それをするくらいなら、弔辞を読んだほうがいいんじゃないかと」

カシオ「なんだかトロヤくんは、頭の固い奴だな。別に俺は、他人のプレゼンの補完に徹したっていいんだよ。それが俺にとって”損な体験”だなんて微塵も思わないね。プレゼンテーションや質疑応答が営みとしてピュアかどうかなんて、気にしてどうする? その営みが行われないよりは行われるほうが100倍、1000倍、いや0に何かけても無駄か、とにかく明らかにいいだろ。やるほうが。業界にとって。世界にとって。知の共有作業の存在を否定するなんて、無理があるってもんだ。君が君の個人的な苦手意識をラディカルな理屈で正当化してる時間よりかは、よっぽど意義深いね」

トロヤ「んだてめー」

カシオ「少なくとも俺のほうが、冷静に収支の計算ができてる。その上でカンファレンスに絶対行きたいって決めてて、だから園長の告別式には行く余裕がないんだ。改めて言うけど、忙しいんだよ俺」

トロヤ「くそー立派すぎる」

カシオ「君にスピーチを依頼するのはやめることにしたよ。あらゆる意味で空気の読めないことを口走りそうだからな。その代わりだけどさ、トロヤくん、君がスピーチの代打探しをやってくれないか? 俺に代わって」

トロヤ「いやいや。”その代わり”って! こちとら寝起きから家に上がり込まれてるのですけれど。さも僕がスピーチの代打探しの代打の依頼を引き受けるべき道義的な負債を負っているみたいに言うんじゃないよ」

カシオ「君もハウスの出身者なんだから、園長に感謝を返すべき立場ではあるだろ! 俺たち一応、遺族みたいなもんなんだぞ。自分がここまで生きてこられたのはどれだけ周りからの助けがあってのことだったのか、全然自覚ないんだな……。いいか、カンファレンスも自然発生する営みじゃない。コミュニティあってのものだ。個人個人の時間と、熱意と、奉仕の気持ちをちょっとずつカンパしあって、やっと成り立ってるんだぜ。君みたいに最後列で目を瞑って後方腕組みして、ろくに場にコミットせずケチばっかつけて、知見を一方的に享受する……そんな奴ばっかになると、コミュニティって衰退して無くなるんだよ。普通に」

トロヤ「普通に……」

カシオ「普通に」

トロヤ「普通に……やだ! 僕はその御恩と奉公みたいなスパイラルに、自分の意思で参加した記憶は一切ない。食べなきゃ死ぬんだから、しかたなく手の届く範囲の食べ物を拾って食べてきただけなのに、食べ物の生産者に感謝をしなさいと怒られるのは気に食わない。僕には恩返しをしない権利も、恩を感じない権利もある……はず」

カシオ「その開き直りの姿勢がくだらないって言ってるんだよ。気に食わないことこそやるんだ。君だって、会場で目を瞑るのに一応後ろの方の席を選ぶんだろ。”全体の士気”がどうたらって。そういう判断ができる君のなかの奥ゆかしさみたいなのを、大事にしていくべきだ」

トロヤ「ハン。『その開き直りの姿勢がくだらないって言ってるんだよ』とか人に向かって言っちゃう人のほうがくだらないね。カシオさんみたいに、バランスの良い、いかにも社会的に好もしい感じのパーソナリティ機能を、なんの努力もなしに備えている人たちは、自分らのその恵まれた立場に対しては奥ゆかしくなれないわけ。『ラディカルな理屈で正当化』って馬鹿にするけれど、ある程度ラディカル方面に傾かないと自分を保てないたぐいの状態だってあるんだよ。というかカシオさんだって、告別式のスピーチの仕事をさぼろうとするくらいには自我で動いてるじゃんか。いかにもエシカルな理屈を並べて隠してるけれど、最前席に座ることだって、他の誰かが最前席に座る機会を奪ってるわけでしょ。その己の眼光を誤魔化してる感じ、気に食わないな」

カシオ「そんなの、むしろ誇らしいね。利己的な欲望を突き詰めるにも、それをエシカルな理屈でコーティングすることはマナーであり、誠実さなんだよ。俺の眼光は他のちゃらんぽらん達とは違って、ちゃんと照準が定まってる。だから自分のこと『忙しい』って言えるんだ。”何の努力もなしに”と言われるのは心外だな。スピーチだって、ちゃんと後釜を探してるだけましだろ」

トロヤ「その後釜探しを今まさに、僕に押しつけて逃げようとしてるじゃん!」

カシオ「はぁ……何が足りないんだ? 俺の言ってること、トロヤくんにはほとんど伝わってるように思えるけど。『わかった。気に食わないけどやるよ』って、なんで言ってくれない?」

トロヤ「……」

カシオ「あとは何を説明すれば、承諾してくれる? 『お願いします』って、うやうやしく頭を下げればいいのか?」

トロヤ「それも普通に大事だと思いますけど……まあいいか、そうですね、僕としてはあれかも、カシオさんのモチベーションの構成について、もうちょっと詳しく知りたいのかもしれないです。あなた最初からまるで常識人でーすみたいな顔してるけど。確かに話してて、事務長から信頼されるのもわかりましたよ。でもさ……やっぱ弔辞よりカンファレンス聴講を優先するのって、それなりの尖り方ですよ? ね? 叶えたい夢とか、譲れない野望みたいなのがあるわけでしょ。カシオさんの内にある、その狂いの部分を自分で認めて、僕に説明してください」

カシオ「……」

トロヤ「そうしたら僕、カシオさんの代わりにスピーチの代打探し、やってもいいって思うかもな〜」

カシオ「正直、君が思ってるほど、熱くはない。カンファレンスへのモチベーションは。語るほどのものはない」

トロヤ「えっ」

カシオ「ただ、告別式でスピーチをするってのが、あまりにしょうもないんだよ。意味がない。だから俺にはカンファレンスを優先するべきとしか思えないわけ。相対的に」

トロヤ「そっち?」

カシオ「故人に向けてメッセージを語ったところで、何にもならんだろ。質疑応答の時間もないしさ。死体に話しかけてもな……」