Freeze, please.

2025 - 05 - 20

3歳くらいの子供の髪の毛をつかんで引っ張った。子供がアアアと泣き出して、僕は「被害者ぶるな」と言った。

16時に起きた。睡眠サイクルがまったく早まっていない。失敗した。冷房で腕が傷んでいた。落ち込みというか、どうすればいいのかわからなくて布団で1時間くらい固まっていた。コンサータを飲むかどうか迷っていた。12時間くらい効果があるから、今飲むと翌4時まで活動してしまうかもしれず、そうしたら明日学校に行けないかも……など。コンサータを飲むか悩んでいる最中にも別のこと悩みはじめちゃったりして、これはアカンと思った。

結局飲まずに起きたけれど、飲んでないだけあってぐだぐだ、脳内でずっと考えを記録し続けて疲れ、それがイヤだーと思う気持ちが鬱っぽさを呼び寄せてきた。今日は捨てだなと思った。

家を出て新宿のブックファーストに行った。

たくさん本を見て、パラパラしてまわった。O’Reillyの本とか、永井均の本とか、文科省の学習指導要領とか、催眠セックスの指南書とか。すごい色々書きたいことあるが、書いてたら寝る時間減るので、書かない。藤田一照『禅の教室』を買った。本当は著者の別の本が欲しかったのだが置いてなかった(でかい本屋、「どうせあるだろう」と思って行くと目当ての本にかぎって置いてないがち)から、代わりにこれを買った。

卵は専用のエリアを作ってそこで固めるんだよ!

伊勢神宮は20年おきに社殿をあたらしく造り替えるらしい。東と西に同じ広さの敷地があって、これらを往復するように社殿を引っ越しするんだって。なぜそんなことをするのか気になって、伊勢神宮の公式サイトの記載を見た。

20年に一度式年遷宮を行うことは、『皇大神宮儀式帳』に「常に二十箇年を限りて一度、新宮に遷し奉る」、『延喜太神宮式』に「凡(およそ)太神宮は廿年(はたとせ)に一度、正殿宝殿及び外幣殿を造り替えよ」と記載があります。しかし、その理由についてはいずれの書籍にも記載がなく、これまで様々な理由が推定されてきました。

よくわかってないけどやってるんだ。まあ伝統ってそんなものか。部活や会社も、創設されたときの理念・意義は忘れ去られて「続いているからやる」ものとして生き続けたりするよね。

書くのをやめねば。

さっき思ったことだけれど、生き物が食べられることには2種類ある。生きたまま食べられることと、死んでから食べられることだ。前者は「食べられることによって死ぬ」と言い換えてもいい。『注文の多い料理店』では人が生きたまま味つけされていたけれど、それはなかなか珍しいことだと思う。サバンナで逃げる獣を捕食するのとは違って、味つけなどの工程を経る文化的な食事では、食材はほとんどすでに死んでいることが多いからだ。『約束のネバーランド』でも高知能な上位種によって人が生きたまま食われていたけれど、そういうのはおどり食い的な嗜みなのかな。魚料理などは、追究すると鮮度に勝るものはないってことで、なるべく生きた状態に近いまま食おうってことになるイメージがある。それって営みとしては原始的な「捕食」に回帰してるようで面白いな。藤子不二雄の『ミノタウロスの皿』はどうだったっけ。

書くのをやめなさい。スマホを置け。