なぜ踊るのか

2025 - 05 - 28

徹夜。

早朝。

先日実家を訪ねて[何かインフラ]の払込票を回収してきたのだけれど、それ、目的の払込票と違ったっぽい。別のやつ持ってきちゃったっぽい。

絶句

だから、本当の払込票を取りにもう一度実家に行く必要があった。ちょうど今日は大学の授業があるので、朝の早いうちに実家に寄ってから登校することにした。バスに乗った。

実家に戻ってリビングに行くと、祖母がいて朝食を出してくれた。お盆を運びながら、祖母は僕に、あんたに訊きたいことがある、と言った。祖母は「あんたまさか同棲してるの?」と訊いてきた。

「してるよ」と答えると「なんでそんな大事なこと今まで言わなかったのよ」と怒鳴られた。

「べつに言う義理がなかった」「何言ってるのよ、ちゃんと避妊してるの? 子供が出来たら一大事なのよ。慰謝料だってかかるし」「大丈夫だよ」「大丈夫じゃないわよ。若いうちにほんのはずみで赤ちゃん作ってごらんなさい」「赤ちゃん作らないよ。もうぜんぜんセックスしてないし」「してないってそういう問題じゃないでしょ。本能だもの。恋人がしたがって流れでってこともあるのよ」「ないよ。本当にだいぶ長らくセックスしてない。もうそんな関係じゃないよ。というか、同棲してるの女性じゃなくて男性ですので」「あ、そうなの? じゃあいいけど」

僕たちは一緒に朝ごはんを食べた。さらに色々とピチャピチャ言われた。

「その相手、大丈夫なの? 私本当にトロヤのこと心配してるのよ。若いうちに恋人に騙されて詐欺まがいのことされたり保証人にさせられたり。心配なんだから」「大丈夫だよ。素晴らしい人だよ」「良い顔してる人ほど裏であんたのこと騙そうと企んでたりするのよ」「おばあちゃんは人を舐めすぎている。本当にそういうのないよ。おばあちゃんよりも父よりも母よりも、ずっと尊敬できるしずっと良い人だよ。誰よりも話通じるよ」「本当? 私だって良い人よ」「おばあちゃんもウン、良い人だよ」「迷惑はどうなの」「迷惑って?」「食費とかよ。ある程度折半とかしてるんだろうけど、頼ってばっかりで迷惑なんじゃないの。あんたお金なくて困ってるんでしょ」「頼ってばかりでいうと、ほぼ100%頼りっきりだよ。ヒモだよ。居候だよ」「そんなの悪いじゃない。それでその人、裏であんたのこと恨んでたりするのよ。浮気とかしたり」

「あのさ、言いたいことわかるけど、そういうのはもう僕たちのあいだですでに経てるから。僕たちもう付き合って4年になるわけで、おばあちゃんが心配するような内容はそれなりのドラマがあったりなかったりして、やってってるから。別に今さっきポップアップしたみたいにくっついたんじゃなくて、僕たちの間には僕たちの年月がそれなりにあるわけ。迷惑云々もおばあちゃんが言っている以上にわかってるけれど、そういう云々を丸ごと含めて、一緒に確かめあいながらやってきてるわけ」「そうやって確信してるのがあぶないのよ。本当に信頼できる人なんていないんだからね。そんなふうに長く付き合って、裏でなに企んでいるのかわかったものじゃないでしょ」

祖母は文鳥みたいにピチャピチャと囀っていた。僕は自分が今、とても幸せであることを実感した。僕は祖母が1ミリも怖くなかった。今までで一番怖くなかった。僕はいまや、祖母の知らないことを多く知っていて、この人より大人だった。僕はもうこの人によって脅かされることはないのだとわかった。

「むしろおばあちゃんが心から人を信じることを覚えたほうがいいよ」「逆よ。若いときの後悔って、一生残るのよ。私トロヤの人生のこと心配してるんだからね」「心配して何。心配して、その次は? 命令する? 家に戻って来いって」「そりゃうちに戻ってくるなら一番安心だけど」「安心って。おばあちゃんが楽しいだけでしょ。僕のほうは、ここを出てから、体調も精神もみるみる安定してきているんだわ」

祖母は「あらそうなの?」と笑った。

「そうだよ。何度も言ってるけどおばあちゃんとは関わるだけで具合が悪くなるんだよ」「それがおかしいのよ。私、あんたに何も悪いことしてないのに」「おばあちゃんは悪くないよ。僕がおかしいんだよ。僕はおかしいってずっと言ってるじゃん。精神障害の診断のこと、何度も説明したでしょ」「自慢みたいに言うんじゃないわよ」「僕は自分がずっとおかしいって言ってるのに、おばあちゃんはそれを頑なに認めないから、それが相性が悪いって話だよ。おばあちゃんは僕を普通の子だと思い込み続けたいわけでしょ?」

8時になって、連続テレビ小説あんぱんが始まった。

「しかし、実家を出てからあらためて感じたけれど、おばあちゃんって毎日3食ご飯用意してくれて、時間帯とか栄養も考えてくれたよね。それって本当にすごいなと尊敬しました」「そうなのよ。私最初は家庭科の高校なんか出て、事務の資格みたいなものなんも一つも持ってなくて、こんなんじゃお金稼げないわぁ。お母ちゃんに何も恩返しできないわぁって。せっかく高い学費払ってもらったのに、入る学校間違えたわってずっと後悔してたの。でも朝昼晩ちゃんと栄養のある料理、それも節約もしてよ? 作れるのは、やっぱり高校のおかげやって思うわ」「ここまで育ててくれてありがとう」「ほん……。あんたがちゃんとそう思ってくれたならいいけど、でも」

でも私

「でも私、あんたの両親が離婚した原因が私にあるって思われてるのだけは許せない。ずっとあんたにそうやって誤解され続けてきたのが、一生悔やんでも悔やみきれん」「思ってないよ。もう誰のせいとか、どうでも良いんだわ」「私にとってはどうでもよくない。ホン!まに許せない。なんで私があんたに恨まれなくちゃいけないの?」「恨んでないよ。というかその話大昔じゃなかった? 今は僕、おばあちゃんのせいだと思ってないよ。僕がそう思ってるとずっと思ってたわけ。ごめんね」「ずっとよ。ずっと、思い出すたんびに腹が立つの」「おばあちゃんのせいじゃないよ。みんなそうなるべくしてなったんじゃないの。もう本当にすごい興味ない」「なるべくしてなったんなら誰のせいなの」「だか。だから。そうなるべくしてなったんじゃないの、知らない。本当に知らん。おばあちゃんも父も母も、それぞれの生い立ちがあってなんかそう展開せざるを得なかったんじゃないの。僕はいまや全然興味ない。どうでもいい」「私にとってはどうでもよくない」「おばあちゃんがどうでもよくないって思ってることもどうでもいい。なんかすごい今幸せかも。僕、これからはおばあちゃんと楽しく話せる気がする」「一ヶ月に一回くらいは顔見せなさいよ」「強いて言うなら、離婚の原因とか気にしてる暇があったら、あなたがた大人がすったもんだしてたせいで我々三姉妹弟が苦戦させられたことについて、もう少し気を配って欲しかったな。[上姉]も[下姉]も、子供時代厳しそうだったんじゃない」「私は一生懸命大事に育てたじゃない。いなくなった母親代わりになって」「でも実際、二人とも家出しちゃったじゃん。おばあちゃん、僕だけ贔屓して姉たちには辛く当たってたでしょ」「私はそんなふうに思ったこと、一度もない」「でも姉達はおばあちゃんに傷つけられていたみたいだったよ」「そんなふうに思われてたなんて心外だわ。じゃあそれは、見解の違いね」「見解の違いだよ。どうでもいいけど。もう本当にどうでもいい。お姉ちゃんたちも今は今のお姉ちゃんたちだから、どうでもいいからいいんだけど。見解の違いがあるってことに、謙虚になれないのか? 離婚が誰のせいとかまさに、見解につぐ見解の雑木林なんだ。みんな言ってること違うんだもん。とにかく僕はおばあちゃんのことはまったく恨んでないし、おばあちゃんが良い人なのもわかってるから何も気にしないで、仲良くしようよ」

そんなふうな朝の時間を過ごした。起きたときには、今日自分が同性と同棲していることを祖母に知らせることになるとは思っていなかった。あ徹夜だから起きたときとかないか。今思えば、パートナーが同性であることを先に言えば、ぜんぜんセックスしてねえなんて余計な情報を言う必要、まったくなかったな。

↑の会話のあとも、祖母はしゃべり続けた。僕は身体を揺すぶっていた。祖母が、僕のパートナーに対して不信感をあらわにする発言をすればするほど、反転してパートナーの信頼度が上がっていく感じがして嬉しかった。Aが「Bは嘘つきだ」と言ったとき、そこからわかるのは「Bが嘘つきである」ことではない。わかるのは「AとBのいずれか一方が嘘つきである」ことだ。

借金やら騙されてとか、若くして子供産んで後悔とかって、あなたたちの過去の経験則じゃないのか。祖母の説教は、説得力を欠いていた。まくし立て責め立てるほどに、おぼこさが際立つばかりだった。こいつもうすぐ76歳になるようだけれど、いくつかの重要な愛を知り損ねてきてしまったみたいだ。

大学のために出発する時間が近づいていた。自室の本棚からマッドマックス怒りのデスロードの設定資料集を鞄に入れた(Death the Guitarの参考にするため)。祖母は今日、高尾山に登る計画をやっぱ行く気が失せたとかで断念したらしく、なにかと運動する口実を探しているようだった。僕は「今から大学行くけど、一緒に行く?」と誘った。入学直後から、祖母はちょくちょく「一度くらい、あんたの大学まで連れて行ってよ」と僕に言っていた。それを思い出した。今日がその日になりそうだった。僕は4年生だった。

一緒に大学行ってる。徹夜明けとは思えない晴天ぶり。

祖母は花や木の解説とかしてくれる。この人から教わるべきことは、愛じゃなくて、花の名前とかだなーと思った。

手のぶよぶよ具合は、76歳のそれ。

キャンパスに到着した。僕は祖母に帰り道を教えて手を振った。祖母は五千円くれながら「じゃあね。今日はありがとうね。身体に気をつけなさいよ」と言って手を振り返した。

授業では作業をした。

先日の学科全体の卒業制作テーマ審査会、僕は自分の発表のあと抜け出したので現場を見なかったけれど、あの場でけっこうキツめの講評コメントを受けた人もいたらしい。各々反省したり、しょぼんとしたり、不当な指摘だと怒ったりしていた。

僕の卒制はDeath the Guitarを作るという決まりきった企画で、アート文脈に提出するわけでもないから、批判される余地がなかった。けれどそれは同時に検討や心配をされる余地もないということで、僕の卒制は今までもこれからも、基本的には「いいですね^ ^では引き続き」と野放しにされることになりそうだ。ひたすらに僕がどれだけ手を動かすかのバトルになる。とても不安。Death the Guitarは、普通にちゃんと完成させられるかどうかが怪しすぎる。最大のボトルネックが制作者が怠惰すぎることなので、誰かに助けを求めることもできない。

やるしかないな。今すれ違った高校生が「この世の終わり2(ツー)」と言っていた。

帰った。

この世の終わり2といえば、帰りの電車で藤田一照・伊藤比呂美著『禅の教室』を読み終わった。仏教にまつわる種々の疑問に応答しつつ、一貫して「坐禅はいいぞ」という内容の本だった。仏教にまつわる種々の疑問が解消したし、素直に「坐禅いいな」と思えた。瞑想やマインドフルネスは坐禅などの方法論を利用したいわばテクニックであるのに対し、坐禅そのものは、そのようなプラグマティックな行為ではなく「坐禅すること」それ自体を目指す営みだ。曹洞宗開祖の道元は、その自己目的性をかなり意識していた。でも『禅の教室』みたいに本に編まれて語られることで、ここでいう坐禅も結局はテクニックに堕しているように思う。禅宗の仏道修行は、坐禅にせよ公案にせよ、おおかたこの応酬の繰り返しだなという感じがした。

応酬といえば、ありとあらゆる人文的営みが↑の流れをとっていると思う。

青松輝のこれ面白かった。これを読んで、禅や倫理やユーモアは、それ自体の説明がそれ自体にならない(説明をあきらめるしかない)のに対して、西洋哲学や詩やアートはそれ自体の説明がそれ自体になりうる(説明をあきらめないことができる)と思った。いずれにせよ我々はこのウィトゲンシュタイン的?な行きどまりの周りでふよふよやるわけだけれど、その手つきには微細な違いがある。

家に帰ったとき、パートナーに、朝に祖母とやりとりしたことを話した。「信じちゃだめよと言われた」と彼に言ったら、彼は僕に「信じちゃだめだよ」と言った。