行動原理をめぐる冒険

2025 - 05 - 31

6:00に起きた。

今日は親友宅に集まって『千と千尋の神隠し』を親友とKと僕の三人で鑑賞する約束をしていた。家を出るのは12:00くらいだ。それまでたっぷり時間がある。

作業するぞ~。

12時過ぎた。作業しなかった。自分が嫌いだ。

家を出た。僕は友人の家に行く前に、別の街にあるTSUTAYA店舗に寄って千と千尋のDVDをレンタルして持っていく役目を担っていた。ジブリはサブスクがないから、円盤を用意しないといけない。レンタル事業をいまだに続けてくれているTSUTAYA店舗はかなり希少だった。外は暴風雨で嫌だったが、僕はその街に向かった。

屋外で、iPhoneの電波が通じなくなっていることに気づいた。電話回線がまた切られている。なんで。今月も引き落としできなかったということ? エー。この電波不通状態に先月末見舞われた反省を活かして、今月は払込票の回収を意識して二度実家に行っのだけど。たしかにどちらも予想していた払込票とは違ったけれど、払込完了票? みたいな? のは来ていて、口座残高が不足していたわけでもないから、今月はよくわからないけど引き落とせたと思っていた。でもだめだった。よくわからない。よくわからないけれど、回線が停止されたという事実があった。

TSUTAYAに着いて、千と千尋のDVDを持ってレジへ向かった。Tポイントカードの提示を求められた。財布と開けるとTポイントカードは無かった。受付の方にすみませんカードが無いですと言うと、「TSUTAYAアプリでカード情報を立ちあげていただければ、アプリからレンタルできますよ」と教えてもらった。スマホを見ると、TSUTAYAアプリは入っていなかったが、今からインストールすればどうにかなるかなと思った。「すみません、スマホの電波が今通じなくて……」と尋ねると、店舗のWi-Fiを教えてくれた。僕はアプリを入れた。

アプリを立ちあげると、カードを紛失した人のために、カード情報を名前や電話番号の情報から復元する機能があった。入力したら、本人確認のために電話番号認証が求められた。この展開、既視感があるなあ。

「すみません、電話番号認証をおこなわないとカード情報を復元できないようなんですけれど、あの今、自分、電話が通じなくて」「電話が通じない」「電話が通じないっていうのは、あの、回線が切られていて」「回線が切られているー……というのは」「あのその、電話会社の未払いで。6月2日に復旧するはず(そう思っている)なんですけど」「あーお客様の。個人的な?」「ですので今電話はSMS認証ができない状況でして……他のやりかたってあったりするでしょうか? 電話番号の代わりにメールアドレスで認証とか、今身分証は提示できるんですけれど」

無理だった。どう頑張っても、Tポイントカード(今はVポイントカードと言うらしい)かカード情報を記録してログインした状態のTSUTAYAアプリのどちらかが無いとレンタルは不可だった。受付の人が「それ(千尋のDVD)、片づけておきましょうか?」と言ってくれたので僕は渡した。

無収穫で店を出た。レンタル失敗した。

どうしよう。電話回線はちょっと状況がわからないから、Tポイントカードのゆくえを考えた方がいいかな……?

Tポイントカードがどこにあるかなんて、気にしてすらいなかった。どうせ財布のカードポケットのどこかに入っているだろうと高を括っていた。でもレジでいざお財布を開いたとき、目に飛び込んできたのはTポイントどころか何ポイントのカードも入っていないすっからかんの寒太郎だった。

圧倒的な無さ。作為が感じられた。たぶん、いつかの過去の僕が、何かしらの決意と覚悟のもとに財布のポイントカード類を一掃したのだ。なぜそんなことした。その時の自分を一掃したい。

もしTポイントカードがどこかで生きてるとしたら、実家以外に考えられない。実家にもなかったら、捨てたことになるだろう。過去の自分が何を考えていたのかわかんないけど、捨ててそうだなー。もし捨ててしまっていたら、レンタルの手段としてはスマホのTSUTAYAアプリに頼るしかないが、電話回線が今日中に復旧する見込みがない以上、厳しいみたいだった。

『千と千尋』のDVDレンタルが不可となると、次に取れる手立てはパートナーの私物のBlu-Rayを借りて持っていくことになる。ただその場合、友達の家にはBlu-Ray再生機器がないため、僕の実家に置いてるPS5をプレイヤーとして運んでいくことになるかなあ。今から実家と家両方を経由することになる。この土砂降りのなか巡回セールスマンをやるのは気が重かった。

どのルートをゆくにせよ、実家に寄る必要はあるみたいなので、僕は実家方面の電車に乗った。Tポイントカードが自室のどこかで見つかることを祈った。

実家に来た。それどころじゃないのに西川貴教が意味不明な格好でHOT LIMIT踊っていて腹が立った。

Tポイントカードは探したけれど見つからなかった。捨ててるなあ。

父が「そういえばこれ届いてたで」と書類を渡してくれた。それは、携帯キャリア会社からの払込票だった。ウオーこれだ! 最近二回実家に足を運んだのは、これが目当てだった。二回ともニセモノをつかまされていた(?)。これがあれば電話回線即復旧するから、アプリ入れてDVDレンタルできる!

雨のなかPS5を運ぶ羽目にならずに住みそうでよかった。今からコンビニで払い込みをして、回線を復旧させればアプリで電話認証ができるようになってDVDレンタル可能になる。

猫と触れあっていたら、父に「万博行く」と誘われた。あと「これいるか」とアンディ・ウォーホルのUTをくれた。僕はまもなく実家を出て、再びTSUTAYAのある街に移動した。

もろもろを完了した。『千と千尋』レンタルできた。親友の家に向かった。疲れた。虚しい独り相撲で時間と体力を浪費した。もう、自分のこういうのは慣れた。

だいぶ遅刻したけれど、親友の家にたどり着くことができた。Kはだいぶ早くに着いていて、待っているあいだに親友の部屋の片づけを手伝っていたみたいだった。「ベッドもさっきまで、めくれて寝られる状態じゃなかったんだぞ」と言っていた。”めくれて”の意味がよくわからなかった。親友はずっとめくれて三分の一くらいの面積しかないベッドで寝ていたらしい。

親友の家はいつも混沌としている。そのカオスのなかで彼が生活するために見出したかりそめの秩序みたいなやつがたくさんあって面白い。玄関に醤油が置いてあることを指摘したら「そうだよ、片づけたんだよ」と言われた。片づけた結果玄関に醤油を置いているらしい。常識にとらわれていない。

シンクには湿らせたペーパーが敷かれていた。「これがないと排水口から下水のにおいが部屋に立ちこめる」らしい。水責め拷問を思い出した。

満を持して、僕たちは鑑賞会をした。『千と千尋の神隠し』は僕とKはもう何度も見たことがあるが、親友はほとんど記憶がなく初見に近かった。

この坊の、画面の占め方。

見終わった。ウー素晴らしい。もう百回も見たのに、なんだかすべてに新鮮な感動をおぼえることができた。就活市場やゲームコミュニティで自分を失いかけた経験をふまえて見ると、油屋の象徴する資本主義的・貨幣経済的な、価値のありかと実感が切り離された世界(世界……世界すぎる!)のを前に、いかに自分を関わらせていくか、いかにして適切な距離感を見つけていくか、みたいな細やかな問いを、最初から最後までとっても大事にしてくれていることがわかって震えた。

三人で感想を話した。僕が油屋を資本主義の象徴として捉えたとき、Kに「それはさすがに拡大解釈じゃないか」と言われてびびった。自分としては、踏み込んだ解釈としてそれを言ったつもりはぜんぜんなかったからだ。千と千尋の解釈としては一番ふつうの、誰でも思いつきそうな筋ではと思った。

そのKは、自分のインスピレーションの源泉として千と千尋の神隠しの虚構世界を大事にしているようだった。「俺が東方Projectとか夏目友人帳が好きなのって、千と千尋から来てるんだな」と言ってた。なんとなくわかったのは、Kは、作品の表現を、現実世界の何やかやと照らし合わせて味わうということを(意識的には)しないらしいということだった。ハハーンと思った。

今書いていることに、作品の読み解き力(りょく)の可視化みたいな意図はないことをわかって欲しいのだけれど(そんなマウンティングの世界があったら、僕が耐えられません)、ただハハーンと、思った。

親友はひたすら「わからない」と言っていて面白かった。「誰一人として行動原理がわからない。共感できない」「もののけ姫はわかりやすかったのに」などと言っていた。親友は映画を前にするとふだん以上にタブララサになって「なぜ自分がこれを見なければいけないのか」のレベルで困惑することができる。その感じがなんか好きだ。本当に興味がないのが伝わってくる。背景美術にアルファベットのロゴが刻まれている意匠を見つけたとき「英語がある」と言っていて良かった。

お店で魚食いながら映画やアニメの話をしていたら、今からハリーポッターも見るか? という流れになった。ハリーポッターシリーズについてもKは原作小説からのファンで、僕も映画のファンでそれなりに詳しいのに対し、親友は一度も視聴したことがないようだった。僕やKのように子供時代からシリーズに触れてきた者は、オタク的に小粒の知識や思い出を語れるので何度視聴しても味がするけれど、親友(店に傘を置き忘れた)のような初見の大人がハリーポッターを見たら、どうなるのか。楽しめるのだろうか。

見た。『ハリー・ポッターと賢者の石』。

ぜんぜん楽しめなかった。親友は「いつ面白くなるの?」と言いながら途中で寝た。たしかに初見の気持ちで単体の映画として見ると、賢者の石はひどかった。ダンブルドアが「愛じゃよ」と言っていたが、『千と千尋の神隠し』で釜爺が言った「愛だ」に比べたら厚みがなさすぎた。

ダドリーがハリーポッターを肩で吹っ飛ばしたり、ネビルロングボトムが箒で暴走して骨が折れるシーンなどが物理すぎてなんだかめっちゃ笑ってしまった。そのときの僕は親友に「行動原理がわからない」と思われていたかも。

「トロールの鼻くそだ」がいつ見ても鼻水では?とか、ハーマイオニーの「よろしく」「ここよ」「なにこれ野蛮じゃない?」「あなたたちと付き合ってたら命を落としかねないわ。もっと悪ければ退学ね」などの吹き替え台詞がオモロイとか、終盤のチェスでロンの自己犠牲行為がどういうつもりだったのか不明(自分が乗っている騎馬の像が壊されて落下しただけでプロット的に戦闘不能扱いになったのが、謎)だとか、学年末のグリフィンドールの追加点発表のしかた性格悪いなど、それらにうけていた。

やっぱりハリーポッターを好きになるには、時間をかけて愛する必要があるな……。作品としてのつまらなさも受け入れて、視聴回数を積み重ねて、データベースに身を浸して、シリーズのオタクになっていかないと。

千と千尋の感想をKと話したときに「ハハーン」と感じた鑑賞のギャップを、今度は反対側の視点で実感した。僕は、ハリーポッターシリーズに関しては先ほどのKと同じく、インスピレーションの源としてウィザーディングワールドを愛しているだけだった。映画としての面白さを他人にプレゼンする自信はなかった。

でも一応、映画のほうは、回を追っていくほどに面白くはなっていくはず、という、弁護。『秘密の部屋』までは小道具と古き良きVFX技術で実現した児童文学の再現という趣が強いけれど、『アズカバンの囚人』は一転してがらっとオシャレになる。『不死鳥の騎士団』あたりからはエクスペリアームズとステューピファイなどの汎用呪文が直接的なエネルギー体の発出みたいに描かれるようになってきて、ハリーポッターといえばこれって感じのアクションスタイルができるので、視覚的に充実。僕は『死の秘宝Part1』が一番好きだ。姿あらわしが本格的に実装されたおかげで、世界各地を転々とするロードムービーのテイストを獲得している。髪をハサミで切ってたりしていて、良い。

終電を逃したので、朝まで親友の家で寝ることにした。親友は椅子で寝て、Kと僕がベッドに川の字?で横になって寝た。川の字って三本線が並んでいることだけが重要なのかな。それとも父と母と子の想定で、真ん中の線が短いことも含意しているのかな。

Kはあす、日本ダービーに行くらしかった。

オレンジジュースこぼした。