(非)世界

2024 - 08 - 30

エルは半分しかしらない

目覚めてスマホを見たら、すでにこの記事の下書きが作られていた。そこには「エルは半分しかしらない」とだけ書いてあった。夜中に一度目を醒まして、見た夢の内容を記録しようとしたのだと思う。でももうおぼえていない。

今日は、変な日だった。

新しい紙パックのコーヒーのプラスチックの蓋を開けたら、内蓋がひっついたままになってしまった。

テレビをつけても音が出なかった。キャスターが口だけ動かしていた。

パソコンを開くと、右下の時刻表示がおかしかった。日にちは昨日で、時刻も今ではない知らん時刻が表示されていた。

パートナーの家にいた。昼食を一緒に外で食べたいと思って、「お腹の調子どう?」と訊いたら「僕は冷蔵庫にあるぶどうだけでいいや」と言われた。昼飯がぶどうだけでいいって何? 仕事が忙しくてしっかり食べる余裕がないのかな? 不安になった僕は「今僕たち、ぎくしゃくしてない?」と言った。彼は「え? そう?」と笑った。僕が「ぶどうだけでいいの? 人って相場、朝昼晩と三食しっかりと摂るものじゃないの?」と言ったら、彼は「でも、今まで起きてから一食食べて、そのあとは夕ご飯を食べていなかったっけ」と言った。「あなたが?」と訊くと「僕らが」と言われた。考えてみると、確かにそうだった。我々はほとんど一日二食だった。でもそれは、今まで我々はほとんど午後から起きていたからだ。今日は二人とも早朝から起きていた。その場合、昼食の存在に関しては我々のあいだで認識に齟齬があったらしかった。

マクドナルドが食べたかったので、一緒にマクドナルドに行こう、と誘った。パートナーはいいよと言って、二人で外に出た。マクドナルドに向かう途中で彼が「新しい中華食堂ができたから、ちょっと見てみたい」と言い、そっちへ逸れた。二人で新しい中華食堂を見た。中華食堂の隣にあるつけ麺屋を見て、僕は「ここ、美味しいよね」と言った。そのあと彼が「松屋でうまトマってのがやってるらしくて、美味しいらしい」と言い、松屋も見に行った。しかし、うまトマはやっていなかった。ここでパートナーが「さてじゃあ、昼食の選択肢は3つ。マクドナルドか、中華食堂か、つけ麺屋か。トロヤくんの好きなところでいいですよ」と言った。僕は困惑した。マクドナルドに行こうと最初から言っていたのに、なぜ知らぬ間に3択にされているのか。そして、なぜ松屋は選択肢から外されているのか。マクドナルドに行くの、嫌なのかな? 僕は「マクドナルドにします」と言った。そして我々はマクドナルドへ向かった。

マクドナルドに入っても、席に着くまでなんかコミュニケーションがおかしい気がした。僕は不安になり「やっぱりぎくしゃくしてませんか? 会話が上手くいってなくないですか?」と訊いた。彼は「えー?」と笑った。どうやら彼の方はなんとも思っていないようだった。「マクドナルドに行きたいって言ったのになぜか3択にされておかしいと思った。本当はマクドナルドに行きたくなかったんじゃないの?」と訊くと、彼は「マクドナルドに行きたくないなんて思ってないですよ。3択にしたのはだって、トロヤくんが他の店でもいいねと言ったから」と答えた。そう言われて思い返すと、たしかに僕は中華食堂の前を通ったあたりで「全然、マクドナルドじゃない他の店でもいいですね」と言った気がする。言ったことを忘れていた……。

サムライマックを食べながら、彼と対話を重ねた。結局のところ、本当に僕だけが疑心暗鬼になっていたみたいで、彼はとくに怒ったり隠し事をしたりはしてないことがわかった。紐解いていくと、ただただ僕が自分の発言を忘れていたり、思っていることをちゃんと言っていないのだった。僕は「マクドナルドに行こう」とは言ったが「マクドナルドに行きたい」とは言わなかった。それゆえに、僕の中のマクドナルドに行きたさのレベルが彼の中では低めに見積もられていて、逆に僕がうわのそらで言った「他の店でもいいですね」の発言の効果が優位だった。だから昼食先が3択に分岐したのだ。(松屋が選択肢から除かれた理由は今もよくわからないけど……うまトマが無かったから?)。

朝に立て続けに変な出来事が続いたせいもあり、世界全体が不自然な感じと思っていた。だから、ちょっとしたすれ違いが脳内で陰謀論的に増幅され、記憶も改竄され、二人の関係がぎくしゃくしているように勘違いしてしまったようだ。なんてザルな認知能力だ。僕は自分に呆れた。彼は「台風が近づいてるせいかもね」と言った。

第12回めがね供養会が行われるのも、一瞬「ん?」と思ってしまった。でも、めがねを大切に思う人たちが実際にいるだけだ。

変な一日だった。

今日は幸いパートナーと話ができたから、おかしくなった認知をフィックスしてもらえた。もしこういったずれが修正されないまま積み重なると、いよいよ思考回路の飛躍に歯止めがかからなくなって、陰謀論やスピリチュアルに傾倒したり、犯罪に走ったりするかもしれない。コーヒーの蓋がうまく開かず、テレビから音が出ず、パソコンの時刻がずれるだけで、世界に騙されているかのような気分になるのだ。

書いてたら、なんだか怖くなってきた。今日観た映画の話をします。とんでもなく良い作品だった。

コーエン兄弟監督の『ノーカントリー』を観た。テキサスで大金を拾った主人公と、それを追う殺人鬼、さらにそれを追うベテラン保安官の話。素晴らしい映画だった。観たあと、しばらく考え込んでしまった。サスペンス劇なのに、何も交わらず、互いに理解不能な者たちがそれぞれの暗闇に沈んで、終わっていく。カバンをダクトの奥に滑らせてそこに埃の跡がつく感じとか、錠の外された金属の鍵穴の縁に室内の様子が反射する感じとか、傷口を盗んだ薬品で時間をかけて消毒する感じなど、物質感の際立った豊かな世界が描かれているのに、人間たちはふわふわしていて、内側を見据えてただ困っている。演技がすごい。顔もすごい。カメラもすごい。セリフも密度がある。

本当に良い映画だ。視聴後、余震のように「ノーカントリー……ノーカントリー……!」と呟いた。今もそんな気持ちだ。ノーカントリー……。明確に決めてるわけではないけど、ランキングの上位に食い込んでる。僕の好きな映画の。僕はコーエン兄弟監督の『ノーカントリー』にハッとしたのだ。

BGMの無い映画だった。だから、雨の日の室内の空気に馴染んだ。そのことが今日発生した道理のなかで一番揺るぎなかった。それ以外は全体におぼつかない、変な一日だった。