PERFECT PEACH

2025 - 07 - 14

桃として生まれてきたのに、マンゴーみたいに剥いてやった。桃もびっくりしただろうな。

オートミールに投入し、シナモンかけて出来上がり。お前らも作ってアラモード。

19時に起きた。眠りに就いたの6時くらいだったはずなので、たくさん寝た。

日記、書こうとしても手が止まってしまう。一行書くたびにスマホ投げてしまう。スマホに触れるのがそもそも億劫になった。PCはなおのこと厳しい。

ボタンひとつ掛け違えるだけで何もかも立ち行かなくなる。さっき、立ち上がったけどやれることが何もなくて、寝そべり直してしまった。苦しい。作業できなかった。

散歩はした。夜半だったので、慎重におこなった。夜の川沿いは、人の声が前から聞こえてんだが後ろから聞こえてんだかよくわからなかった。

Outer Wildsを(おそらく)クリアした。素晴らしかった。ちょっと良すぎかもしれません……DLCもやろう。

今敏監督のPERFECT BLUEを見た。ちょっと前に劇場でリバイバル上映されたとかで流行ってた気がする。

同一性のテーマを映画で描くとき、カットのつなぎかたとかでそのもつれを表現するのはよく見る。でもPERFECT BLUEの最後のほうでは、キャラクター間の作画のレベルで掻乱が起きていて、それが良いなって思った。

アニメーションなら、顔かたちの異なる別人のあいだを作画で連続的に行き来することもできるわけか。実写だとたとえば、ファイトクラブはブラッドピットとエドワードノートンという異なる二人の俳優が同一人物として表現されていたけれど、その”中間の顔”は撮れないものね。

自分もしょっちゅうこの姿勢とってるから共感した。別にそのあと窓ガラスに映る自分の顔を見て「私って…」となるわけではないけれど、この体勢は本当に僕のテーマみたいなものなので共感した。僕は常に何かにもたれかかっている。腰だけで上体を支えられないんだよな。

朝のこれ、PERFECT BLUEかも。

同一性といえば、量子。量子コンピュータの動画を見て面白かったし、Outer Wildsも面白かった。前の大学の一年生のときにおそらく必修単位で量子力学の授業があったと思うけれど、早々に行かなくなってしまったから何もわからない。

粒子は観測されるまで確率分布的な不定状態で存在している、ということの驚きそのものは、つついてももう面白みは出てこないらしい。その神秘はさっさと前提として受け入れて、そのうえでどんな面白い計算や創作に繋げられるかを見る必要があるのだと思う。そういう年頃なのだと思う。今になってようやく、量子力学を学びたい動機が固まってきた。7年前にこれを思っていれば。

人生の閑散期などあったら、数学、物理学、哲学、文学、美学、語学あたり、およびその周辺領域……をひととおり学習したい。研究をしたいわけじゃない。探究心はさほどない。ただ先人が刻んだ轍を見ていきたいだけ。ミーハー的な興味を、気持ちよさが続くところまで深掘りしたい。前も同じこと書いた気がするけれど、旅のラゴスとか海辺のカフカで描かれていた、なんか図書館的な場所に籠ってひたすら本を読み続ける時期に対する、無邪気な憧れがあるんだ。

パートナーはニューヨーク留学中に一年間、図書館に通い続けて開館から閉館まで本を読み続けていたと聞いた。もちろん必要な勉強のためだからすごく大変な努力の期間だったのだろうけれど、羨ましいなとも思う。

僕の生業に置き換えてみると、朝から晩までゲーム開発作業をするということか。アアアアア。やっぱりだめだ。ちょっと噛み合ってない。ゲーム開発作業は楽しい。楽しいのは間違いないけれど、性質的に僕にフィットした営みではないとつくづく感じる。知的なワークすぎて。頭と手がすぐに止まってしまう。

泣き言を書いてしまったな。あ、日記なんだからいくらでもぼやいていいのか。あぶないあぶない。危うく公共を内面化して自らつまんなくなるところだった。ネット上で、ましてやレンタルしたサーバー上で、極めて貧弱な個人的な愚痴をこぼすことは、なんにも悪いことじゃないんだよ。そこから何か悪さを読み取る者がいたとしたら、そいつこそインターネットに毒されている。

僕は生きている!

家の近くにコワーキングスペースがあるから、明日はそこを訪ねてみようと思う。何か変わるかも。

問題は、いま5時55分でこれから寝るから、起きたときにはもう閉店時間を過ぎてる可能性が高いということだ。これどうするんですか。