8時におはよう。12時におはよう。14時におはよう。三度寝。コワーキングスペースに移動した。作業を始めた。
17時ごろに妙な番号から電話がかかってきた。出たら、かかりつけの歯医者だった。「トロヤです。こんにちは」「こんにちは」互いに沈黙。「今日、で、した、か」「はい。16時半から」
今日、歯茎手術の日だった。大変申し訳ありませんと言った。
忘れてた。いや、忘れていたというか、リマインダーに入ってなくて。今日あると思っていなかった。リマインダーにつけるのを忘れていたのか……。アアン。電話先の先生の声からも、呆れている感じが伝わってきた。歯科でやらかすの何度目だ。手術は延期になった。大事な治療だったのに、患者が手術すっぽかすことある。営業妨害みたいなものだな……。

悩みながら昨日の描写の続きをやった。あとは部分ごとのアニメーションやエフェクトをつければかっこよくなるだろう。後回しにしてちょっとプログラミングを進めた。
絵を描くと2倍のストレスがかかるようで、4時間ほどしか作業できなかったけれど帰った。今日の悩みかたはなんとなく覚えた。今後描写で手が止まったときは、今日の手つきを思い出しながら進められると思う。描くのがつらいなら、真正面から描くのを避ける。すべての要素に意図を含める必要はない。というか、ほとんど意図を含める必要はない。
昨日相撲の一場所で行われる試合数を計算したけれど、力士数の下限も気になってきたな。力士が少なすぎると、15日間ぶん被りないマッチメイクができない。幕下力士数をM、幕内・十両力士数をNとすると、一場所で行われる試合数はそれぞれ(15/2)×Mと(15/2)×N。これらの下限を調べる。
単純にM人で行われるリーグ戦の試合数を数えると、(1/2)×M(M-1)試合。これが一場所の試合数(15/2)×M以上であればよい? 計算したらM≧16だった。

ちゃんと15日間執り行えるのかわからなくて、M=16のときのスケジュールを書いて確認した。できる。一人につき15試合する幕内・十両の場合は、力士の数の下限は16だ。
↓↓↓ここから勘違い↓↓↓
幕下の場合がよくわからない……幕下は一人につき7試合しかしない。当たらない組み合わせが増えてスケジュール表に余白ができることになる。けれど↑の不等式の考えは同じだから、M≧16であることは間違いない。だから、すかすかでも力士の数を16人未満に絞ることはできない。えー、なんか14人とかでいけないんですか?

14名で挑戦してみたが、戦う相手がいなくなる力士が現れてしまうようで、だめだった。でもこのだめな理由をうまく説明できない。幕下以下と幕内・十両、試合回数は異なるのにどちらも同じ16名が下限になるのが不思議に感じた。

ん。16名の場合でもうまくスケジュールを組めなかった。幕下はもしかして、下限16じゃないかも。等号成立の条件を見つけられない。もっと人数が必要なのか? となると何人だ。アアア考えかたがわからない。あ、ちげー。これミスです。各7試合と言っても、15日間期間があるのか。

16名ならこれで成立す、
アルルォ?
↑↑↑ここまで勘違い↑↑↑

こうでいいじゃん。幕下の下限は16名じゃない。8名だ。不等式が違った。というか、昨日の日記を読み間違えていた。幕下の試合数は(15/2)×Mじゃなくて(7/2)×Mだったじゃん!
誤った前提に基づいてずっと悩んでいた。こんなだから歯医者の予約忘れるんだよ。入試でこのようなヘマをしていたらと思うと恐ろしい。もう相撲はこりごりだ。
永井均『転校生とブラックジャック』を読んでいる。難しい。けどウィトゲンシュタインの理解がさらに深まっていく感じがしてうれしい。
『ダレカレ』というゲームが素晴らしいらしいことを知ったのでやろう。久しぶりにタイムラインを見た。最近めっきりタイムラインを見ることが減って、人々が何の話題をしているのかわからなくなった。今は「ドーパミン中毒のガキ」と「ゲイリーにありがとうと言って」が流行っているようだった。意味がわからない。意味がわからないものが流行っているの、面白い。
Misskeyだっけ? 与謝野晶子のスタンプを押すのが流行っていたのを急に思い出した。
Xを開くとひたすらに孤独を感じる。教室の隅の席から、盛り上がっているクラスメイトたちを眺めているような気分。
個別的に親密な人はいるけれど、タイムラインを支配するいくつかの界隈らしきもの(それらは交差していたりしていなかったりする)には上手く参加できない。わっせわっせとお神輿担いでる集団の端っこで、僕も雰囲気に合わせてわっせわっせと声は上げてるけど、神輿がどこにあるのかいまいちよく見えていない。そわそわと心許ない感じをおぼえる。
独り言をなんとなくソーシャルな場でつぶやけるプラットフォームという原初のコンセプトは素敵だと思う。一方、なぜわざわざ他人の独り言に曝露しないといけないのかという変さが、最近は気になる。僕も独り言を聞いてほしいという気持ちはめちゃくちゃあると思うんだけれど、独り言を聞いてもらうためには、差し出さなければならない何かがある。その対価の要請との向き合いかたがわからなくなった。
逆に言えば、孤独を噛み締めたいときにはSNSはちょうどいい。孤独は人を強くするという常套句には、おおむね同意する。