1000倍オーガズムボタン

2025 - 08 - 05

ちいかわの新巻を買った。読んでみたら、様子がおかしかった。ちいかわの作画がどうみても不安定で、読み進めるとどんどん下手になっていくのだ。途中、なぜかちいかわが大きく描かれただけのページがあった。そのちいかわは、二つの目のうち片方だけがやけにボソボソしていた。印刷されたものに見えなかった。指でなぞってみると感触があった。ページをめくったら、そこにはボタンあった。ボソボソしたちいかわの片目は、裏側に縫いつけられたボタンを留めるための黒い縫い糸の集まりでできていた。

昨日の日記を書いたあとも引き続き眠れなくて、CITY THE ANIMATION見たりゲームしたりして、14時くらいにようやく眠りに落ちた。

それで↑の夢を見て、起きたら23時半で、炒飯の残りを食べていたら残念ながら今日は終わってしまった。

一見するとやくざな生活リズムになってしまったようだけれど、昨日の昼頃に寝たときには、今みたいな時間に起きることを期待していた。それで、朝8時まで夜を明かして、作業場に開館から張りつこうという計画だった。昨日は失敗したけど、今日はまさに夜半に起きれた。しかも、たっぷりと睡眠時間が取れたので、コンディションも悪くない。ちいかわの悪夢も見たし。一日遅れで理想のサイクルに持ってこられた。

0:15。作業場が開くまでの今から8時間、ゆっくり過ごす。体力を残しつつゆっくり過ごさないと。ゲームはしないようにする。目が疲れそうだから。瞑想して、本でも読むか。

4:53。永井均『転校生とブラック・ジャック』を読み終わった。疲れた〜。今まで読んだ永井均のなかで一番難しかった。わからないところはふかしながら読んだ。『はじめてのウィトゲンシュタイン』をこの前読んだおかげで何を言ってるのか理解できた節があって、嬉しかった。

この本で議題になった火星転送装置の思考実験に関連して、五億年ボタンと亜人のことを思い出した。

火星転送装置では、地球にいる自分の身体や記憶のデータが読み取られ、それが火星に送信される。火星で、そのデータに基づいた完全な複製体が生成される。データ解析後、地球に残された自分は、余命数日とかだっけ? で死ぬことが通知される。というものだった。

まず、五億年ボタンを押すか押さないかで言うと、押さないと思う。押す前の時点の〈私〉は、押したあとに分岐する二つの私のどちらかのみ経験するということはなく、どちらも経験することになると言えるから。必然的に五億年一人ぼっちの時間を過ごすことになる。

でも、『亜人』の佐藤が厳戒態勢のビルに潜入するために使ったワープも同時に思い出す。あれも火星転送装置や五億年ボタンと同じ問題を扱う思考実験として考えられる。

不死の亜人・佐藤は、自分の手首を切り落として、それをジップロックに入れてビルに郵送する。折を見て佐藤は、工場の機械スクラップかなんかに飛び込んで自殺する。『亜人』においては、不死身の亜人はたとえ身体が粉々になろうとも再生する。この再生のとき、もっとも体積の大きいパーツを中心に身体が再構成されるという設定がある。これを利用して、佐藤は自分の片手以外を粉微塵にすることで、ビル側のほうで生き返る。実質、ワープしたことになる。

これは五億年ボタンの、分岐して苦痛を受けるほうの〈私〉の持続を、限りなく小さくしたパターンと見做せるかもしれない。主人公の永井は、佐藤がこのワープをおこなったことを聞いたとき「”お前”は死んだんだぞ……」みたいなことを言って佐藤に対してドン引きした。それに対して佐藤は「一回やれば慣れるよ」と返した。

「五億年ボタンをあなたは押しますか?」みたいに「こんなワープをあなたはしますか?」という問いかけがあったとしたら、僕は五億年ボタンは押さないけれど、こんなワープは「する」と答えるかもしれない。いや手首を切り落とすとかはやるわけないが。そういう具体的な工程は無視して、端的に自分が瞬時に死んで、そして瞬時に再構成されるなら、やっていいのかも。無限小の時間の断絶は、普段何気なしに生きていることと同じだから。

もちろん、重要なのは問いによって浮き彫りにされる哲学的問題のほうで、実際にやるかやらないかみたいなのはくだらないのだけれど、分岐後の処遇の苦痛の如何が個人的に気になった。『転校生とブラック・ジャック』はそういう議論をする本じゃなかったが。もっと根源的な問題提起だった。むずかった。

五億年ボタンって、分岐して最終的に抹消されるほうの〈私〉が五億年間ひとりぼっちという苦痛を被る設定になっているけれど、同一性の議論をするならそこは逆に要らないんじゃないかと思った。例えば

ここに押すと100万円が出るボタンがある。ただし、これを押したあなたはただちに特殊空間に転送され、そこでオーガズムの1000倍の快感を持続的に感じ続けることになる。それから少ししたあと、あなたはボタンを押した瞬間の、押した場所に戻される。

そして、オーガズムの1000倍の快楽を享受していた時間のあなたの記憶は完全に抹消され、100万円を受け取るあなたはボタンを押したけど何も起こらなかったように錯覚するのである。

こういうボタン。これで十分考えごたえがあるんじゃないかな。少なくとも「あなたは押す? 押さない?」みたいな問いに堕するのは防げそう。

さらに言うと、メリットの質の多寡の問題になるのを避けるために、もっと純化させてもいいのかも。こんなふうに……

このボタンを押すと、あなたはオーガズムの1000倍の快楽を一定時間感じたあとに、その記憶を消されて元の時空に戻される。そしてボタンを押した報酬として、「その場でオーガズムの1000倍の快楽を受ける」ことになる。

うーん……こうなってくるとメリットの具体的な設定自体が本質的な課題になってくるかも? 現実でオーガズムの1000倍の快楽を受けるわけにはいかない(記憶が残るので、その後が地獄)。100万円を貰うのとは違って、想定の幸福として着地点がない。

そうか。ボタンを押すのって、分岐後の二つの経験を等価にすることができないんだ。抹消予定の精神空間で100万円を貰っても仕方がないし、現実空間で特級オーガズムを食らっても仕方がない。並べて評価できる二つの結果を設定できない。幸福や快楽の評価には、持続の条件がセットなのか。

ある意味、思考実験としては(エンタメ的な)程度問題として扱われる余地が残ってしまうことは、避けられないのかも。

作業場まだ開かないなぁ。