8時に起きて10時に起きて12時に起きて作業場に行った。作業場では、隣の席の人が高頻度で舌打ちをしていた。
パイロット版としてのゲームループを作るため、ライフみたいなやつを実装した。
机についてもウンウン動けなくて、2時間も作業できなかった。でもいい。作業場に来れた時点で、僕の一日は加点方式で計上されることになっている。
帰宅したら、ちょいとばかしSEKIROをやって、それから今読んでる本のうちどれかを集中的に読みたいな。読みさしが溜まっていてムズムズする。読み始めてから半年以上経ってる『フェルマーの最終定理』に、とどめを刺すか。もう読む気を失いかけているのだけれど、放ったらかしにするよりは読み終えたい気持ちがある。それができたらいい一日になる気がする。
帰った。SEKIROで毒沼みたいなところの敵を倒した。そしてフェルマーを読んだ。でも全然読み終わらなかった。分厚いっす。英国の暗号解読班は、ドイツ軍の暗号通信を解読する手がかりを得るため、ドイツの港に機雷を敷設させたという話が面白かった(これにより、その日ドイツ軍から傍受できる通信の暗号文のなかには”機雷””避ける””海図参照”などの単語が含まれることが期待できるので、それを手がかりに暗号規則を推測できる)。
ゲーデルの仕事はラッセルの『プリンキピア・マテマティカ』を標的にするかたちで、数学の公理体系の不完全性を表明したことを知った。ドラマティックな言いかたをすれば、ゲーデルはラッセルの夢を打ち砕いたのだ。
ゲーデルとウィトゲンシュタインって結構時期近かったんだな。ウィトゲンシュタインはラッセルの弟子で、彼の哲学を引き継いでいったけれど、最終的に天才すぎて、恩師ラッセルの理解を超えていってしまった。ラッセルは、歳下のウィトゲンシュタインとゲーデルそれぞれに打ちのめされて、災難だな。
ゲーデルとウィトゲンシュタインって色々と似ている気がする。生涯の苦労とか、困難な性格もそうだし、成し遂げた仕事も、ゲーデルは不完全性定理で、ウィトゲンシュタインは「語りえないものについては沈黙せねばならない」で、各々の領域の限界を突きつけているところが似ている。
『フェルマーの最終定理』は読むのちょっとつらい。「長らく不明だったこの定理を、ある数学者がついに証明した。この発見により、数学界にはこのような激震が走った」という語りかたが続いていくのだけれども、個人的に「このような激震が走った」の部分が興味ない……大河ドラマみたいな余計さを感じる。
とある弟子が無理数の存在を主張したとき、ピュタゴラスはそれを信じられず彼を死刑にしたとか、面白いけれど、科学読み物がそのような個別エピソードを連ねてものごとをドラマ仕立てに語っていくのは、結果として科学の本質的な面白さを損なってしまうように思う。昨日も似たようなこと書かなかった。
その観点で言えば、結城浩『数学ガール』の数学読み物としての面白さって最高だと思う。中高生が手に取りやすいあの感じで、ちゃんと計算しながら深みまで連れて行ってもらえる。とても好きだ。人間ドラマよりも途中式の方が断然興味ある。
ベジエ曲線の仕組み見て面白かった。こういうコンテンツもすごい。すごくありがたい。3Blue1Brownの日本語訳チームの関係者の方がやっていると思われるYouTubeチャンネル。
「大河ドラマみたいな余計さ」って書いたけれど、大河ドラマは実際のところ一定層に人気なわけだし、『フェルマーの最終定理』はその層に訴求した本なんだろうな。この本の存在が、世界にとってありがたかったことは間違いない。
サイモン・シンのような、専門的な科学を一般向けに書く職業をサイエンスジャーナリストと呼ぶらしくて、欧米では彼らによる著書が書店の一角を占めるくらい人気のジャンルらしい。僕のような、科学は好きだけど専門書を読んだり自分で研究するのはだるいから、先人がすでに拓いた知見の面白い部分だけチューチュー吸いたい読者にとっては、足を向けて寝られない存在かも。『銃・病原菌・鉄』とか『ソフィーの世界』とか『サピエンス全史』とか? 『利己的な遺伝子』『ゲーデル、エッシャー、バッハ』あたりはどういう扱いなんだろう? きっと、サイエンスジャーナリズム本にも扱う専門性の程度にはグラデーションがあって、それぞれターゲット層が異なる。『フェルマーの最終定理』は大河。でも気になるから続きも読む。

『ガンバの冒険』背景画かっこいいなあ。1975年のアニメってことは、このころはフェルマーの最終定理は証明されていなかったんだなあ。
1時。横になる。
日記とは別に、ゲームの進捗状況のみをまとめる月報のようなものを書きたいと思う。ゲーム単位での経過を振り返れるといいかなと思うし、月報くらいなら英語でも書けるから、海外へのアピールになる。今のままでは8月の進捗はカッスカスになってしまうから、下旬の働きに期待。盛り返していきたい。盛り返せなかったら月報なんて書かぬ。
そういえば、昨晩も祖母の夢を見たな。祖母と一緒に乗った車で、逆走車と正面衝突した。祖母が本当によく夢に出てくる。自分は祖母によって育てられた。愛されて毒された。今は家を出てのびのび暮らしているが、一緒に住んでいたあいだに積み上げられた分の負債は無意識領域にまだ残っているのか、寝てるまに処理されているらしい。ささ。