まね・ぶ 【学ぶ】

2024 - 09 - 06

夏休みが明けた。朝起きて、学校に行った。3年生後期、初日の授業。学校、遠い。色々と思い出した。学校のある日は、行き帰りだけで体力がなくなってしまうのだった。でももっと遠いところから通っている人もいる。

守衛さんに曖昧な会釈をしてキャンパスに入り、入ってすぐ右手の建物に直行する。僕の所属する学科の棟は、入り口からもっとも近い場所にある。3年生になってラボに配属されたが、一般教養などは取り終わったので、受ける授業がラボのものだけになった。だからもはや、たった一つの棟の、一つの教室(ラボの使う教室)しか利用していない。図書館も真隣に建っている。図書館以外の施設は、特に使う用事がない。そういうわけで、充実した広大なキャンパスの中、僕の行動範囲はものすごく狭いエリアで完結している。思い出した。僕の大学生活はこのような感じだった。

さらにその唯一の教室のなかでも、みんなそれぞれ座る椅子がなんとなく固定化されている。決められているわけではないが、自然とそうなった。来年度も同じラボで卒業制作をするだけだから、僕は2年間にわたって、たった一つの建物の中のたった一つの教室の、たった一つの椅子だけを利用することになりそうだった。別にいいけど。たまにキャンパス内を散歩している。

クラフトボスコーヒーってこんなくびれてたか? 前までもっと寸胴だった気が。

今日の授業は、日常の中で無理なく継続できる制作のあり方を模索しよう、みたいなワークショップだった。

ラボの先生は夏休みの間に、3Dプリンターを使ってオリジナルのおもちゃの光線銃を作っていた。武器を欲しがる息子のために作ったらしい。実物を触らせてもらった。トリガーを引くと、先端が光り、バキュンと音が鳴った。ラズベリーパイ(小さいコンピュータ)が内蔵されていて、インタラクティブな作りになっているのだ。側面には3つのつまみが付いていた。それらを捻ると、これまた側面に付いている極小ディスプレイ上で、RGBの値の表示がそれぞれ変化した。その値に応じて、射撃時の光の色が変わった。

すこし泣きそうになってしまった。先生は、子供を喜ばすためにこんな面白いものを作ってあげられる父なのだ。

身近な人を喜ばせるために、僕のできるものづくりをしてみたい。本には、よく頭に「この書を、我が愛する〇〇に捧ぐ」とか書いてある。僕は自分の作ったものを、誰かに捧げたことがない。誰かのための創作。捧げると言っても、あくまで自分の生きがいの延長線上でそれをやる。先生も、息子のためだけを思って作ったわけじゃないと思う。光線銃づくりみたいな立体造形や電子工作が自分自身好きで楽しいから、というモチベーションもあったはずだ。「愛する〇〇」に捧げられた本だって、値段がつけられて大量に刷られ、大衆に向けて販売されている。そういうのでいい。僕もそれをやりたい。自分の楽しい創作に、一滴「誰かのため」を付け加えてみたい。

なんでそう思ったんだろう? 僕は人に喜んでもらうのが好き、とかあったか? あまりその自覚はない。むしろ人に物をあげることについては、どっちかというと苦手……というか、あげるという発想が浮かばないことが多い。イベント会場とかで、飲み物の差し入れとかしてくれる方とかがいると、自分にこういう気の利いたことはできないなぁと思う。

記念日とかでない普通の日に、パートナーにバラの花をあげたことがある。でもそれは、彼に喜んでほしいと思ってあげたわけではなかった。なんとなく「人に花を贈る」というやつをやってみたくなっただけだ。自己満足だった。選んだ花が「バラ」ってところに皮相的な感じが滲み出てる。「花を贈る」という人間的な行為の真似事をしただけな感じがする。それ以来花はあげてないし(そもそも買うという発想にならなくて)。なんだか、後ろめたい気持ちがある。

僕は本当に純粋な気持ちから人に何かを贈りたいって思ったことが、ない気がする。いわんや、自分の創作物を捧げるなど。そういうところで、僕はひとりよがりな性格かもしれない。人からはたくさんの物をもらっておきながら。失礼千万……。

ただ、人のために何かを作って贈ることの美しさや、受け取ることの喜びは知っている。

知り合いの方が、『デンパトウ』のファンアートを描いてくれたことがあった。これを見たときは、強い感慨とありがとうの気持ちをおぼえた。

先生が作った光線銃を見て、涙が出そうになったのだ。このとき胸に湧いた気持ちは、なにか使いものになりそうな予感がする。ロボットが「コレガ……ココロ?」と学習している段階みたいだな。「人に俺の創作物を贈りたい」と今の自分が考えても、上っ面で空虚だ。まだ「『人に俺の創作物を贈る』をやってみたい」という興味の段階だ。まあ当面それはそれでいいとして、やってみたいな~。

また花も贈ってみようと思う。次はキキョウにしようと考えている。いま遊んでるゲームで出てきて、いいなと思ったから。花の知識が乏しいので、キキョウが花屋さんとかに行けば即座に入手できるものなのかわかんないけど。

家に帰ったらすでに体力が尽きていて、めまいがした。「おかえり」と祖母がこっちに来た。祖母の頭の位置が、やけに下にあるように感じた。「おばあちゃんってそんなに小さかったっけ?」と訊くと「認知症の講習会のために暑いなか出かけたから、疲れて縮んでんのよ」と言った。なんだそれと思いつつ、メジャーを伸ばして壁に這わせ、祖母に立ってもらって身長を測ってみると、だいたい154cmだった。平常時と同じだった。べつに縮んでいなかった。気のせいか? でも、どうしても祖母を見下ろすときの自分の首の角度に違和感があった。祖母は「あんたの背がここにきて伸びたのよ」とさっきと違うことを言った。ほーん、と思った。めまいが強くなってきたので、寝ることにした。

寝る前に友達から「お前、喪服ある?」とLINEが来た。彼の友人が亡くなったらしい。僕と同年代の人が死んだと思うと、すこし怖くなった。一体何があったのかとか、友達の精神状態が気になったけど、友達には「気を遣うな」と言われたし、亡くなった人は僕とは関係のない人なので、詳しいことは聞かなかった。