無矛盾な社会存在
南米の夕暮れ。赤土の広場で、裸足の少年たちがサッカーをしている。小規模なアフロっぽい髪型の16歳くらいの青年が、顔に垂れる汗を、シャツの裾を持ち上げて拭く。そのたびに、彼の浅黒くしなやかな腹筋がのぞく。僕の祖父は、それを見て「美しいのう」と言った。
という夢を見て起きた。僕は祖父の顔を知らない。母方も父方も会ったことない。母方の祖父は亡くなっているらしい。父方の祖父は生まれる前から離婚して無縁の人になっていた。夢に出てきた祖父は、どっちだったんだ。

サッカーをする子どもたちのことは、動画編集ソフトのAdobe Premiere Proを使うときによく考える。ソフトを立ち上げたときに、サンプル素材として南米?でサッカーをする子どもたちの様子をおさめた動画が表示されるのだ。彼らは、自分たちがAdobe Premiere Proのサンプルにされていることを知っているのだろうか。
朝ごはん、食べるか。
起き上がろうとしたら、スマホがベッドと壁の隙間に落ちたああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ今日辞めさせてもらいます。
上からは指を挟む隙間もなかった。状況を見ようとしても、見えない。頭を縦にすると頭頂部から目までの距離のせいで溝が見えないし、横にしても頭の側端から目までの距離が溝を見られなくしていた。目は、顔の端っこにはないのだ。
上からだと状況がわからないので、ベッドの側面から見るしかないが、そこも棚で囲まれて頭1~2個分くらいの空間しかなかった。わずかな隙間に頭をねじ込むようにして、状況を確認した。

いくつかの雑魚ティッシュの向こうに、スマホが落ちているのが見えた。腕を伸ばしても届かない位置だ。何か棒状の物を使って引き寄せるしかない。
あたりを見回すと、おあつらえ向きに棒状の何かが床にあった。この棒状の何かが何なのかは、わからなかった。ダンボール質だがやけに硬い。くの字に折れ曲がっている。正体は分からないけど、今日のこの時のために部屋の床に置いてあったのだ。それの端っこをつまみ、スマホを救出しに腕を突っ込んだ。

かろうじて棒の先端がスマホに届く。引き寄せようとするけど、滑って上手くいかない。肩甲骨をありえない形にして腕を突っ込んでいるので、肩がどんどんしびれてくる。頭に血がのぼってくる。おかげで目が覚めた。
スマホは少しずつこちらへ来てくれて、何とか救出できた。汗だくだった。朝からすごい物理的な体験をさせられた。楽しかった。
今日は、その後、とくに何もしなかった。体調悪かったです。終わり。
あ、ビジネス衣料品店の前を通りがかったとき、ぴっちりとしたビジネススーツを着込んだモデルの広告を見た。僕は「この人は、スーツを着るのが仕事なのだ」と思った。一般にスーツは、それを身につけた人が仕事をしていることを表す。「今私は、仕事をしている」という主張を示すために、スーツを着るのだ。
スーツモデルは、スーツを着た瞬間に「スーツを着る」という仕事が開始し、同時にスーツを着ていることによる主張(今私は、仕事をしている)も達成される。彼がスーツを脱いだ瞬間、仕事は終了し、同時に主張の束縛も解かれる。仕事をしているのにスーツを着ていなかったり、仕事をしていないのにスーツを着ているなどといった状況になることが無い。スーツモデルは、もっとも矛盾の無い完璧な社会存在なのだ。
くだらないな……。終わり。