13時に起きて洗濯物を干した。今までパートナーがやってくれていた。これからは自分もやるようにする。
再び寝て、16時に起きた。今日もぼんやりとソファの上で固まっていた。ここ三日くらい同じ動きをしている。時間が進むのが早い。
明日は映画館でレゼ篇を見つつ、デスク椅子を見に行く。家で作業するための椅子がないから。今までは自宅でPCを触るときは、ウゴウゴできるからという理由でバランスボールの上に座ってた。半年くらいこれでやってきてわかったけれど、やっぱバランスボールは違うな。気づくのに半年かかりました。
虚無的な三日間を過ごしたためか、体調はゆるやかに悪化してる。気分が塞いでいる。線積分の練習問題解いた。
この三日間にあったことで確かなことといえば、『FEZ』の進捗くらいだ。エンディングに到達した。良かった。でもまだこのゲームの本領は残されている気がする。謎解き要素が散らばっているのを回収していこうかな。
お友達が今度会いましょうよ〜って誘ってくれた。日記書いてて思うけれど、なんか僕、意外と友達多くない? コミュニティ的なものとは距離を置いて生活しているのに、誘ってくれる人はいて、色んな方が個別で親しくしてくれる。僕のことに興味を持って会いに来てくれる人がいるのって、なかなか恵まれたことだ。
誘ってくれたものの、実際会って話してみたら「こいつ合わないな…」って思わせてしまった人もいただろうなと思う。そのような人間関係上のミスマッチは仕方のないことというか、特段不健全なことではないのだけれど。ただ、話していて自分が何かしら、相手の期待してたような人間ではなかったことが露呈したな、と思う瞬間が時々ある気がする。そんなとき、勝手に申し訳ない気持ちになる。
でも、自分はそう感じた人が意外にものちにふたたび「会いましょ」って誘ってくれたりもするから驚く。思ってるより、人々の親睦の深め合いってラフにおこなわれてる?
僕は何といっても性格が散らばっているから、他人とある面で意気投合できても、しばらくすると冷めていたりする。好きなものとかも多岐に渡っていて、うまく何かに全体重を預けられなくて、て、て、て、て、て、て、そんななのでコミュニティというものに、に、に、に、表層的にしか関われなかったりする。フ、フ、フルコミットできない。
よく「子供の頃は公園ではしゃぎ回ったり冒険したりして色んな面白さを発見していたのに、大人になると人は『遊ぶ』といえば食べながら話すことだけになってしまう(それが貧しい)」みたいな言説を見かける。どうなんだろう。僕としては、人と話すことってなかなか面白い部類だけどな。カラオケボックスとか行くと、場のつまらなさに呆れる。歌ってる暇があったら何か突飛な話をしようよ。せっかく密室に集まっているんだから。
四人以上とか、大人数の場は苦手だ。思ってないことばかり口に出してしまう。そうなるくらいなら、ボードゲームをするほうが楽しいね。あとは山登り……?
すごい適当に書いてる。睡眠薬入ってるので、うつらうつらしながら書いてる。
単独行動の豊かさを思い出す。結局そうなんだよ。一人の面白さといったらない。京都で一人暮らししてた時期は、一人で色々なところに足を運んだ。貴船神社とか。宮島とか。琵琶湖とか。近場では馴染みのパン屋や書店やフードコートにしょっちゅう行った。家で本読んで、あとは一人歩き回る生活。とてもクオリティが高かった。
一人行動の機運を高めつつ、寝落ち。