世界の限りない細かさ

2025 - 10 - 07

13時に起きた。

Cosenseのアカウントを消した。思ったよりはまらなくて、何も書かなくなっていたから。

個人的にナレッジ管理ツールで、iPhoneのメモ帳にまさるものはないかも。読んだ本とか変なニュースの記事とか行きたい場所とか、色々メモしてる。

鋼の錬金術師を読んだことのない自分が鋼の錬金術師について知っていることを洗い出したメモとかもある。

自宅での作業環境を良くするため、実家にあるモニターを取りに行くことにした。モニターを運ぶのに必要なキャリーケースを持って家を出た。外は涼しかった。

バス停でバスを待っていたら、小さいおばあさんが、足を振るわせながら今にも倒れそうなバランスで僕が座っているのと同じベンチに近づいてきた。おばあさんは転倒間近といった具合で、何か支えを欲するように右手を差し出していた。僕は咄嗟に、自分の前に抱えていたキャリーケースを転がして、おばあさんが手を置ける位置に置いた。おばあさんは手を僕のキャリーケースに置いた。その瞬間「ごろっ」とキャリーケースが動き、おばあさんは体勢を崩した。

僕はやべっと思っておばあさんの手を自分の手で支えた。最初からそうすべきだった。キャリーケースは中身が空だったから、おばあさんの体重で容易に滑ってしまったのだ。物理って難しい。その後バスが来たので、僕はおばあさんが列を動くあいだ自分の手を握ってもらい、歩く補助をした。

実家に帰ったら祖母は右目に眼帯をつけていた。今日の午前中、白内障の手術があったらしい。部分麻酔で眼球を切り開いたんだって。キィ!

病院から、術後の注意事項が書かれたプリントを受け取っていた。見せてもらうと、それはめちゃめちゃ文字がでかかった。眼の手術をした直後の人は当然目が見えにくいから、プリントの文字がでかくなるのだ。美しい因果関係。世界は回っている。

祖母と一緒にお弁当を食べながら、僕はさっきバス停でよぼよぼのおばあさんを支えた話をした。すると祖母は「良いことしたわね。お年寄りって若い人から助けてもらえると、すっごく嬉しいのよ。あなたはおばあさんを助けてこんくらいしか嬉しくなかったかもしれないけど、お年寄りからしたらこーんくらいに、何十倍も幸せな気持ちになるんだから」と言った。そうかもしれないな。

キャリーケースにモニターを梱包して入れる作業、ほとんど祖母がやってくれた。やりたがっていた。祖母は物を隙間なく詰めることに対する執念がすごい。実家に来るたびに、僕の部屋が勝手に整理されてどんどんミニマルになっていってる。

猫は隣の部屋の床の上でずっと待機していた。僕が近づくと「ま〜」と一度鳴いて、名前を呼ぶとそれに返事するようにもう一度「ま〜」と鳴く。そして体を横に倒して、撫でさせたい部位を僕のほうに向ける。撫で始めると一度、僕の手を見てくる。僕が指の一本を猫の鼻先に近づけると、猫はそれをしばらくくんくん嗅いで、安心したかのようにもとの撫でられ待ちの体勢に戻る。この僕たちの一連のやりとりは、人がトイレで用を足す一連の動きと同じように、固定化されほぼ無意識に行えるパターンになっている。バス停でおばあさんを支える動きはパターン化してなかったから、不安定だったな。

帰った。

実家から運んできたモニターやモニターアーム、配線の設置は、今度は力のあるパートナーがほとんどやってくれた。パートナーは几帳面なので、綺麗にコードを収納してくれた。なんでやってくれたんだろう。あ、僕が自分で設置しようとした出鼻に、聞いておきたい箇所があって彼に「ここってどうすればいい」みたいに質問したんだ。すると彼は「ちょっと待ってね」と僕に言い置いて、自分でその箇所を調査した。そこで手で動かしたりして、そうしたらいつのまにか配線やら含め全工程をやってくれていたんだ。この流れよくある気がする。

コトリノス制作の脱出ゲームにはまったので、Discordで姉二人に見守ってもらいながら脱出をしていた。僕がわからなくて躓いたところがあっても、姉たちがこうじゃないかしら? それじゃないかしら? と助言したりただちに解いてくれたりした。三人寄れば文殊の知恵を実感した。途中、姉は子供にしらすを食べさせていた。

そのあと、タルコフについて少しリサーチしつつ、数学の演習問題を解いた。体積分とかガウス積分。ガウス関数の積分って面白い。不定積分はできないけれど、定積分はできる。

絵を描くのも数学を勉強するのもタルコフをやるのも(やってないけど)同じだと思った。生きることそのものみたいなことに没頭したいんだ。世界の限りない細かさに、わずかでもより精細に指を這わせて、自分なりのリアリティを探し続けていたいのだ。絵も数学もタルコフも同じだ。

同じだ。