臨界人の憂鬱

2025 - 10 - 27

15時に起きた。

今日も何もできなかった。頭が痛かった。

自爆する生き物ってゲームの中ではよく見るけれど、現実では知らない。生物の進化のメカニズム的に自爆機能を定着させるのは厳しいのかな? と思って調べたら、「ジバクアリ」というあまりにもな名前の蟻がいた。敵に襲われると腹部を爆発させて、毒液で敵を道連れにするらしい。蟻は卵を産む個体が決まっているから、その他の生殖できない個体なら自爆しても問題なく種を保存できるわけか。

歩いた。

駅前に長蛇の列が出来ていて、なんか新しくラーメン屋でも出来たのかなと思って列の発生源を見に行ったら、三菱UFJ銀行だった。

住宅街を歩くと、インターフォンが押しやすいところにたくさん並んでいて変だなと思う。僕の脳内には可能な行動をすべて行う「臨界人」というヤバ人間がいて、そいつならここら一帯の住宅一軒一軒すべてピンポンダッシュする。カフェで放置されてるパソコンとかはすべて盗むし、フェンスも乗り越えられるものは乗り越える。

臨界人は物の設計を考えるにあたって考慮されるべき限界のヤバ人間だ。世に実装されている種々のデザインを見ていると、そのような臨界人の存在はないものとして扱われていることがわかる。そのことに少し怖くなる。ヤバい人間は、実際にいるのに。踏切のレールに石を置くのってものすごい簡単なのに、踏切はあたかも人々が踏切のレールに石を置くことはしないと前提しているかのように作られている。そのことが怖い。

彼ら臨界人は、ゲームにとってはなくてはならない存在だ。彼らはデバッガーと呼ばれる。現実世界では法律を破ることが可能だし、同時にそれが許されず、罰せられることがある。ゲームの世界は違う。ゲームは法律が世界そのものだ。状態機械としてのゲームが取れる全ての状態はルールによって規定される。だからプレイヤーがアクセスするすべての行動が、ルールの範囲内だ。決まりの範囲内なら完全に何をしてもいいし、決まりを破ることを恐れる必要もない。ゲームは臨界人がその存在を祝福される場だ。

公園で途方に暮れた。

今日作業できなかったのを自分のせいにするかどうか、紙一重だ。ほんの少しの初動のエンジンがかからなかっただけで、一日が丸潰れになったという感じ。普通にしているとどうしても自責的に考えて苦しくなっていく。今日はそうなるしかない日だったということを意識的に確認していく。

「私は昔から漠然と死にたかった」っていう漫画あるよね。年齢が飛ぶやつ。ネットでややおもちゃにされていた。

僕も、2019年頃から今に至るまで、程度の波はあれど漠然と死にたい気分が続いている気がする。この質の気分に「死にたい」という語を割り当てるかどうかは匙加減なのだけど、いずれにしろアベレージ暗い、しんどい日々を過ごしている。夕暮れや深夜の時間帯に外を歩いていると、これって一生続いていくのかな、と思ってたまに気が遠くなる。

三菱の行列を見てラーメン食べたくなったので、食べた。美味し! ラーメン食べたの一年以上ぶりだ。

インカコーラ飲んだ。想像通りの味だった。

昨日描き始めたイラストを描き終わった。前より良い構図で描けた。画角内にどう要素を詰めて充実させていくかみたいなところを考えた。次は表情とか状況がより伝わるような絵にしたいな。

その後はエルデンリングずっとやった。デクタスの割符を見つけてアルター高原に来た。火山館の主から勧誘を受けている。火山館は黄金律に反旗を翻すレジスタンスみたいなもので、祝福の導きにしたがう円卓の人々とは敵対関係にあるのか。大事な二択を迫られている気がする。僕はなんとなくで冒険しているだけなので、100%どっちでもいいぜ。

エルデンリングのこと一日くらい褒めさせてほしい。こんな素晴らしいゲームだったんだ。食わず嫌いしてた時期がもったいない。

寝る。明日は病院行くのと実家に荷物を取りに行くのと、あとちょっとオイラーの等式について考えるかも。でも作業もしたい。忙しいです。