17時に起きた。
相変わらず漫画制作をした。一定のペースで描き進めて、下書きが最後まで終わった。これで話は締められたので、もし今後急にやる気が途絶しても、最悪ハンターハンターみたいな下書き状態で寄稿はできる。ぜひともペン入れとかやりたいところだけど。
漫画描いてただけなので、本当に書くことがない。なるほど、ちゃんとやることをやっていれば、日記って特に書くことないんだ。いいね。
トイレから出てきたパートナーが「ふくらPが離婚したらしいよ。トロヤくんが好きそうな情報だと思って、取り急ぎ」と僕に報告した。我々はトイレですごい長時間スマホをいじるので、トイレから出た時、入る前には持っていなかった新しい情報を得ている。
僕がふくらPが離婚した事実を好きかどうかはさておき、ふくらPが結婚したことを知ったときは、とてもupsetしたのを覚えている。なんか、自分の知っている有名人が結婚したニュースを見ると、別にファンじゃなくても落ち込むんだよな。結婚という制度がそもそもうまく理解できていないのに、他人のそれを中心に世間が祝福っぽいムードに染まって盛り上がる現象に、二重の不可解さをおぼえる。寂しくなる。置いていかないで〜。なぜめでたいのかを教えて〜。
離婚は、再婚できるようになるからいいかもな。復縁もできる。復縁って楽しそう。お互いに、昔にはなかったさまざまな諦めの感情を心に含みながら、それでも寄り添っていこうと、自分たちには自分たちしかいないことを確認しあう。素敵だ。僕もパートナーと復縁したい。しかし、付き合ったまま復縁することはできない。クッ。
他者に対して「おめでとう」って思ったのいつだろう。おめでとうは、社会制度に沿って造成されたかなりケミカルな感情。
姉がいつも税の試験の勉強をしているから、もしそれが合格したら僕は姉に「おめでとう」って心から思えると思う。そういえばその姉は先日卒業制作審査が通った僕に「おめでとう🎉」とLINEを送ってくれた。試験に合格するとか、単位を修得するみたいなことは、確かにわかる。めでたいね。何か課題があって、それに対して挑戦して、課題を解決していたら、それはわかりやすくめでたい。
でも結婚はそこまで単純なメカニズムではないように見える。むしろ、社会が結婚を「めでたい」と評価するよう合意形成をしていることで、逆説的に結婚は何か大事なことを解決してくれる制度であるように人々が錯覚するよう、世に広めているんじゃないでしょうか。当局が。
エヴァ最終話の「おめでとう」と同じ、自分の内部にはない幸福論に基づいて祝福の声を上げる人々の様子を見せつけられる、気味の悪さがある。
こんな制度批判的な話よりも、僕がふくらP の結婚発表にupsetする理由のほうが面白い。「寂しくなる」だって。社会が僕の直感に反して動いていることなんてもう重々わかっているのに、それでも「置いていかないで〜」だなんて気持ちがある。
大人数が苦手なのも、一人だけ取り残されたような気がして寂しくなるからだ。話せば話すほど、自分が浮き上がっていくように感じて胸がそわそわする。コメント欄やタイムラインを見ていても、よく寂しくなる。別に自分がみんなの視線の中心にいたいだなんて思っていないのだけれど。以前もこんなこと考えたな。
自分にとって居心地の良い環境を選びとって来ていると思うんだけれど、その環境が僕にとって寂しいようにできている。寂しさが僕の人生の基調なのかもしれない。実際、寂しくてたまらないとき、ちょっと気持ち良かったりもする気がする。リアリティにしみじみと感じ入るような情緒。
年末とか。年末ほど寂しい時期はないね。年末は好きだ。
みんなに無視されたい。路上で目瞑って居眠りして、起きたらいつのまにか目の前にでっかいビルが建ってたくらいのままならなさがちょうどいい。