240,000,001の瞳

2026 - 01 - 05

郷ひろみの「2億4千万の瞳」の2億4千万がなんの数なのかわからなくて、しばらく考えてしまった。やがて日本国民の数×2だと気づき、膝から崩れ落ちた。人に目は2つあるから。パートナー曰く『二十四の瞳』という小説の題インスパイアでもあるらしい。

21時に起きた。どんどん起きる時刻が遅くなっていく。

今日も漫画を描いた。色塗りまでの工程を、ひたすら。10時間作業をして、2ページ描けた。コマの数にもよるけど、1ページあたり5時間かかる。うーん。地道にやっていくしかないなあ。まだ下書きのままで、これから着手しなければいけないページがあと8ページある。40時間。1日10時間作業をするとしても4日。だめだ。いつか徹夜して残業しないと間に合わない。

寝そべりながら、季節の数を奇数にする方法を考えていた。

ある一地点の平均気温のなんとなくの移り変わりをグラフで表すと、春夏秋冬の4つはこのようになる。このとき極大が夏、極小が冬となる。春と秋はその中間点。四季。偶数。

「梅雨を入れたら5個になる」とか、そういう話じゃない。温度変化グラフ上の1点としては、梅雨はなんの必然性も持たない。

その意味でいえば春と秋も、中間点でしかないのでぶっちゃけ無理に季節に数える必要はなく、夏と冬の二季でもいい。しかしいずれにしろ、季節の数は偶数になってしまっている。

このグラフの形をちょっと変えて

こんなふうにしてみる。こんな温度変化をする地点が地球上にあるかどうかはともかく、部分的に凹ませたところは極小なので、季節として数えられるべき必然性を備えている。よって季節にふさわしい点は図の赤点になる。数えると8つ。偶数だ……。

12季節。偶数。無駄なあがき。

このやりかたでは、原理的に季節を奇数にすることはできない。なぜなら、ある極大値点を凹ませても、新しい極大と極小がワンセットで増えて+2されるだけなので、赤点の数の偶奇は変化しないからだ。

ある地点の温度変化を見るのではなく、太陽の周りを回る公転運動から定義される季節のほうでも考えてみた。通常はこのように回るので、春夏秋冬の四季。

回転運動の次元を増やせば、新たな季節「罪」「罰」を作れる。地球はこんなアクロバティックな動きをしないが、少なくとも必然性によって導かれる季節としては考えられる。でもこれでも季節は6つで、偶数だ。

対称性が諸悪の根源だ。人間には目が2つあるように。次元を増やしたところでピークは2個ずつ増えてしまうので、偶数性からは逃れられない。以前4の必然性を考えたときにも触れた問題がある。4つあるものは所詮2のべき乗としての必然性しか備えていないことがある。

対称性に一矢報いるなら、中心を貫くしかない。

地球が太陽の中心に来る地獄の季節「天元」があれば、季節は7つになることができる。しかし太陽の中心に来ているということは、人類は残らず死滅している。そもそも中心への移動は公転運動ですらないし。

でも、季節を奇数にするにはこうするしかないんだ……。

姉がまた甥の育児のナイトルーティン動画を作って見せてくれた。甥は1歳半くらいだろうか。指を指したり、ジェスチャーをするようになっていて、実家の猫の賢さはゆうに超えていた。このまま愛されてすくすく育つのかな。相変わらず見ると心がざわざわする。

『違国日記』の第一話を見て、すごく面白かった。両親を事故で失った15歳の少女と、彼女を引き取った叔母さんが二人暮らしするアニメ。叔母は独身で、小説家で、いわゆる変な人だった。

違国日記のように、何かの運命のはたらきによって、僕と甥が一緒に暮らすなんて未来もあるのだろうか。そしたら、僕はいかにも変な人の叔父さんとして、彼と接することになるんだろうな。

「叔父さん、何してるの?」「季節を奇数にしようとしているよ」

万が一姉夫婦が亡くなったとしても、僕のところに来るよりは、先にもう一人の姉のほうに行くだろうけど。